気持ち
一人残された僕は、その場でしばらく立ち尽くし、白夜叶愛から受け取った江利香のノートに眼を通した。
漫画。
江利香の描いた漫画。
そこには一人の青年がプロの小説家を目指して、その才能を開花させながら、社会の歯車に囚われながら、努力し続ける。
そんな内容が描かれていた。
今の若い子が描くには珍しいようなスポ根のような漫画だった。
いやまぁ、スポーツじゃないんだけど。
どうやら時代と共に廃れたと思っていた根性論なるものはまだご臨終ではないらしい。
形や色を変えながら、こうして受け継がれていくんだろう。
今の若者はもっと漫画や小説に眼を通すべきだと言いたくなる。
そこに学べる教訓はいくらでもあるのだ、と。
確かに学校の教科書には、それこそ日本の歴史や訳の分からない数字の羅列、解読不可の暗号やほっこりするような物語や詩などは載っている。
でもそこに、例えば、異世界で幾度の難関にぶち当たりながらでも生きようとする主人公は描かれているだろうか?
例えば、奇想天外な発想を持ったり、奇抜な行動力を持った風変わりな名探偵が周りに及ぼしていく素晴らしい影響力の事など語られているだろうか?
例えば、神出鬼没、大胆不敵な大怪盗や犯罪者が悪の中にある正義を見せるようなそんなダークヒーローが存在しているだろうか?
頭脳明晰、容姿端麗、時々、罵詈雑言。
そんな毒舌探偵、白夜叶愛の物語が紡げるのも僕くらいだろうと自負している。
そして僕が今手にしてるノートの中で小説家を目指す彼。
彼の本当のこの先を描ける人間もまた、夢見江利香一人だったに違いない。
誰に評価されなかったにしろ、だ。
この漫画はもう少し日の当たる場所に出ても良かったんじゃないか。
僕はそう思った。
同じ“物語の創作者”という立場として、在り方は違えど切磋琢磨しあえるようなーー
そんな関係になれたのじゃないか、と。
もっと早く。
僕にだけでもこれを見せてくれていたのならば、僕は必ずこの漫画を評価したはずだ。
何の打算もなく、「お互いにこれからも頑張ろうな」なんて笑顔で言いながら、僕はこの物語の続きを待っていた筈だ。
余計な気、使うなよ。
お前はいつも一言足りないんだよ。
応援してくれてたんならたまには感想の一つくらい送れよ…馬鹿野郎……
僕は声を大にして言いたい。
夢見江利香の大きな間違いは
“僕に相談してくれなかった事だ”と。
僕はそこに大いに苦言を呈したい。
漫画の最後。
作者の後書きの欄。
そこに書かれていた事をここにも記載する。
ーーーー以下、江利香の漫画ノートから引用。
ーー後書き。
とは言っても此処に書くような事は何もありません。
これは今現在、私が社会で働くにつれ、社会って孤独なんだなぁって思った事を嫌みっぽく書いてるだけの陳腐な漫画です、という事くらいです。
私もこの漫画の主人公みたいに強く立ち向かえたらなって思うんだけど、それももう出来そうにないかな。
と言う事で書く事もないので、取り敢えず、尚弥へ。
この漫画が誰かに読まれているとしたら、尚弥が読んでくれているものだと私は信じてる。
そして、この漫画を尚弥が読んでる時、私はきっともうこの世には居ないよね。
同時に全ての真実に気付いた後だよね。
何も相談せずに勝手な選択してごめんなさい。
色々と思う事はあったんだけど、私がこの選択を選んだ一番の理由は孤立感に耐えれなかった事と、会社の社長がお酒に酔った際に言った「根性ない、そんなんなら死んでしまえ」と言う台詞が最後の引き金でした。
尚弥の夢に向かって努力する横顔見てたら言い出せなくって。
尚弥の夢は天国に行っても応援してるから、頑張ってね。
尚弥はいつも自分が書いた小説を誰よりも先に見せてくれて、感想くらい言えよっていつも言ってたけど、結局、直接言えなかったから此処に残しとくね。
面白くない。ーーーって言うのは嘘(笑)
でも、尚弥にはこんな所で満足して欲しくない。
だから、そういう意味を込めて、面白くないって敢えて言っておきます。
尚弥がこれを読んでいる時には何もかもが今更になっているかも知れないけど、もし周りの人が私の死を不慮の事故だと思ってくれているなら、それで通しておいて欲しいと思う。
私が自殺したっていうよりは受け入れやすいと思うから。
そして尚弥も。
尚弥の事だから私が死んだら律儀に毎年お墓参りとか来そうだけどさ、来なくていいからね。
尚弥は尚弥の夢に集中してください。
そして立派な小説家になったら、その小説を私の墓前に届けてください。
届くかは分からないけどこっちから感想の手紙出すよ。
きっと届かないけど(笑)
それでは最後になっちゃったけど、後一言だけ。
返事はすぐにしなくていいからね。
気長に待つから。
私、幼馴染としてじゃなくて、ずっと。
尚弥の事は大好きだったよ
ーーーーー
僕はその後書きを読んでから、涙を流した。
道の真ん中で、顔をノートと手で隠しながら、数年振りの大泣きだった。
「返事が欲しいなら、ちゃんと生きてろよ…」
そう呟きながら、僕の涙は栓切ったように、僕の感情に従うまま涙を流し続けたのだった。