気持ち
墓地で彼女が本当に伝えたかった事。
その言葉の真意を、僕は此処に来て初めて気付かされた。
彼女は誰よりも真っ白で正当な事を最初から言っていたではないか。
誰よりも真っ黒で自分を良く見せようと自己満足に浸る僕の事を、彼女は最初から見抜いていたのだ。
彼女が黒に近い白なら、僕こそ白に近い黒そのものじゃないか。
「差し出がましいようですがーー」
彼女はいつか墓地で僕に例の台詞を吐いた時と同じ様にそう言った。
「ちゃんと伝えてあげてください。
離れて暮らしている家族、大切にしたい人、いつもあなたを支えてくれている人。
貴方の人生でしか出会えなかった、貴方との特別な関係を持つ人達にはちゃんと伝えてあげてください。
別れた恋人にだってそうですよ?
貴方を敬遠するような言葉が返ってきたとしても、その言葉を聞いてあげられる間に伝えてあげてください。
貴方が言いたい事の全てを」
そこまで言って、一呼吸置く。
僕から左手を離し、眼も逸らした。
そのまま僕の胸に向かって頭を倒す。
左手の代わりに、今度は額を僕の胸にトンッーーとつける。
そして、静かな口調で言葉の続きを繋いだ。
恐ろしく、静かな口調で、ちょっとでも気を逸らしたら聞き逃してしまいそうな、しんみりとした声で。
「言葉は声に出さないと届きません。
気持ちは行動に移さないと伝わりませんよ。
届かない感謝や、伝わらない好意にどれだけの価値があるんですか?ーーね。
生きてる間にしか出来ない事をする事に恐れないでください」
彼女の言葉は静かに僕の胸に響いた。
此処に至るまで、それはもう彼女の事を心の内で悪印象の比喩でしか表現して来なかった僕だけれど、その前言全てを水に流したい気分だった。
全てを言い終えてから数秒。
数秒してから、僕から離れ、微笑を浮かべる彼女、白夜叶愛。
ーー言葉は声に出さないと届かない。
ーー気持ちは行動に移さないと伝わらない。
確かにその通りだ。
至極真っ当で、感慨を覚える。
同時に気付いたのは、それが白夜叶愛の考え方であり真っ直ぐでーー不器用な生き方だという事だった。
ーー翌日。
僕は午前中の空き時間を使い、夢見一家のお宅へと訪問していた。
一人である。
白夜叶愛も桜井結も一緒ではない。
とは言っても、午後には合流する予定なのだが。
僕が夢見家宅に訪問した際、夢見沙奈江さんが前回と同じように快く僕を歓迎してくれた。
予め電話で要件を伝えておいたので沙奈江さんは手際よく僕を、生前、江利香が使っていた二階の部屋に案内してくれる。
江利香が自殺してしまってから、その部屋は開かずの間として閉ざされてしまい、当時のままになっているという。
その部屋の前まで来て、沙奈江さんが重たそうに口を開く。
「じゃあ、用が済んだら声かけてね。
もう長いこと掃除してないから埃塗れかも知れないけど…」
「はい、すいません、なんか無理言っちゃって」
ここまでわがままを聞いてもらって恐縮するばかりの僕である。
沙奈江さんが一階に下りていったのを見送ってから、僕は江利香の部屋のドアノブに手をかけた。
「全く、嫌な仕事だよなぁ…」
一人で呟き、ドアを開け、部屋の中に入る僕。
予想以上の埃の量だった。
入った瞬間に空気の悪さを感じとれる。
とーー此処でそろそろ前日のあの流れから僕が今日こんな事をするにまで至る経緯を説明しておく事にしよう。
僕が今からしようとしてる事を簡単に言うなら、桜井結直筆メモの僕達がする仕事リストの二項目にあった“当時の江利香に関わる物品回収”である。
昨日、僕はあの後、喫茶店Happinessの前で白夜叶愛に、一つ頼み事があるーーと、切り出された。
「ーー頼み事ですか?」
僕は白夜叶愛の言葉を再度繰り返しながら聞き返していた。
「そうです、その為にわざわざ事務所から此処まで足を運んだんです」
「はぁーーそれで、その頼み事って?」
「これです」
白夜叶愛は右手の拳を開いて、その手の平に乗った小さな鍵を僕に見せた。
その鍵を受け取る。
「これは?」
「南條哲さんが江利香さんの生前に本人から預かっていたものだそうです。
“自分の身に何かあった時、最初に職場に訪れた人に渡して欲しい”そう伝言されていたようです」
「何の鍵だろ…」
「恐らく、勉強机。
普通の鍵より若干小さめですが、日常的に活用されいたものの可能性が高いと思います」
「どうしてです?」
「最初に来た人に渡せ、って伝言ですよ。
ちょっとは考えてから質問してください。
最初に来た人、というのは“誰か分からない不特定人物”という事になります。
でも、渡せって事は中身を確認して欲しいという事です。
彼女の身に何かあった時に職場を訪ねる人物なんて限られたものですが、最たる例は家族でしょう。
なら家族がそれを受け取った場合、何の鍵か分からなければなりません。
だとしたら、日常的に家族もよく見てる何かの鍵ではないか、と推理できます」
「おぉーーなるほど」
ーーそういう訳で現在である。
前日の事を回想しながら、僕は迷わず江利香の使っていたであろう机の引き出しを観察する。
引き出しが縦に三つあるタイプの勉強机。
その一番上に鍵穴がある。
そこに例の鍵を突っ込んでみると、どうやらビンゴである。
カチャっと音を立てて、引き出しのロックが解除される。
中に入っていたのは一枚のノートだった。
僕はそれを手に取り、パラパラと頁を捲ってみる。
内容は漫画だった。
自分で枠線を書き、鉛筆で絵が描かれた漫画。
それがどんな漫画かまでは読みはしなかったが、素人的に見てもそれはあまり上手だなと思えるものではなかった。
僕は“そこにあったものがどんなものであろうと持って来い”と白夜叶愛に言われていたので、そのノートを手に早々と部屋の外に出る。
気付けば自分の服も埃だらけである。
因みに最初にも言った通り、これは“僕達”の仕事で、本来なら桜井結もこの場に一緒に同行していておかしくない筈なのだが、この仕事を頼まれた最に「僕一人でですか?」と、白夜叶愛に聞き返したら
「当たり前でしょ?」
と、若干苛立ちを露わに出して即答されたので、それを押し切ってまで桜井結を同行させたいとは言い出せなかった。
何に怒っていたのかは全く不明なのだが。
僕はノート一枚を片手に一階に下りて、沙奈江さんにそれを借りていくという趣旨だけ伝え、夢見家を後にした。
そのタイミングを見計らっていたかのように、僕の携帯電話が鳴る。
白夜叶愛からの着信だった。
「もしもし」
『……』
「もしもーし」
『ーーあ、すいません、時差が』
ねぇよ!
いきなり返ってきた彼女のボケに僕は胸中、ツッコミを入れた。
「で、どうしたんです?白夜さん」
『あら、ツッコミを入れてくれないんですね』
「いや、ツッコミを入れてもあなた流すじゃないですか」
そりゃあ、どこかの誰かさん程の大ウケをしてくれとは言わないが、何のリアクションもないと分かってる相手にツッコミをいれて一人盛大にスベる程、僕は愚かではない。
そろそろ学ぶ僕である。
『そうですね。ですがその場合、ツッコミを入れらても流す私が悪いのか、全然面白くない売れない芸人みたいなツッコミしか出来ないあなたが悪いのか、どちらが悪いのかは後程ゆっくり協議する事にしましょうか。
私に恥をかかせるなんて、新橋さんもSですね』
あなたにだけはSとか言われたくない!
どうやら、ツッコミを入れなかった事ーーと、言うよりはボケを流された事に、御立腹のようだ。
『ーーそれはそれとして、新橋さん』
「はい?」
『例の物品回収は終わりましたか?』
「あぁ、それならたった今終わりました。
これから僕はどうしたらいいです?」
『そうですね、ではSENGOKUZIDAIまでそのままご足労願えますか?私も今、そちらに向かっているので』
「あ、はい、分かりました。白夜さん一人で来てるんですか?」
その質問をした瞬間だ。
ブチッーーと通話を遮断された。
相変わらず勝手に話を切り上げる探偵である。
文句を言って突っ立っていても仕方ないので、僕はノート片手にタクシーを拾い、昨日訪れたばかりの飲食店へと向かうのだった。