偶然の本質
「さてーーそろそろ…」
一呼吸置いた後、言葉を濁しながら、白夜叶愛は机の引き出しから懐中時計を取り出してそう言った。
カチッという音と同時に蓋が開き、数秒間、懐中時計の示す時間を眺め、現時刻を確認した後、白夜叶愛は椅子ごとクルッと回り、僕に背を向けた。
「新橋尚弥さん」
背中を向けたまま、僕の名前を呼ぶ。
フルネームで。
返事を返す間もなく、彼女は言葉を連ねる。
「ここまでのお話は全て理解していただけました?」
「はい、まぁ、大体は」
「では、最後に、貴方に一つお願いがあります」
「はぁ」
溜息ではない。
曖昧な感じになってしまった相槌だ。
白夜叶愛の椅子がまたクルッと回る。
背中を向ける前の先程までとは一変、かなり神妙な面持ちになっている。
「貴方を此処に呼んだ理由は、そのお願いをするに差し当たってなのですが、単刀直入に言います。ーー捜査に協力してください」
「はい?!」
思わず声に出た。
突拍子もない、とは正にこの事。
ーー何を言いだすんだこの探偵は。
それこそ探偵業法を完全に無視してるんじゃないのか?
ーーいや、この探偵には関係ないのか。
そう、例え一般市民を探偵業務上の捜査に巻き込んでも、この探偵には関係がないのだ。
「ちょっと待ってください!白夜さん、話が飛んでます。ここまでの話とか全く関係なかった位に話が飛んでます!」
「最初から、貴方に対するお願いとその他の話が関係してるなんて私は言ってません」
ーー確かに。
変に納得させられた所で、僕は黙った。
それを見て、彼女は立ち上がる。
僕の事を見る。
僕の眼を見る。
真っ直ぐとしたその視線は僕の口を何よりも硬く閉ざす。
さながら、メデューサの蛇に睨みつけられ、自分が石化でもしてしまってるかのようなーーそんな感覚を覚える。
「訳あって、私はこの部屋からあまり出られないんです。いえ、出たくないんです。
ですから普段、野外調査は私の助手にしてもらっているんですが、今回に限っては少し心配で、貴方にその子を手伝ってあげて欲しいんです」
いきなりそんな事を言われても返答に困るというものだ。
これも再三再四と言ってきた事ではあるが、僕がこの探偵と出会ったのはほんの一週間前であり、墓地、喫茶店、今日、と最初の出会いを除けばまだ三回しか会っていないのだ。
数える程も何も指三本で収まる回数なのだ。
捜査に協力してくれなどと、そこまでの信頼を寄せられても困るものだし、そこまでする義理も僕にはないというのが正直な所。
確かに今日の話を聞く前の昨日の僕なら、二言返事で捜査協力を惜しみはしなかっただろうと断言出来る。
ただし、今は違う。
僕はこの探偵に彼女との破局を仕組まれていたのである。
結果がどうだったにしろ、そこに憤りを感じる事はあったとして、それに恩義を感じる必要性はないのではないか、と思う。
まぁ事実が事実だっただけに遅かれ早かれ別れていたかも知れないが、それはそれ。
確かに好きだったのだから。
舞を想うその気持ちに偽りはない。
決して彼女に対し、愛情が薄れていた訳ではない。
臭い台詞を吐くようだが、舞がどんな女性であって、どんな人間だったとしても、僕が選び、僕が愛していた女性に違いはないのだから。
その事実だけは変えようもない。
変えたくもない。
変えたいとも思わない真実なのだから。
なんだかんだ言って未練てんこ盛りの僕である。
でも、だからこそ、僕の行き知らぬ所で勝手に別れを仕組まれた事に関しては僕は怒る権利すらあるのだ。
僕にだって、あの別れ話の時に、真実を知る権利があったはずなのだから。
「白夜さん、すいません。
そういうお願いなら、僕は聞けまーー」
ーーせん。
と、言い切る前に白夜叶愛は言葉を被せてきた。
「もし、私の先の言葉だけが理由じゃ不服だと言うのなら、もう一つだけ、付け足しましょう。
貴方はあの日、桜並木の下で偶然私に出会いました。
その後、偶然墓地で再会し、偶然、私が江利香さんの自殺事件の再調査を請け負う場面に遭遇しました」
ーーまさかとは思うがこの探偵。
偶然という言葉をこじつけて、並べ立てて、運命だとか言うわけじゃあるまいな…
ーーと、彼女の言葉に警戒する。
先程の雑談が見る見る内に伏線に早変わりするのもいい所だぞ、と。
「更に、桜並木の下での私と新橋さんの出会いは偶然にも南條哲さんに目撃されていて、これまた偶然、南條哲さんの交際相手が新橋さんの恋人と同じ人物でした」
「それで?まさか運命だから、とか言うつもりですか?」
言われる前に先手をかける。
だが、白夜叶愛は首を振った。
そして左手で人差し指を立て前に突き出す。
僕にその指を見せるように。
見せつけるように。
「最後、この事務所に偶然、新橋さんの連絡先が残っていて今日、私は新橋さんに連絡を取る事が出来ました」
ーーあれ?偶然が六つ。
これでは彼女の持論、偶然が五つ重なると五つ目は運命と言っていたあの言葉に当てはまらないではないか。
彼女は口元に微笑を浮かべ、戸惑い顔を浮かべた僕の一瞬の表情を見逃さなかった。
「人間の力では変える事が出来ない最初から天により与えられた運命。
六つ目の偶然、その名前はーー宿命」
決め台詞よろしくのそんな雰囲気を作り出し、彼女は親指を立て、人差し指はそのまま、他の指は折り込み、ピストルを指で形作ったその左手で僕を指差した。
「この雰囲気。宿命とまで言い切った私です。ここで貴方に断られてしまえば私は大きな恥をかくことになりますが、立派な人格者であり、男性の新橋さんに女性をーーいえ、こんな私に恥をかかせる覚悟がおありですか?」
なんだろう、この異様な光景。
なんだろう、この異様な雰囲気。
やはり、僕も男として生まれた以上、ここまで言われてしまえば断りきれない。
いや本当に。
もう本当に、彼女の作略に嵌まったとか。
そういう訳では決してないんだけれども。
「わかりましたよ、わかりました!
協力すればいいんでしょ!」
半ば投げやりに僕は彼女からの協力要請を受け入れた。
「ありがとうございます」
突き出していた左手を引っ込め、その長い黒髪を左耳に引っ掛ける仕草を見せながら、彼女は今日一番の笑顔を浮かべた。
その笑顔を見て、不覚にも、と言うよりはやっぱり。
やっぱり、とてつもなく、際立って、物凄く。
可愛いんだよなぁ。
やはり不覚にも、と言っておこう。
そう思わずにはいられない僕だった。