偶然の本質
「新橋尚弥さん」
彼女に真っ直ぐ見据えられ、名前を呼ばれる。
しかもフルネームで。
「はい…」
力ない返事。
気力ない返事。
意気消沈の様のまま、僕は彼女の眼を見返す。
笑ってない眼を。
同情もしていない。
怒りを宿すわけでもない。
決してこちらの事を見下したりはしていない。
そんな眼を。
そんな表情を。
「お気を確かに。私はまだ、半分程しか話を終えていません」
「いやいや、待ってくださいよ、これ以上何があるっていうんですか?」
「私、言いませんでしたか?
舞さんのお話はそのまま江利香さんのお話に繋がるんです。
いえ、偶然にも、接点が出来たというべきでしょうか」
「どういう事ですか?」
ここまで話を聞く限り、舞の話にそこに繋がるような脈絡はなかった。
江利香の事件にどういう接点があるというのか。
舞に関する話は現時点で全て紐解かれたはずだ。
いやーーそれこそ違う。
一つだけ。
まだ僕の知らない事があるではないか。
そう、たった一つだけ。
舞の浮気相手ーーと言うのは正しい表現かはさて置きーーその人物の正体、言わば素性である。
僕はその相手の人物の事を全く知らない。
白夜叶愛は、ジワッとこめかみに汗をかく僕に、見透かした口を開く。
「その顔、いつか見た謎が解けたって顔に近く見えますが…何かお気付きになられましたか?」
“いつか見た”と言うのは、墓地から夢見家宅に訪問した際の玄関前でのやり取りの事を指す。
とは言われても、あの時ほど自信に満ちた顔はしてないし、溌剌ともしていないが、寧ろ、嫌な予感に大釜を持って背後から忍び寄られてる感覚さえ覚えている。
謎が解けたって程ではないけど…ーーと、僕は返しながら唾を飲む。
「相手の人物…なんですね?舞と江利香の事件を繋ぐ接点っていうのは…」
「御名答」
驚くほど静かな声で、しかし、用意してたと言わんばかりに、その言葉はすんなりと吐き出されたように感じた。
「新橋さんはどちらかというと、浮気をされた被害者に当たるのでしょうから知って然るべきと思いお話しますが、もし、先程のように聞くに耐えなければ遮っていただいて結構です」
そう前振りをした後、彼女は部屋の中を闊歩し、机の前に立つ。
僕との距離は手を伸ばせば当たる程の所に来て、机の上から二部目に当たる書類を取り上げ、僕と対面する。
書類の頁を捲る。
「お相手の名前は南條 哲さん。三十歳。
職業、飲食店の正社員。
趣味は釣り、ゲーム、スポーツ。
性格に関しては会って御話してみない事にはなんとも言えませんが、これが中々のプレイボーイみたいで、女性を口説くに当たっては難がないようです」
そんな奴に引っかかったのか、舞は。
思ったが、口は挟まない。
「この方が働いている飲食店ですが、それが三年前、江利香さんがアルバイトで勤めていた飲食店になります。
お店の名前は確かーー“SENGOKUZIDAI”」
ーーちょっと待て!
「いやいやいや、名前は昔の時代感が凄くあるけど文字にしてみたら今風過ぎてどっちだよ!ってなるその名前は何なんですか!」
思わず、話を堰き止めてしまった。
ツッコミを入れてしまった。
ツッコミの位置に僕が立つ以上、これはツッコミをいれろよと言われんばかりの物を用意されては、その期待には応えなければいけないだろう。
そもそも戦国時代って…
他にネーミングなかったのかよ。
これ考えた人。
センス以前の問題が偏って山を作っている。
これじゃ何系統の飲食か全く分からないだろ。
いや、そもそも何の店なのか。
そっからして分からない。
もし、僕なら歴史博物館か何かと勘違いし、一生近付かない部類の建物と判別するに違いない。
「私にそんな事をツッコまれても、いささか対応に困るんですが…」
「いや、まぁ、そうですよね」
至極ごもっともな御言葉だった。
でも、後一つだけ言わせて欲しい。
恐らく、小学生、中学生辺りの歴史の授業においては戦国時代とはそれなりの好奇心を駆り立てるものがある、と、僕は思ってる。
テレビゲームなどでもしばしば見かける、歴史が取り上げられた部類の物を見ていても、この戦国時代という時代が群を抜いてピックアップされてる事などはゲームをする人間ならほぼほぼ知っている事だろう。ーー無論、架空の時代を舞台にしたものを取り除いて、の話だがーー
子供が嫌う勉強。
そのカテゴリーの歴史という授業。
あぁ、因みに、「あの科目は好きだ」などとはよく聞くが、この場合の“好き”は“得意”と捉えるべきだろう。
ゲームや友達と遊ぶ事を掛け合いに出せば、子供達は揃いに揃って好きの種類が違う事を口にする事だろう。
つまり、僕が言いたい事。
長々と語ったが、それは結局、ツッコミの一言以外の何物でもないのだが。
歴史の授業という枠の中でもそのカリスマ性を発揮する戦国時代。
日本の歴史。
子供達によっては美化され過ぎな気もしないわけではないが、日本の奥深い歴史の一つ。
そう、日本の歴史をわざわざ横文字にして看板に掲げてる辺りに、僕はその飲食店に異議を唱えたい。
閑話休題。
「ーーもうよろしいですか?」
右往左往し放題の僕の思考回路の行き着く先を見越したのか、少し間をあけてから白夜叶愛が僕に訊いて来た。
同時に溜息を吐かれる。
「思ったよりーー意外に元気そうで何よりです」
心配して損した、と言われた気分になる。
僕は戦国時代と飲食店へのツッコミに長々と費やした思考回路に少しばかし後悔した。
何事も、後悔先に立たず、である。
「さて、余談は程々にして、本題に戻します」
お願いします。
小さな声で、言った。
白夜叶愛は書類の頁を捲った。