偶然の本質
白夜叶愛は机の上の書類、数枚で一部になってるモノを一つ手に取り、本棚一面の壁側に歩き出す。
この時、机の上には残り二部か三部程の書類が残っているのを確認出来た。
此処からは部屋の中を縦横無尽に歩き回りながら話を続ける、そういうスタイルで進行していくらしい。
「そもそも、あの時、貴方が桜並木の下で私に話しかけていなければ、此処までややこしい事態にはならなかったんです。墓地でのあの出会いが、私達の初対面になっていたなら、貴方は現在此処には居なかったでしょう。
江利香さんの件も私一人で迅速に解決に至っていた筈なんですが、合縁奇縁とはよく言ったものです。
運命、と言ってしまえば聞こえはいいのかもしれませんが、あの“桜並木の下で私とあなたが出会ってしまった”ばっかりに今回の話はややこしい展開を見せる事になりました」
「あの、話が全く見えないんですけど…」
「まず、あなたにとっては驚愕の事実とも言わなければならない事を先にお話しますが、決して驚かないでください」
驚愕の事実、と前置きされながら、驚くな、とはこの探偵も無茶苦茶な事を言う。
いや、今に始まった事でもないが。
ただ、その事実とやらが本当に“驚愕の事実”に値するものなら、やはりこの要求は無理難題もいいところだろう。
「実は、木下舞さんなんですが、私に彼女からの依頼があった時点で、現在彼女がお付き合いされている男性とはその時既に交際しておられたんですよ」
「はぁ?!」
無理難題。
驚愕の事実。
これを聞いて、驚く以外の反応を僕は返す自信がない。
「だから、驚かないでって言ったじゃないですか」
本棚を背に立ち止まり、横からそう言ってくる彼女。
僕もそちらに顔を向けながら
「いやいやいや、驚くなって方が無理ですよ!どういう事ですか!それ!」
動悸が落ち着かぬ内にツッコンだ。
勢い任せというやつだ。
白夜叶愛はやれやれとでも言いたげに溜息をつく。
「どういう事も何も、貴方と舞さんが別れる一ヶ月前位から、恋仲は始まってたみたいです」
「じゃあ僕は、別れる理由を作る為に、あなたじゃなくて、舞に嵌められてたって事ですか?!」
「だから、人聞きの悪い言い方はやめてください。貴方と舞さんが別れるように話を操作したのは他でもない私です」
平気な顔で言い切るが、あなたの仕事は操作じゃないーー捜査だ。
と、ツッコミを入れる間も無く、白夜叶愛は口を動かす。
「それ所か、舞さんも最初は困っていたんですよ?
二人の男性を同時に愛してしまい、どちらからも愛される喜びを知ってしまい、その優越感が手放せなくなってしまっていってる自分自身に。
しかし、舞さんは非常に独占欲の強い方でもあり、“自分が浮気されるという行為”=“自分に愛情が注がれていない”という認識で、不安と嫉妬に襲われるタイプでした。
彼女が欲しかったのはあくまで複数人に自分一人が愛されているという優越感ですからね。
そこに芽生えたのが貴方への浮気疑惑だったんです。ですから私は舞さんに貴方の浮気調査を勧め、その証拠となるものを提示し、結果別れるように誘導したのは他でもない私です。
舞さんのその状況が長く続けば続くだけ、最後に至る結末は悲惨たる惨状そのものになるのは目に見えていました。
“依頼人と依頼人の周りの人”の幸せを願い、先々の未来を考えればこれがベストの形になると思ったんです」
ーー守秘義務も何もあったものじゃない。
そう言ってやりたい位の裏事情を眼の前の探偵に軽々しく暴露された訳だが、ここから言葉を返すのは二の次に、僕は自分がたった今頭の中にぶち込まれた情報を少しだけ整理した。
つまり、僕と舞が別れたのは僕が白夜叶愛と出会った三日後。
今日から遡っても三日前。
丁度、この一週間の真ん中に位置する日だった。
そして舞に彼氏が出来たと聞いたのはその日から二日後だ。
つまり、昨日。
つまり、白夜叶愛と喫茶店で話した後の出来事だ。
だが、事実は異なり、その新しい恋人と交際関係に至ったのは昨日今日の話じゃなかったのだ。
一ヶ月前から。
僕と舞が別れる一ヶ月前から。
浮気をしていたのは僕ではなく、舞の方だったという事。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!それのどこがベストなんですか!
結果、僕は逆に浮気された挙句、何の比もないまま、浮気男のレッテルを貼られて、別れさせられたんですよ?!
僕だけなんのハッピーもないじゃないですか!」
やっと唖然としていた口から声が出た。
「付き合っていたかったんですか?
そんなバカ丸出しの女と、今後も交際を続けていたかったと?
むしろ、より早く縁を断ち切れた事に喜ぶべきですよ。
ここに彼女の素行調査の結果書類があります」
白夜叶愛は手に持っていた書類を僕に見せるように持つ。
仮にも、彼女にとっては依頼人だろうに、舞は。
バカ丸出しの女と称された挙句に素行調査までされているのか。
そんな筋合いはないのだが、やはり少しばかしの同情を覚える。
「読みます」と、彼女は書類をそのまますぐに持ち直し、そこに視線を落としながら歩き出す。
「貴方との交際にピリオドを打ったあの日、彼女がその足でどこに向かったかご存知ですか?」
そんなの知ってる訳がない。
白夜叶愛は書類の一ページ目を捲る。
「とあるテーマパークにてジェットコースターに観覧車。
パンダやアルパカと戯れた後、イルカショー観覧。
綺麗な夜景の見える展望レストランで歓談。
そのまま夜の街を車でドライブにて雑談。
最後はホテルで密談」
視線の横を通りながら、更にページを捲る白夜叶愛。
上手く言ってるつもりなのか知らないが、雑談や密談は語呂がいいからとってつけてるだけで、恐らく全て彼女の推測だろう。
「テーマパークで楽しそうにはしゃいでいる写真、展望レストランで潮らしい表情を浮かべている写真、ドライブの信号待ちの間、キスしている写真、流石にホテル内の写真はありませんが、それが逆にリアルでしょうね。
勿論全て浮気相手の男性と、映ったものばかりです」
僕の横側を完全に通過してから更に三ページ目を捲る。
「別れ話の前日には映画も見に行ってますね。感動ものです。
別れ話をする際はこの映画の事でも思い出しながらさぞ号泣出来た事でしょうね。
一緒に服屋もまわったみたいです。
彼に一着コーディネートしてもらったみたいですよ。
これはこれは男性好みの軽装ですね。心当たりがおありでは?」
これ以上は聞きたくなかった。
聞くに耐えなかった。
「もうやめてください!」
僕は振り向き、例によって反対側の壁の本棚を背にした白夜叶愛に訴えた。
「もう十分です。もういいです…」
傷を抉られただけでなく、塩を練りこまれたような、そんな感覚を味わう。
「なんなんですか、もう。
これじゃまるで、いい笑い者じゃないですか、僕」
「私は笑っていませんが」
目の前にいた白夜叶愛が力強く言い切った。
はっきりと。
明確に。
一ミリも。
微笑も、嘲笑も、苦笑も、爆笑も。
ただ一つの笑みすら浮かべておらずーー
ただ真顔で、こちらの眼を見ていた。
ただ真顔で、こちらの心を見ていた。