救いの手 side:A
まずいことになった、と思った。
葵はこの高校に入学してからこの性格をほとんど隠さなくなった。
だが、こういった類を気にしなくなった訳じゃない。
こういった声に傷つきながらも、必死にもがいているんだ。
自分が自分でいるために。
だけど私はこういう状況を黙って見ていられるタチじゃない。
それが好きな相手なら尚更だ。
「お前らいい加減に―――」
いい加減にしろ、と口にした最中だった。
「笹原さん、待ってたよ」
いつから私達に気づいていたのか…。
星野はにこやかな表情で、自らこちらに近づき声をかけてきた。
「星野……」
「お昼、食べに行こうか」
「あ、あぁ…」
ふと星野の手元を見ると、コンビニのビニール袋に入った昼食らしきものと、文庫本を持っていた。
「鈴村くん、この小説貸してくれてありがとう。面白かったよ。あ、良かったら君もお昼一緒にどう?」
「え……」
葵は困惑の表情を浮かべていた。
当たり前だ。
葵は昨日だってやっとの思いで「王子」を誘ったんだ。
もし私が知らないところでそんなやりとりができていたなら、今日の私は必要ないはずだ。
「お前何言って―――」
「しっ」
星野は表情ひとつ変えずに私の言葉を遮り、周りには聞こえない小さな声で「僕に合わせて」と呟いた。
「鈴村くんも一緒でもいいかい?笹原さん」
「…あ、あぁ…」
私は星野に言われるまま合わせた。
すると葵に対する不愉快な声は瞬く間に消えていた。
「えーっ!もしかして王子と笹原さんってそういう関係なのかな…!?」
「うっそー…!」
代わりに私にとって不愉快な声に変わっていたが。
「さぁ、今のうちに行こう」
私と葵は星野に背を押され、教室の外へと出た。
「…大丈夫か?葵」
「………」
先程からほとんど言葉を発していない葵が心配になった。
顔を見ると心なしか青白い気もする。
「葵」
返事をしない葵の肩に手をかけたその時。
葵の体は大きく跳ね除けて、私の手を振りほどいた。
まるで人の手に怯える猫のように。
そこで我に返ったのか、葵はやっと口を開いた。
「まつりちゃん……」
「大丈夫か葵、顔色悪いぞ…」
「だっ、大丈夫大丈夫!」
葵は精一杯笑顔を取り繕ったつもりだったろうが、無理して作った笑顔なのは一目瞭然だ。
私はどう声をかけたら良いのか分からずしどろもどろとしていると、星野が「俺がそっちのクラスに行けばよかったね、ごめん」と葵に過った。
「あ、謝らないで…悪いのはアタ……ボク、だし…」
葵は決まり悪そうに言う。きっと葵は、星野に自分のそれをどう思われたのか気になって仕方ないのだろう。
当たり前だ。
今まで大半の人間は葵に対して好意的なやつなどそういなかった。
それどころか、好奇の目で見られることばかりだった。
先程のように。
ましてや自分が好意を寄せている人間に否定されたら、きっと葵は二度と立ち直れないんじゃないか。
私だったら。私だったらきっと立ち直れない。
こんな私でもそう思うんだ。
もしもそうなった時、私よりもよっぽど繊細で脆い葵の心はどうなってしまうのか。
だが、私のこの一抹の不安は杞憂だったらしい。
「君は悪くないだろう。君は君だ」
星野は難なく葵のそれを受け入れたようだった。
「え…?」
葵はもちろん私も拍子抜けを食らってしまった。
葵は葵のその言葉に安堵の表情を浮かべ、瞳にうっすら涙すら浮かべている。
だが私の中では疑念のような、何かが渦巻いていた。
「本気で言ってるのか……?」
「……そんなのにこだわるのはくだらないよ。……違う?」
星野の顔から一瞬笑顔が消えた。
だが、葵はきっと気づいていない。
恋する相手の救いのような言葉に、彼は高揚してしまっている。
「……ありがとうございます…」
「何で泣くのさ」
ははっ、と星野は笑った。
くだらない?
くだらないってどういうことだ?
「あ…っ、アタ…、ボク、先に行って席取ってきますね!」
そう言うと、葵はパタパタと上履きを鳴らしながら私と星野から遠ざかった。
「…行っちゃったね」
「…………」
コイツの本性を私は知っている。
だから葵に告白された時、正直手放しには喜べなかった。
「……ねぇ。どうして鈴村くんといつも一緒にいるの?」
葵はコイツが好きだが、私はコイツが少々苦手だ。
コイツの厚い面の皮が、私はどうしても気に入らないんだ。
「鈴村くんと一緒に居たら、君まで巻き添え食らうよ?」
そしてコイツのこの厚い面の皮を、学校の人間も、葵も、知らずに居るんだ。