1-3 異世界慕情と女子高生
お待たせしました!
呼ばれて飛び出て,およびでない!
「ぐわーははははは,まあ,あんたら好きに呑んだらええやん」
魔王は目的の人物を呼び寄せることができたせいか,すこぶる上機嫌であった.
王の間には巨大な木のテーブルが運び込まれ,あっと言う間に宴が始まったのである.
広間には罵声に怒声,嬌声やら何やらかにやらが響き渡る.
いわゆる一つの,どんちゃん騒ぎであった.
十畳ほどの大きさのテーブルの上には,得体のしれない食べ物が並んでいる.
目玉の煮つけ,カエルの煮つけ,昆虫の煮つけ,いや,煮つけばかりではない.
子豚の丸焼き,鳥の丸焼き,牛の丸焼き,よくわからない謎の生き物の丸焼きもある.
「ははは,こんなの,夢よ,夢よね」
自分に言い聞かせる彩音であったが,すでに頬をつねること数十回.手元に握りしめた腐女子御用達BLの薄い本が,何よりもこの現状が現実であることを物語っているのであった.
彩音は田中と並んで魔王の向かいやや右寄りに座っている.一応貴賓席らしかった.
父親の加齢臭もまた,これが夢ではありえないことを告げているのである.家で寝ぼけて父親の布団に寝てしまったという可能性は否定できないが,それは異世界転移よりもあり得ないことである.
父親田中――おっと,彩音も田中なのだが,恵一の方はへらへらと笑いながらずり落ち気味の眼鏡を押し上げ,これまた得体のしれない酒を飲んで赤くなっている.
「おや,彩音.お前も何か頂いたらどうだ?」
田中は言った.
「お,お父さん,食べられるものなんて,ないよ!」
失礼を働いてはいけない,と言うよりも,ひたすら周りをうろついているオーク達が恐ろしい.機嫌を損ねては食べられてはたまらないと思った彩音は,声を潜めて答えた.
「そうか? 結構いけるぞ?」
田中の取り皿に載っているもの,つまり肴は‘目玉’であった.
「栄養たっぷりだろ,ほら,DHCとか何とか」
それは化粧品とかサプリのメーカーであろう.それを言うなら,ドコサヘキサエン酸,DHAである.
大体この目玉は明らかに大きさからしてマグロのそれではない.すっかり異世界慣れした感のある田中であった.
「うえ……気持ち悪い」
彩音はテーブルの上を見回した.
強いていうなれば,中央やや魔王寄りに置かれた木のボウルの中にある謎のフルーツが食べられそうなものかもしれない.
だが,バナナ色の果物は丸く,リンゴ色の果物は四角い.
さすが異世界と言えば異世界である.というか,魔族の宴会なので人間の食べ物とはかけ離れているのである.
ボウルの向こうには例の怪獣,魔王がいた.
毛むくじゃらの顔に,ぐりぐりと丸い目を動かして何か飲んでいる.
美形の魔王が華麗にワインを飲むのとは全く違い,白く濁った濁酒をぐいぐいと飲んでいるのである.
でかい口の端から時々こぼれる液体を魔王は礼儀正しくナプキンで吹いているのであった.
「お父さん,ちょっと,ちゃんと説明してよ! いったいいつの間にこんな人たちと知り合いになったのよ?」
「えーと,前に酔っぱらって,酒屋の前で転んだときかな?」
「……」
まるで答えになっていない.彩音はこめかみを押さえた.
「魔王って,一緒になって何か悪いことしてるんじゃないでしょうね?」
「いやぁ……山田が丸焼きにされそうになったところを救ったり,接待したり.ライターをプレゼントしたり.別に何もないぞ.おお,知り合いと言えば勇者とか,エルフとかいう人たちも知り合いだ」
田中は麗しの女菩薩,ウィンディエルの姿を思い描き,鼻の下を伸ばした.
「勇者にエルフ? 何がどうなっているの?」
「あー,あんたら,仲良きことは善きこと哉,やね」
なぜか武者小路実篤なセリフを吐く魔王.
「いやいや,恐縮ですな,魔王様」
「ど,どこが,こんなオヤジと!」
照れる田中,怒る彩音.彩音のローファーは,田中の脛を蹴っていた.
「あんたのオヤジさん,大したもんやで.これ,見てみ.これ教わった飯なんやけど,いまやゴブリンの丸焼きと一日交替で食べとるんやで」
そう言うと魔王は,どんぶりいっぱいの茶漬けをザブザブと食べた.
だが,田中が教えた魚の干物茶漬けではなく,イモリの黒焼きというアレンジが加えられているところがなかなかにナイスである.
「これ,オシャレやろ? なんか,ハイソでセレブ,文明チックな感じがするんやない?」
むふー,と魔王は生臭い鼻息を出した.
「はっはっはっ! 相変わらずのご健啖でございますなあ!」
田中はからからと笑って世辞を言った.
彩音はドン引きである.しかし,父親田中の中では『魔王が自分を立ててくれた』と上機嫌,『これで娘が俺を見直している』と勘違い三昧である.
父と娘の間に横たわる溝は,現実世界と異世界よりも深いのであった.
「何言ってるんだか……」
あきれる彩音を尻目に,田中の接待センサーは次なる‘格好つけポイント’を見つけていた.
魔族の宴会はよく言えば豪放磊落,悪く言えば下品でまとまりがない.
さっきから骨付き肉やら食べかけ生肉やらが,宙を飛び交っている.
田中が見つけたのは,広間の端で所在無げにしている楽士であった.
楽士たちはパン,フォーンの一族である.すなわち,小さなヤギの角と顎,ヤギの下半身と人間の上半身を持っている.葦の笛と太鼓,チェロのような弦楽器を持った三人組だが,草食系のせいかブルブルと震えて‘か細い’音を奏でていた.
ハイソでセレブ,オシャレで文明チックな魔王の計らいか,音楽を演奏しているのだがこの大騒ぎではほとんど聞こえない.うっかり大きな音でも出そうものならオークに八つ裂きにされてしまいそうでもある.
「あー,タナカケーイチ,それで,アンタを呼んだ理由なんやが……」
「魔王様! 少々お待ちください」
言いかけた魔王の言葉を田中はさえぎった.
「はぁーん?」
微妙に不機嫌になった魔王を見て震え上がる彩音だが,少々頭のネジが飛んでいる?いや,異世界慣れしたサラリーマンは颯爽としているつもりで言葉を続けた.
「商談はまず,リラックスからでございます.この宴,みなさんに楽しんでいただくために,少々私に考えがございます」
「何? なんか面白いこと?」
魔王は興味を惹かれたようだった.
田中はツカツカとすり減った革靴の底を鳴らし,フォーンの楽士達に近づいて行った.
何やらぼそぼそと話している.
フォーンたちはおびえた目で相槌を打ち,楽器を構えなおした.
「皆さま! この中で,歌が得意な方はおられますか!?」
田中はテーブルの上に落ちていた動物の骨をマイクのように握りしめ,叫んだ.
「あちゃー,お父さん,何をする気……?」
娘の心配をよそに,ボソボソとオーク達は相談を始めた.
「おー,アンタら,誰か何か歌えんの? そこのドンナアルとか,得意やったんやない? ……そやね,上手いこと歌えた奴は,なんか褒美をやってもええで.スプリガンの村襲撃権とか,魔族の美人のおねーちゃんと結婚させてやるとか.あー,そーいや,ジョマノンイクリョのとこの,グリシャムとか,人気よね?」
興に乗った魔王の言葉に,オークたちは色めき立った.
ちなみに魔族の娘グリシャムは自分が賞品にされているなど全く知らない.魔王に民主主義を求めるのは無駄であろう.
あ,グリシャム殿の色気について知りたい方は,田中‘1’をご参照ください.間違っても,‘東の主婦は最強’の方を読んてはいけません.
「お,俺,歌います!」
赤っぽいオークの青年が手を挙げて立ち上がった.
「確か,声を大きくする魔法がありましたな.そこの方,できますか?」
田中に声をかけられたのは,彼の召喚の儀を執り行った魔法使いオババであった.
「は? いや,できるにはできるが?」
胡乱な顔でオババは杖に魔法をかけて見せたが,たちまち田中に杖を奪い取られた.そして,いつの間にか田中のネクタイは,頭に移動していた.
「こちらへどうぞ.では,お名前とご出身をお願いします」
ワンワンと広間の天井に響き,声がハウリングを起こす.田中はマイク,いや,魔法の杖をオークの口元に差し出した.
「カイア村のロッソ」
「どのような歌を歌いますか?」
「オーク旅情……」
フォーンたちが頷いた.知っている曲らしい.前奏の甘く切ない旋律が流れる.
田中の眼鏡が光った.
「皆さま,お待たせいたしました.旅は世につれ,歌は旅につれ.惚れた女が悪いのか.捨てた男が悪いのか.男は一人旅に出る.女の面影胸にして.それでは,歌っていただきましょう! オーク旅情!」
きぃたぁのぉおおおおおおおうみいぃいいはよおおおおお………
オーク青年の歌が始まった.
田中のイントロナレーションに,すっかり入り込んでいる.騒ぎ立てていたオーク達もいつしか田中の虜,いや,歌に聞き入っていた.
「おお……儂にも伝わってくる……皆の友愛の心が……そのもの,青き衣をまとい……」
以下略である.魔法オババは感動していた.涙ぐんでまでいる.
「こ,これは新しい娯楽やね.オシャレやね,行ける,これ行けるよ! これ,天下とれるやん!」
魔王は興奮している.
「ギャオギャオー!」
魔王の腹についた魔獣メル君も大喜びだ.
今ここに,異世界初の娯楽,‘生演奏カラオケ’が誕生した瞬間であった.
さて,あれこれあって歌い終わったロッソには,大きな拍手が送られた.
「ありがとうございました,ロッソさん.さあ,皆さま,もう一度盛大にロッソさんに拍手を!」
いつの間にか左手にマラカスのような楽器を握りしめている田中である.
「さて,次は?」
「お,俺も次,歌う!」
「俺も!」
次々とオーク,魔族,スプリガンやらゴブリンやらが手を挙げた.
「はいはい,では整理券を渡しますね.リクエストも書いてください.C-41とか.何? よくわからない?」
ハッスルする田中であったが,それを冷たく見つめる目があった.
一人は誰あろう田中の娘,彩音である.
「何これ……オヤジのカラオケじゃん」
ご明察.
曲もノリも,完全に彩音の言う通りであった.
リズムは演歌か歌謡曲である.
「下らん……ぬるいわ.魔族が何という体たらくだ.恐怖,それこそが暗黒面への道だ」
しかししかし,彩音でなくもう一人,冷ややかに見つめる者がいたのである.
どこかで聞いたような名言を呟くこの人物の正体は……?
と言っている間に,二曲三曲とカラオケが進行する魔王宮であった.
恐怖の象徴であるはずの魔王宮は,完全にカラオケボックスになっていた.
「あー,あんた,魔族の歌はええけど,あんたも何か歌ってや.異世界の歌とか聞きたいやん」
「おお! そうだ! 歌え! ケーイチ!」
「そうだそうだ!」
酒とカラオケで完全に上機嫌の魔族たちは,口々に叫んだ.
「え? 私? いやいや,私など」
田中は丁寧に謙遜したが,こういう場で断るだけでは一気に盛り下がることは承知の助である.というか,この場合こいつらを怒らせると食べられるのではないんだろうか.だが,そんなことを気にする能天気,無責任一大男ではなかった.
「えー?」
「ブーブー!」
ブーイングが飛び交う中,落として上げるのこの進行,田中砲は火を噴いた.
「私よりも素晴らしい歌い手がおります! 現役ピチピチ女子高生(死語)! 田中彩音の登場です! 皆さま,拍手,拍手!」
「おおおおお!」
ブーイングが一斉に歓声に変わった.
もちろん彼らは現役もピチピチも,女子高生も意味など分からないのである.
「ええ! 私!? ちょ,ちょっとやめてよ,お父さん!」
「はい,アヤネコール! ア・ヤ・ネ,ア・ヤ・ネ,ア・ヤ・ネ!」
「やめてよ! 私,歌うなんて言ってないし! 大体,アニソンくらいしか歌えないよ! 水樹○ナとか,藍井○イルとか……」
だが,狂った観衆,いや,酔っ払いオヤジと魔族は止められないのであった.全員訳も分からず手を叩き,アヤネコールを繰り返している.
「ええやん,ええやん,ニャニャとか,エールとか,よく分からんけど,お嬢ちゃん!」
魔王は恐ろしげな顔を楽しげにゆがめて言った.果物のボウルを引き寄せ,丸バナナを口に放り込もうとしている.
彩音は父親への怒りを通り越し,泣きそうになった.
だが,哀れな子羊彩音を救う出来事が突然起こった.
ドカン.
丸バナナが爆発した.
魔王の顔は安っぽいコントのように黒焦げになった.
「ふんぎゃー!」
叫ぶ魔王.
「何だ!?」
「魔王様!?」
魔王を気遣う家来たちの声が飛び交う中,広間のあちこちで爆発が始まった.
豚の丸焼きが,飾り物の甲冑が,花瓶が爆発する.
「反乱だ!」
「テロだ!」
彩音はどうしたらいいかわからず一瞬立ちすくんだが,自分のいる場所が危険なことは分かった.防災訓練のつもりで,テーブルの下にもぐりこんだ.
広間に太い声が響き渡る.
「馬鹿者め! 魔王が,魔族が何という醜態だ! われらは,この世に仇なす者! 恐怖でこの世を支配する者! ここに,我々大魔王党は魔王の退位を要望する!」
声はテーブルの上から聞こえた.頭上の天板が震えている.
彩音には見えないが,誰かこの反乱の首謀者が犯行声明を唱えているのであった.
彩音は鞄とアニメショップの紙袋を握りしめ,テーブルの下を移動した.
テーブルの脚の向こうに,あわただしく行き交うオーク達の足が見える.時折,高い金属音がした.戦闘が行われているようだ.先ほど歌を歌っていたオークの一人が,床に倒れこむのが見えた.
「ふふふ,暗黒の主の加護を得た我らが,負けるものか!」
「彩音,彩音!」
彩音が振り向くと,田中が同じようにテーブルの下に避難していた.
「お父さん……!」
さんざん先ほどコケにした父親なので,ここでガバッと抱きついたりは当然できないのである.それに乙女的には加齢臭の問題もあった.
「一緒に逃げよう!」
「どこへ? 元の世界へ?」
「それはとりあえず無理だ.とにかくここから逃げよう!」
熱と黒い煙が充満し始めた.
部屋の中は大混乱である.
広間の端まで這って移動すると,二人は立ち上がった.
見ると,テーブルを中心に黒衣の人物とオークの戦闘が行われている.多人数のオークをものともせず,黒衣の人物は手からほとばしる青い雷で応戦していた.
「おお,青い稲妻! 谷村○司!」
こんな時も呑気な田中であったが,しっかり者の娘の方は出口を見つけていた.
「お父さん,ここから早く逃げよう!」
次から次にオークの衛兵が駆けつけてくる.
それと入れ違いになるように,二人は外へ外へと逃げた.
まさかのマジ展開,田中が娘の信頼を勝ち得る日は来るのか?
気まぐれ更新続く!
ご要望ください!