1-2 異世界召喚
ドンドンドコドコドンドンドコドコ……
怪しい旋律と,頬にあたる冷たく硬い物.そして,枯草の様な臭い.
彩音は目を醒ました.
「げっ! 父さん! 気持ち悪い! くっつかないでよ!」
自分の体に覆いかぶさっていた父親――田中の体を跳ね飛ばし彩音は慌てて体を起こした.
「な……何これ……?」
自分は通りを歩いていたはずなのに……石板が敷き詰められた床に,自分は倒れていたらしい.田中はだらしなく意識を失ったまま,床の上に大の字でひっくり返っていた.
辺りを見回すと,怪しい音の正体が分かった.部屋の隅で,男が太鼓をたたいているのだ.男は見るからに怪しい.頭に角飾りのようなものをつけ,体には獣の毛皮をまとっている.虎皮のパンツは履いていないものの,鬼にそっくりだった.鬼コスプレの人物は,他にも何人かいて,部屋の隅に控えている.ある物は槍を持ち,ある物は鎧をつけていた.みんな体が大きく,日本人離れしたマッチョマンである.彩音はぽかんと口を開け,目を見開いた.
ちなみに枯草の臭いは,田中の加齢臭であった.
「ここ,どこ……?」
彩音はさらに室内を見回した.自分が倒れていたのは,どうやら部屋の中心である.部屋は四面全部が石造りで,薄暗い.かがり火がたかれ,傍には何やら巨大な鉄鍋が火にかけられている.フードを被った不気味な老婆が何事か呟きながら,鍋の中に何かよく分からない材料を放り込んでいた.
「こ,これ,何!?」
良く見てみると,自分の周りには謎の文字がかきこまれた円が描かれていた.
これは……ファンタジー物とかで見る,魔方陣だ.じゃあ,あの鬼はオーク?
彩音は直感した.そして,考えた.
1)これは,テレビのドッキリ企画物で,騙された人の反応を見る番組.いや,違う.私が何で巻き込まれるの? 芸能人と間違えられた.それはない.
2)コミケで知り合ったコスプレ仲間の集団が自分を驚かそうとしている.いや,違う.みんなそんなに暇じゃないし,あんな立派な体格のオークは見たことが無い.外人のコスプレーヤー集団が突然現れたならともかく.
3)怪しいカルト教団に拉致監禁されてしまった.うわ,これが一番ありそうじゃない.そして,自分は生贄にされるところなのだ.
「あ,あんた達,何者? ここはどこ?」
フードを被った老婆がピタリと手を止めた.
「魔王城じゃ」
「ま,魔王城!?」
見ると老婆の瞳は猫のように縦長で,髪の毛の色は緑色である.
「ちょっと,これ,何の冗談? ねえ,カラコンとコスプレでしょ,それ?」
「からこ? 何じゃそれは?」
老婆は首を傾げた.
ドン.
突然太鼓が鳴りやんだ.
「魔王様の,おなーりー!」
声とともに,部屋にいた人々全員がひれ伏した.
「これ,娘,お主も頭を下げるのじゃ」
老婆が言うが,彩音は何のことか分からず,目を瞬かせた.
「あー,みなのもん,面を上げぇやあ.まあ,リラックス,リラックス」
喋っている内容の割にはやたら大音響の声が,彩音の背後から響いた.彩音はゆっくり振り向いた.
「ひぃっ!」
そこには,ガウンを着た巨大な獣がいた.顔は毛むくじゃらで,大きな目をぎょろぎょろさせている.身長は約3メートル.頭には二本の太い角があり,アメリカのバッファローに似ている.だが,この動物は二本脚で,豪華な椅子に腰かけているのだ.しかも,何と言っても人間の言葉を喋っている.
「な,中の人がいるんですよね?」
『美女と野獣』の野獣,超リアルバージョンの着ぐるみか何かと思った彩音は尋ねた.
「はぁん? あんた誰? 中の人なんか,おらんよ.腹にメル君ならおるけどね」
「メル君!?」
彩音がそう尋ねるのが先か後か,怪獣はガウンの前を開いた.現実世界ならばただの変態行為,近所の痴漢である.だが,彩音の想像の斜め上を超える物がそこにはあった.
がおーっ!
巨大なネコ科の肉食獣の顔が腹についていたのだ.しかも,舌なめずりしている.獣臭い吐息が,彩音の方まで漂ってきた.これなら父親の加齢臭の方がずっとましである.
「あわわわ……」
漫画の様に気絶こそしないが,彩音は震え上がっていた.
何? これ,夢? そうか,私学校帰りに頭を打って気絶したんだ.
ははははは……
現実逃避しようとしたが,頬をつねれば間違いなく痛い.
「こら,お前,魔王様に対して失礼だぞ」
部屋の四方から先ほどの屈強なマッチョマンたちが近づいてきた.
ややつぶれた鼻に,口からむき出しの牙,乱杭歯.最新のVFXを駆使しても,このリアルさは出せない.どう見ても本物のオークだった.といっても,オークなど漫画かラノベの挿絵でしか見たことないのだが.
「まー,異世界の子供なんやから,しょうがないやろ.それより,そこで寝とる奴,間違いないん?」
魔王と呼ばれた怪獣は,関西弁と広島弁のミックスされた謎の言葉を喋っていた.これは伊予弁という愛媛地方の方言なのだが,何故こんなマイナーな言語を喋っているのかよく分からない.
「はっ.魔王様.どうやら間違いないかと思いますが,何分,ニンゲン族の顔は私たちには見分けがつき難く……おまけに,このサラリーマンとかいう種族は皆同じような格好をしていますから……」
鎧を着たオークが恐縮しながら田中を槍の石突で突いた.
「間違えとったら,アンタが食べればええやん.あ,メル君にもおやつを残しといてぇや」
そう言って魔王は自分の腹についた魔獣の頭を撫でた.メル君とは魔獣(頭だけだが)の名前らしい.メル君は「くうん」,と鼻を鳴らした.
「た,食べる?」
オークは何やら涎を垂らしている.太鼓をたたいていたオークなどは,すでに涎をこぼして口を拭っているのであった.
「わ,私,美味しくないですよ.きっと,これは何かの間違いよ!」
だが,間違いなら食べられてしまうわけだ.
オークは一層涎を啜りあげるのだった.
「ちょっと,お父さん! 起きてよ! 起きなさいったら!」
「うーん,もう飲めない……」
彩音は慌てて田中の体を揺らしたが,田中は気持ちよさそうに眠っている.さすが,バブル世代.どこかに何かが落ちている,万事勝手に上手くいくと考える世代である.ポストゆとり教育の彩音から見てもあまりに呑気すぎた.
「か,母さんに言いつけるから!」
その言葉を聞いた途端,田中の四肢が痙攣した.悪夢を見たかのように額に縦筋が走る.
彩音はここが極め時とばかり,ネクタイを引っ張って田中の首を滅茶苦茶に振った.
「うげえ,死ぬ!」
田中は慌てて起き上がった.
「こら,彩音,もう少しで死ぬところだったぞ」
「何を言ってるのよ,眠ってても食べられて死んじゃうのよ!」
「はて?」
田中はずり下がったメガネを整え,辺りを見回した.
ぐるり.
オークと怪しい老婆に視線をめぐらせ,魔王と目が合ったところで動きが止まった.
「ほら,あの怪獣! ちょっと,あれ,本物なんだって!」
シャキーン!
そんな音がしたかと思う勢いで,田中は立ち上がった.
「お,お父さん?」
田中恵一はツカツカと革靴の音を立て,魔王に近づくと深々と四五度の角度で頭を下げたのだった.
懐からすかさず抜き出される名刺.相手に名前が見えるようにひっくり返し,両手で丁重に捧げ出される.
「お久しぶりですな,魔王様.ニコニコ商事課長補佐代理,田中恵一でございます」
「あー,あんた,タナーカ.久しぶりやね」
魔王は鷹揚に挨拶すると,名刺を親指と人差し指のつま先でつまんだ.魔王が手にすると名刺は付箋並みの大きさである.
「お父さん……?」
彩音は呆気にとられたのだった.
こんなの書かずに,東の主婦の続きを書きなさいと檸檬さんに言われてしまった.
気まぐれで更新しますね.