1-1 女子高生 田中彩音の憂鬱
誰も希望しないのに,続きを書いてしまった!
前の物語は異世界サラリーマン田中で検索してみて下さい.
田中彩音は黙々と前を向いて歩いていた.
というか,横を向きたくないのである.
学校の帰りがけに駅の近くに行ってしまったのがまずかった.新しく開店したアニメショップでヤオイ同人誌などを漁ろうと,今日に限って何故考えてしまったのだろうか.
雑居ビルを出た瞬間,ばったり会ってしまった中年男.傾いた黒縁眼鏡,くたびれたスーツに猫背気味の背中,突き出た下腹,あふれる加齢臭.
要するに,自分の父親である.
自分の隣を歩いて何やらしきりに話しかけようとして来るが,ガン無視である.同じクラスの同級生にでも見られようものなら,「変態,この人痴漢よ!」と叫んで逃げる準備をしていた.
田中恵一は,相変わらずオッサン,ジャパニーズ・オッサンであった.
……と言っても,この話を知らない人から見れば何のこっちゃであろう.おっと,ちなみにこの物語は講談形式だ.一部の読者には白い目で見られているが,田中物語を落語か漫談のように語るという文体なので,悪しからず.突然筆者が自分の感想とか語り始めてもびっくりしないでおくんなまし.
人畜無害,自意識過剰,自己陶酔.傍から見ればこれほど面倒くさいものはないのだが.おっと,人畜無害と矛盾するではないか.
異世界に行ったら,未開な異世界人どもに自分のスキル(こっちの世界では全く普通なのだが)を見せつけて支配したり,問題をズバズバ解決して出世する.
異世界に転送されたら,魔法と剣の天才で魔王を倒す.
異世界に生まれ変わったら,モテモテ美女とか,ハンサム男.
異世界に行ったら,ニートが最強.
フムフム.あんた,そんな都合の良いことがあるわけでないでしょ.こっちの世界でも駄目な奴は駄目に決まってるだろ,という突っ込みの下に生まれた男がザ・田中だ.
田中はこう見えても異世界に召喚されて戻ってきた,異世界経験者である.異世界から帰ってきて何かが変わったかと言われれば……あまり変わっていない.
相変わらず会社では窓際族で,娘から罵倒される毎日なのである.少々打たれ強くなったというか,抵抗力ができたかもしれない.ゴキブリも一定の殺虫剤を使い続ければ免疫力ができるとかいうが,それに近いものなのか.
娘の彩音にとってみれば,何だか根拠のない自信を胸に強くなったゴキブリほど気味が悪いものはないのである.
例えば,今もこんな調子である.
「お父さん,あたし,あっち通って帰るから」
「お,あっちか? じゃあ,父さんも一緒にそっちに……」
「ついて来ないでよ.加齢臭が移るでしょ」
「うっ!」
田中の心を巧みに傷つける娘の言葉.しかし.
「……もうこんな時間だし,女の子の一人歩きは危ないぞ.父さんがついて行こうじゃないか」
「大丈夫だって.だいたい,襲われたら父さんなんて役に立たないじゃん」
安全国家日本.起こり難い身の危険より,カッコ悪いオヤジに離れてもらいたい娘心である.ちなみに彩音は田中の娘にしてはというと田中が哀れなのだが,そこそこの美人ではある.クラスで二番目くらい,アイドルグループの二列目の右から三番目くらいで若干ダンスのテンポが遅れるくらいと言えば分るだろうか? いや,分からんわ(反語).髪型は栗色のショートボブで,目も大きい.少し吊り目に見えるのは,田中を睨んでいるからである.しかし,彼女にはアニメオタク,しかもBL好きという立派な反社会的趣味があるのであった.
「むっ……いや,こう見えても,マドギワ族の勇者……何か分からないが,役に立つかもしれないということもあるかもしれない」
「何それ? 馬鹿なの?」
「くっ……父親に向かって馬鹿とは……」
「だって,窓際族って自分で言うなんて,馬鹿みたいじゃない」
田中が行って来た異世界には彼を神の様に崇め奉る‘マドギワ族’がいるのである.もともとピグミグ族という弱小部族で,魔王の餌になる存在だったのが何やかんやで田中に救われたということから,部族の名前を変えたのであった.
そんな微笑ましい(どこがだ)会話を続けながら二人は歩いていたが,住宅街の角を曲がったところで彩音の動きが凍りついた.
「あっ!」
コンビニの前に,男子学生が二人立っている.
「何だ,何だ?」
田中が彩音の肩越しに,コンビニの方を見る.ずり下がって来た眼鏡を押し上げるオッサン仕草.彩音は反射的に田中を蹴った.
「ちょっと,近づかないでよ」
田中は五メートルほど離れ,彩音の視線の先を確認した.
「おお! キャプテンだな」
「何それ? ちょっと,もう今から離れて歩いて」
田中の言うキャプテンとは,運動部主将系爽やか男子全ての総称である.運動部系と言っても,相撲部や柔道部,空手部も入れてはいけない.剣道部は小手が臭いから一見爽やかだがこれも駄目である.サッカー部とかバレー部とかバスケ部とか,ああいうやつだ.
心なしか彩音の頬が赤かった.田中は直感した.
「好きな男なのか?」
言わなければいいのに,言ってしまう田中である.彩音の顔は真っ赤になった.
「馬鹿なの? 何言ってるの?」
「お前もお年頃だなあ」
田中の頭の中に走馬灯が走る.赤ん坊だったころ.入園式の桜.初めてのランドセル.学芸会に運動会………しみじみするのは結構だが,彩音の怒りに火をつけたのは気づかないのであった.こういうデリカシーのなさが悪いとは,本人も全く思っていないのである.
「も,もう,あっち行ってよ!」
カバンを振り回して田中を追い払った彩音は‘はた’と気付いた.何とそう言えば,アニメショップの紙袋を下げているではないか.やや恥ずかし目のアニメ絵柄に,明らかにそれと分かる大判ポスターがグサグサと刺さっている.広げれば何とかの王子様的美少年が半裸で見つめあっている絵柄なのだ.しかしそれにしても,さっきオタクな店から出てきたのは丸わかりである.
憧れの北条君……
生徒会の役員で,成績優秀,バスケットボール部所属.すっきりした目もとに,サラサラの髪.身長は百八十センチ.好きな人のタイプは優しい娘.血液型A型,趣味は……
彩音の脳裏を憧れの君のデータが走馬灯というより暴走したコンピュータの様に走る,走る.
コンビニ側から見えないように反対側の手に紙袋を持ち,素早く,そしてにこやかな好印象を残して一撃離脱,すり抜けようと覚悟を決めた彩音であった.
「ちょっと,待ちなさい……」
ちょうど意を決して通りに出ようとした瞬間,オッサン,いや父親の手が自分の左腕をつかんだ.
「離せって……!」
無理矢理振り払おうとして,彩音はバランスを崩した.
倒れる.
車が向かってくる.
北条君が自分の方を見る.
スローモーションのように色々な映像が流れていく中,再び自分の手を取る力を感じた時……
彼女は,地面の中に吸い込まれるように沈んでいった.
え,短いって?
気まぐれ投稿で続きますからね(誰も望んでいなくても).