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五 東

 戦う有象は、鬼のようであった。


 睦は、それを木陰から見ていた。目をそらすことも出来た。木の幹に顔を押し付けてぶるぶると震えていることも出来た。

 けれど、彼女は右目だけを木の陰から出した状態で有象を見ていた。


 最初の一騎目は、馬ごと大槌に薙ぎ倒された。誰何もなしの一撃目だった。後に有象は、「鹿崎を見て馬を止めようとした。それで十分だ」と言った。そしてその判断は正しかった。


「そうれ!」


 人の身以上の重さがあるのではないかと思える鋼の大槌も、有象にかかれば木槌のように振り回される。決して軽やかには見えないが、それにほんの少しでも掠ろうものなら、風圧で肉すら抉られる力に見えた。


 木の側にしゃがみ込んで耳さえふさぐ姫の背を、鹿崎が優しく撫でている横で、睦は有象が最後の一人の骨を砕くところまで、しかとその右目で見た。

 恐ろしくはあった。

 恐ろしくはあったが、睦はそこに夫の面影を見た。姿かたちが似ているのではない。戦い方が似ているのではない。何も似てなどいない。

 ただ、睦が知っている武人の味方が、夫のほかに有象しかいなかったからだ。この戦う背中に、睦は夫の強さを探そうとしていた。


 彼女は、自分が変わったことを知った。姫のようにぶるぶる震えるだけではなくなったことを知った。

 有象の戦う姿を頼もしいと思うことが、あの日の夫の戦う姿を肯定するように感じられた。


「ふぅー、こんなものだな」


 大槌を逆さに地面に立て、柄に腕をかけた有象が大きく息を吐く。「もう出てもいいぞ」とこちらに声をかける。有象の側には、男たちの屍が倒れ伏していて、とても姫は出ていくことは出来ないだろうに。


 しかし、睦は木陰から出た。姫を鹿崎に任せて有象の元へと歩み寄った。

 彼女は懐から懐紙を出して、大きな男へと差し出した。


「頬に血が……」


「んあ?」


 有象はそれにいま気づいたように手で自分の頬を拭う。しかし、それは血を頬にこすりつけるに過ぎなかった。返り血ではなく、彼の頬そのものが少し切れていたため、また次の血が浮き上がる。


「痛くはございませんか?」


「戦っている時は、何も感じんな」


 手にも頬にも血が広がったことに気づき、ようやく有象は睦の差し出す懐紙を受け取って握りつぶすように頬に強く押し付けた。


「……夫も、前にそう申しておりました」

 

 ぽつりと、睦は言った。戦う姿そのものは見たことはないが、戦いの後に小さな傷をこしらえて帰ってくることはあった。かすり傷だと言われたが、睦は心配でしょうがなかった。


「戦っている時は、痛くはない」と言われても、戦いを知らぬ睦が安心出来るはずもなくおろおろするばかり。逆に夫に笑われてしまった。

 しかし、強いと言われるあの夫が、小さいとは言え怪我を負ったのだ。いまの睦ならば分かる。夫もまた、このような戦いの中をくぐり抜けてきたのだ、と。

 血に汚れた懐紙を、有象は頬からひきはがした。


「……誇っておるか?」


 まだ汚れた頬のまま、彼は聞く。あの日、睦に言った言葉だ。


「はい、誰よりも誇らしく思っております」と、彼女は目を伏せて答えた。戦いというものを、この目で見たからこそ分かることもある。恐ろしい屍の横に立ちながら、自分が笑っていることに気づき、睦自身が驚く。


「笑え笑え。笑うとメシがうまいぞ……ああ、力仕事をしたら腹が減ったな。鹿崎、メシはまだか」


 豪快に笑いながら、有象はまだ木陰で震える姫の相手をしている鹿崎に声をかける。

 だが「血を全部拭くまでこっちに近づいてくるな」と、鹿崎に釘を刺されてしまい「馬鹿馬鹿しい」と彼は大槌を担ぎ直しながら嫌そうな顔をしたのだった。



 ※



 その後も追手は時折襲ってきたが、大人数ではなかったため有象の大槌の餌食となった。

 二の皇子は有象のことを知らず、鹿崎くらい武の才のない男であればその程度でひねりつぶせると思ったのではないか、というのが鹿崎の見立てだった。

「このくらいが良いのです」と言われたが、睦からすると追手はない方が良いのではないかと不思議に思った。


「相手の大将が大うつけでなければ、そろそろ敵も数を増やすものだがな……頭でっかちの鹿崎よ、ちゃんと考えているか?」


 有象は怪訝そうに顔を顰めている。そうすると怖い顔がなお怖くなり、姫は袖で彼の方を見ないようにしていた。


「言われなくとも考えている。桂の君のところに到着するまで、お前は全ての敵を叩き伏せればよい」


 有象に怯えると、最近姫は睦ではなくて鹿崎に寄り添うようになった。睦としては少し寂しいが、良いことだと思えた。頼りになる殿方が側にいるのは、本当に心強いことだろう。変わってゆくのは自分だけではないのだと、姫の心の動きを彼女は見守っていた。



 そして彼らはついに、桂の君が住まう屋敷へとたどり着く。途中から車を用意出来たおかげで、姫と睦は足を休めることが出来た。


「こちらにおわすは、一の皇子の三の姫皇子ひめみこにあらせられます。兄上に当たられる桂の君にお目通りしたく存じ上げます」


 鹿崎は、堂々と姫を口実に使った。睦は驚いた。姫の身を案じて共に旅に出たとばかり思っていたというのに、まさかここで面会の切り札のように使われるとは。

 姫はよく分かっていないように首を傾げ、有象はあらぬ方を見ながら、耳などかいている。


 屋敷の門番の一人は、鹿崎の言葉に険しい表情を見せた後、中へと消えて行った。睦はいやな予感がした。歓迎されていないのではと感じたからだ。


 ようやく案内されたが、睦と有象は別室で控えていることになった。


「鹿崎がおらんとせいせいするわ」と、有象はどすんと部屋の真ん中に腰を下ろした。睦は邪魔にならないように端に座る。


「……」

「……」


 二人になったとしても、話すことがあるわけでもない。障子を閉められてしまったため、見るものもないまま睦はただ黙っていた。

 いや、有象に聞きたいことがないわけではない。だがそれは立ち入ったもので、とても殿方に自分から問いかけることは出来なかった。


「少し寝る。あいつらが来るか、用事がある時に起こせ」


 有象もすぐに退屈してしまったらしい。他人の屋敷だというのに気にすることなく、そのままごろんと寝転がった。

 鹿崎に命令されない限り、彼はとても自由な振る舞いをする。驚くこともしばしばだったが、睦は大分慣れつつある自分に気づいた。すぐさま寝息を立てるその寝つきの良さに、ふふふと笑って睦は静かに目を伏せた。何だか自分も眠ってしまいそうだった。


 だが、しばらくして外がにわかに騒がしくなる。ぱちっと目を開き、何事かと顔を音の方へ向けようとした時には、既に有象が飛び起きていた。


「来たか」


 遠慮なく障子を開け、有象は荷箱を担ぐと大股で外に向かって歩き出す。わけが分からないながらに、一人で残るわけにもいかず、睦も慌ててその後を追った。


 有象について縁を歩いてゆくと、こんな大声が聞こえてきた。


「ここに鹿崎が来ておろう!」

「無礼な! 何奴!」

「我らは二の皇子様の遣いであるぞ。隠すとためにならぬ。鹿崎をすぐに出せい」

「いくら都のやんごとなき御方の遣いと言えど、無体な真似をなさいますと良くないことになりますぞ!」


 門の方向から繰り広げられる押し問答の様子に、睦は目を耳を奪われていた。だから、目の前で有象が止まっていたのに気づかずに、その背にぶつかってしまう。


「ああっ、もうしわけありませ」

「あれだ。あれが鹿崎の仕掛けだ」


 しかし、有象にとって睦がぶつかったことなど、猫がぶつかった程度にしか感じていないのだろう。気にすることもなく、全てを噛み砕けそうな歯を見せて顎で声を指す。


東者あずまものは気が荒い。武に優れた者も多い。おまけに、都に対して妬み心も持っておる。さあさあ、あの無礼な振る舞いが、どうなるか見物しようではないか」


 そして有象はその場に座り込んだ。睦はどうしたらいいのかと周囲を見回すものの、使用人たちは何事かと門に集まって行くところで、誰も縁にいる二人のことなど気にかけてもいない。

 仕方なく、睦も有象から少し離れて腰を下ろした。


 先ほどまでの閉ざされた部屋と違う開けた縁で、よく手入れのされた庭は目に美しい。あの言い争う声さえ聞こえなければ、何と心休まるところだろうかと睦は思った。


 門での言い争いは、次第に大きな騒動へと発展してゆくのが分かる。長物を持った男たちが、どんどん屋敷の中から飛び出してくるからだ。


「もっとやれ、もっとやれ」と、無責任に有象が笑う。


 彼がその調子であまりに騒動を軽く扱うため、そんなに心配いらないのではないかと、睦はすっかり錯覚してしまったのだった。



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