プロローグ
どこか既視感を覚えることがあった。実際には一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したことのように感じることである感覚。別の言い方をすれば、デジャヴと言われるそれ。相談しても「あら、難しい言葉を知っているわね」と母に流され、自分でも不思議に思いこそすれ、なにか日常生活において困ったことがある訳でも、なにか対処法があるわけでもないから放置していたんだけど。
どうやら、そう呑気にはしていられなくなったようだ。
夕方、公園から帰るとこの時間帯には珍しくお父さんが座っていた。反対側にはお母さんが座っており、なにかぶつぶつとつぶやいている。
「とうさん?かあさん?」
「あ、明奈。」
「おかえりなさい。すぐにご飯作るからね。」
私の声に気付いた二人はハッと顔を上げ、お父さんは私の頭を撫でて母さんは立ち上がった。どこかぎこちな笑顔だった。
晩御飯を終え、「もう遅いから早く寝なさい」と母さんに促され私は布団に潜り込んだ。まだ8時にもなっていなかったから正直眠くはなかったが、どこか様子のおかしい両親のそばにいるのも不安だったこともあり、目を閉じた。
5分か、10分か、はたまた1時間か。実際にはとても短い時間だったのだろうけれど、とても長い時間が経ったように感じた。布団で横たわる私から離れ、母さんは隣のリビングへ移動した。
「…あの子は?」
「眠っているわ。いつもより早い時間だったからか、なかなか寝付けなかったみたいだけど」
ガチャガチャと音がし、しばらくすると音が聞こえ始めた。時折チーンと音が流れている。確かこの曲は、ルロイ・アンダーソンのタイプライター。
「・・・それで?」
母さんの声が響く。陽気な曲とは裏腹にどこか冷たい声だった。
「ああ。…あのな」
「ええ、なあに?」
沈黙が続く。その間もCDは流れ続け、既に曲の終盤に入っていた。
「・・・リストラ、されたんだ」
刹那、サラサーテのツィゴイネルワイゼンの冒頭部が流れた。吹き出さなかった私を誰か褒めて欲しい、冗談だけど。
意識して息を整えた私はそっと布団から抜け出して、ふすまからリビングを覗き見た。クリーム色の壁紙に包まれた部屋に、対面に成るように置かれたソファー、そしてそこに座る両親が視界に入った。父親の顔はうなだれていてよくわからないが、母はいつもどおりの物柔らかな微笑を浮かべていた。しかし、背後でブリザードが吹き荒れているようにみえた。
流れてくる音楽のせいで聞こえづらいかったが、話をまとめると、上司の失敗の責任を取らされて会社を不当にリストラされたらしい。また、会社の借金も押し付けられた、ということだった。
しかしこの光景、どこかで見たことがあるような気がする。気のせいだろうか。
いつの間にかベートーベンの序曲レオノーレに変わっており、しかしその音量に負けないくらいの声のやりとりが響く中、私は布団に潜りこんだ。
朝起きると、父さんはどこか遠くを見つめていて、母さんは忙しそうに動いていた。
「あら、おはよう、明奈」
よく眠れた?と声をかけてくる母親にうん、と頷き椅子に座った。
「明奈ももう5歳だものねぇ…」
しみじみとつぶやく母の声をBGMに、朝食として出されたトーストを食べ、スープを飲む。食後、いつもどおり公園に行くと伝え、家を出た。
なんとなく、いつも行く公園に行く気分ではなかったので、近くの河川敷へ足を運び直した。
ぴよぴよカッコーとなく信号機、遠くからガタンゴトンと聴こえる電車が走る音。
以前来た時はあまり意識していなかったが、雑草の中にタンポポやシロツメクサが生えていた。土手には桜の木が並んでおり、花弁が風に舞っていた。
いつもどおりの日常。
しかし、どうしてだろう。どこかで見たことがあるような気がするのは。いや、いつも見ているものなんだけれど、どこかが違う。薄い膜というか、なにかを通してみているような、そんな不思議な感じがする。
頭をふり、ゆっくりと周りを見渡すと、黄色いボールが草むらの中にあった。周りには誰も居ない。
ボールはサッカーボールくらいの大きさで、そういえば昔、縄跳びや登り棒ができなくて、男の子たちに混じってサッカーをしていたことを思い出した。先生が心配してお母さんに連絡したんだっけ。
懐かしいな、と笑ったその時、針でさしたような痛みが頭を走った。
一瞬のことで気のせいかと思ったのだが、徐々にズキズキとした痛みは大きくなっていき、耐え切れなくなって目を閉じた。
痛い、イタイ、いたい、イタイ…
なんで?わたしはなにをかんがえていた?
さっきなにをおもっていた?
ただ、幼稚園の頃を思い出しただけ。なつかしいな、っておもっただけ。
あれ、わたし、まだようちえんにかよっているよ?このまえ、みんなでおおなわであそんだよ?
ズキン、ズキン、と痛みが強くなっていく中、わたしは目を開け、視界に入った黄色いボールを八つ当たりするように力強く蹴った。
蹴ったボールは、弧を描きながらおちる、はずだった。
数秒前まで頭が痛かったのが嘘のように、目を見開く。
ボールは、火のようなものを纏いながら、近くの木へめり込んだ。
もう一度いう、木にめり込んだのだ、ボールが。
しばらくすると、ポンポンと弾んで地面に落ちたのだが、木はまるで火に焼かれたように黒く焦げていた。
呆然とそれを見ていると、突然頭のなかに様々な情景が流れ込んできた。
ビュービューと風が強く吹く音が聞こえる中、わたしはただただ呆然と立っていた。
「…あぁ、そういうことか」
どこか既視感を覚えることがあった。実際には一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したことのように感じることである感覚。別の言い方をすれば、デジャヴと言われるそれ。相談しても「あら、難しい言葉を知っているわね」と母に流され、自分でも不思議に思いこそすれ、なにか日常生活において困ったことがある訳でも、なにか対処法があるわけでもないから放置していたんだけど。
どうやら、そう呑気にはしていられなくなったようだ。
激しく吹き荒れていた風はおさまり、そよそよと静かに草を揺らしている。
「わたし、転生したんだ…異世界に」
肯定するように、風が優しくわたしの頬をなでた。
先ほどのボールが火をまとったのは、風が激しく吹き荒れた原因は、わたしのせい。
そして、これは多分”魔法”というもので。
「ここ、あの物語の世界なんだ…」
詳しくは知らない。ともだちがおすすめだと言って持ってきたゲーム。たしか題名は『僕の物語』だったかな。
他人の空似だ、という言葉があるように、他世界の空似だ、と言われたら元も子もないけれど。
そういう言葉で片付けてしまうには、あまりにもそっくり過ぎた。
「そういえば…私の名前って」
鬼丸明奈
先ほど偶然とはいえ出てきた魔法は火と、おそらく風。
昨日父がリストラされ、借金を背負わされた。
今のわたしは5歳。世間一般から見ても、幼いと見られる年齢だろう。
そして、これらの条件をすべて満たす少年の存在をわたしは知っている。
『僕の物語』の登場人物だった彼の名前は、鬼丸明斗。
主人公たちと敵対する、幼いころ家庭環境が悪かったせいで性格歪んじゃったツンデレ少年。
「ということは、転生ではなくて、転成、なのかな?」
生まれ変わって成り代わる、という意味で。
そんなことを思いながら、今度は意識してボールを蹴る。
風を纏いながら力強く弧を描き、桜の木にあたった。ピキっと音がなったのはきっと気のせい。
「確定、かな?」
前略、前世のお父さんお母さん
どうやら私、ゲームの世界へ転成したようです。
そしてともだちへ。
貴女が薦めてくれたゲームの世界のようで、貴女のお気に入りだったツンデレ少年に転成したようです。
しかし、内容は殆ど覚えていません。
なので、気ままにのんびりと頑張ろうと思います。
そんなことを考えながら、私、鬼丸明奈 5歳は黄色いボールを持って急いで家に帰ることにした。
決して、桜の木が不自然に揺れたからとか、自分がやったせいだとバレるのはまずいとか、そういうわけじゃないんだから!
「・・・ほぅ、これはなかなか」
対岸から見ている視線に気付かず、少女は走った。
---ー非日常は突然に