愛することを知らない少年
彼女が訪れてから、何もかもが変わった。
それは僕らの平凡な日常が壊れたのか、逆に歯車が噛み合い始めたのかは分からないけれど、確かに、確実に僕らは変わっていった。
それが良かったのか。
悪かったのか。
あえて言わないでおこう。
僕にもよく分からないから。
僕の周りの人は皆、少しズレている。僕も少しズレているが、僕はそれを統括するような立場だった。
これは、自分を含めた普通ではない人たちの話だ。
つまらないと思うだろうか。
分からないと思うだろうか。
それがきっと正しい。
ただ、この話を僕の中だけで終わらせたくなかった。
ただ、それだけ。
さぁ、始めよう。
ある夏の夜の、夢のような話を。
僕は愛することを知らない。
突然何を言うのだろうと思うだろうか。しかし、これは嘘なんかじゃなくて本当のことだった。
愛することができない。
何かを好きになることもできない。
物心ついた時からそうだ。
僕は今住むこの静かな村も好きになれない。
学校で一緒にいる友達のこと好きになれない。
僕に好意を抱いてくれてる女の子も好きになれない。
…それは過去のちょっとしたトラウマが原因なのだろうけれど。別にそんな自分を変えたいと思ったことはなかった。
ということを、目の前でサンドイッチを黙々と口に運ぶ銀に言ってみた。
「うん。俺は君のそういうところが好きだから。いいと思うよ」
「そういうところって、僕が何も好きになれないっていうこと?」
「そうさ。君は他の人とは違う。たくさん友達や親友を作って、部活に熱心に取り組んで、自分の趣味を楽しんで、好きになった女の子とランデブーする。そんな普通の人とは違うんだ」
銀は眼鏡越しにその紅い瞳で僕を見つめる。
白い髪に白い肌、血の色の紅い目をした銀はアルビノで、僕の友達だった。
アルビノとは、簡単に言えば生まれつきある色素が薄く、髪、肌、瞳の色が白くなること。銀の瞳が紅いのは色素がほぼないため、血の色しているからだった。瞳に色素が無いと光を取り入れるのが難しいため、アルビノの人は大抵目が悪い。銀も眼鏡をしているが、ほとんど何も見えないらしい。授業や勉強の時は特殊な眼鏡をしているが、普段は度の強い眼鏡をしているだけだった。
「君は他の人とは違う。俺みたいにね」
「そうかな?アルビノの人は君以外にも何人もいるけれど、何も好きになれない人なんているわけないと思うんだ」
「この村の中での話さ。中学生の俺たちを語るのは村の中限定で充分だ」
銀はずっと笑みを絶やさず話す。彼は一人でいるときはいつも無表情で話しかけにくいオーラを纏っているが、僕と話すときは子供のように無邪気な笑顔で、そして静かにものを話す。
彼といるのは、嫌いじゃない。気を使わずにいられるから。
銀もきっと同じように思っているのだろう。
けれど、僕は彼が怖い。
彼は、とても美しい。
白い肌、髪に紅い瞳と唇。ゲームの中のファンタジーの世界から来たかのように、現実味の無くガラスのような透明感。
少し触れれば、壊れてしまうような、そんな感じ。
僕は彼に気を使っていない。
けれど、見えない一線を超えてしまえば、彼はきっと壊れる。
そう、思えた。
「君は、自分のことは好きかい?」
「好きになれるわけがない」
「俺のことも?」
「うん」
僕は躊躇をせずに言う。ここでためらえば、きっと彼は少しだけ、壊れてしまう気がした。
すると彼は、クスクスと笑う。
「ふふふ。それでこそ、俺が好きな君だ。そこで君が好きだとか、少しでも躊躇うような、嘘つきや普通の人と同じ反応を見せていたら、俺は君から離れていたかもしれない」
「うん、知ってる。分かってるよ」
僕は彼のことを彼以上にきっと知っている。彼とどのように話せばいいのか分かる。彼は話し相手にどうしてほしいのか自分でも分かっていない。そのせいで、彼はよく他人を、自分を傷つけた。
彼は普通のことや躊躇いが嫌いだ。
それは、中学生になって初めて彼を見て、しばらくたって知ったことだった。
「君の周りの人は普通の人がいない。一緒にいて飽きないよ」
「僕の周りって…紋芽のこと?」
「そう。あの子、本当見ていて面白いよね。話しても面白いけど」
紋芽は、僕の幼なじみの同級生の女の子。この村に唯一ある神社の神主の一人娘だ。彼女は銀以上に人見知りをして、僕と銀以外に誰か同級生と話しているところを滅多に見たことがなかった。
日本人形のように黒髪を短く切っている彼女は妖しげな雰囲気を持っていて、銀とはまた違う美しさを持っていた。
「今日は今度の夏祭りの準備とかで休みだって。毎年の事だけどね…」
「夏祭りか。それは夜に行われるのかい?」
「うん。だから、銀もきっと楽しめるよ」
「そっか。今までは紋芽が色々忙しかったらしいから行っていなかったけれど…、今年は銀と三人で行けたらいいね」
「夏祭りなんて、本で読んだことがあるくらいだ。一度でいいから、君たちとだったら行ってみたいかな」
銀は面白そうにクスクス笑う。
彼は、その容姿で昔から友達がいなかったという。小学校の頃は片手で数えられる程しか行ったことが無いらしい。夏祭りなんて、行ったことも見たことも無いのだろう。
…しかし、中学に入って僕と紋芽が友達になってからは、ほとんど学校を休んでいない。でも、僕が風邪で学校を休むと、彼も学校を休むようだ。一人はつまらないからなのだろうけれど、何故、彼に連絡をしたわけでもないのに僕が休むことを知っているのかは疑問だった。
「じゃあ、今日、もしくは明日、紋芽に頼んでみよう。今年は仕事が少ないって言っていたからね」
「うん。楽しみだ」
彼はいつも笑っているが、その笑みにもいくつか意味がある。
今の彼の笑みは、とても嬉しそうだった。僕も、つられて笑みをこぼす。
夏祭りは、一週間後だった。