【練習作】異世界トリップ(地味女子) 立ちくらみのち異世界
これ自体はエッセイではないので、ここに続きとして投稿するのはどうかとも思いましたが、この練習作を書いたときに思ったことなどを散文的に書きたいなぁ、と思いましたのでここに投稿致しました。不快に思われましたら申し訳ございません。
仕事を定時で上がって、寄り道もせずにまっすぐ、最寄り駅から自宅へと向けて住宅街を歩いている。クリスマスも間近になり、寒さに鼻先を赤くしながら、私…湯出あずき、26歳女性…は生温い溜息を吐いた。
(毎日同じことの繰り返し…)
白くなっては消えていく溜息を見やり、また溜息を吐く。
仕事はデータ入力で、お世辞にもやりがいがあるとは言えない。業務上では大事なことで、必要なことではあるけれど。淡々とした作業。それをやるのは別に私でなくても構わないのだ。もちろん仕事があるだけ有難いと思って真面目にやっているけれど。
趣味といえるものもなく、強いて言えば読書か。けれど好んで読むものは文学作品…ではなくライトノベルとか。好きな人にとっては素晴らしい作品であることは変わらないけど、一般受けするかはちょっと自信がない。考え過ぎかもしれないけど。
付き合っている人は、今はいない。過去にいたことはあったけど、いつの間にか連絡をとらなくなっていった。小さなすれ違いが重なりあっての自然消滅だ。友達はいるけれど、社会人になって少ししてからは会って遊ぶようなことも減っていき、メールや電話で話すくらいだ。それもたまに。
(毎日、同じことの繰り返し…)
こんなつぶやきも、日々、繰り返している。
不満があるわけではないのだ。つまらない仕事だって、同僚や先輩はいい人達だし、小説を読むのも楽しい。恋人はいなくても友達はいる。そして病気も怪我もしていないのだから、毎日を繰り返せる幸運に感謝こそするべきだと。
「…っ」
ふいに、立ちくらみがして、額に手を添えた。
くらりと揺れる感覚に気持ちが悪くなる。倒れるほどではなさそうで、目を閉じながらそれをやり過ごす。急に、なんだろう。体調を崩していたわけでもないのに。目蓋で塞がれた黒い視界にチカチカする白い光のようなものが見えて、そういえばクリスマスのイルミネーションを飾っているお宅が増えてきたなと思い出す。冬の帰り道、街灯が少ない道でのあの明滅はけっこう目に焼き付く。光にでも酔ったのだろうか。
揺れの感覚はおさまったけど、瞼の裏の、さっきからチラついていた白い光が広がっていく。なんだか耳鳴りもしてきた…。
突然に見舞われた体調不良に、冷たい汗が滲む。痛くなる耳に、目をぎゅっと閉じることで耐える。
苦し紛れに思い浮かぶことは、毎日の繰り返しを嘆いていた自分。もしこの立ちくらみが、悪い病気が突然発症したのだとしたら、と想像して怖くなる。そして自分を励ますために、大丈夫だこれが過ぎればまた平凡な毎日が待っているんだと必死に唱える。最初は小さくチラついていただけの白い光は、今や目を閉じていても視界が白く染まるほどになり。
突如、ガヤガヤ、と雑踏が耳に飛び込んできた。
理性の上げる静止の悲鳴が聞こえたが、状況の確認を求める本能に弾けるように顔を上げ、目を開けた。私は今、帰宅中で、ラッシュ手前の混んでいない電車に乗ったのだ。駅からの道だって、数人と行き違うことはあっても静かなもの…のはずだった。
「なに…これ?」
目に飛び込んできた光景に、思考が止まる。
行き交う人々、降り注ぐ陽の光、商店街だろうか道の両側から威勢のいい声がする。何を言っているのかはわからない。外国にでも来てしまったのかと思ったけど、ほんの数秒前まで、私は家に向かって歩いていたはずだ。そこは日本で、しかも夜だった。
「まさか…、異世界トリップ…とか、ね?」
最近のネット小説なんかで流行っているテーマだ。私も好きで、よく読んでいる。異世界に行ってみたいと思ったこともある。でも、それは、あるわけないと思っているからこそ、安心して願えるのだ。私には、このありえない事態に痛いほど締め付けられる心臓も、極度の緊張と恐怖で痺れるくらいに震えている体も、制御することは出来そうにない。
(うそだうそだうそだうそだ…っ)
人々の髪の色がカラフルに、陽の光を反射している。着ているものも、洋風というかファンタジーっぽいというか。もし本当に異世界に来ていたとして、チート能力とかあったりなかったりして、優しい美形が助けてくれるとか、そういう展開があるんだとして。それなら、喜んでもいいのかも、と読み漁った小説のストーリーを思い浮かべてみる。さっき、夜道を歩いていた私は繰り返しの毎日に辟易していたじゃないか。それなら小説の主人公たちみたいに、ここで新たな人生をスタートすればいいじゃないか。
「うぇ…っ」
妄想じみた考えで自分を励ましてみたけど、体は正直とはよく言ったもので、受け入れられない事態に胃から嫌なものがせり上がってきた。苦しくてむせて、鼻まで上ってきた刺激に涙目になる。そんなゲホゲホと咳き込む私に気がついた人が、何かを言いながら、こちらに近寄ってきた。
「fdkfnauihta、kanudbamnvahgf!?」
どこの言葉だろうか、さっぱり意味がわからない。表情を見れば敵意のようなものは見受けられないけど、なにか焦っているような必死なような感じがした。もしかしたら保護してくれるのかも、と思ったけど、信用することを拒否するかのように、無意識に足が一歩、後ろへ下がる。
なおも何かを言いながら私へと手を伸ばす人。掴まれた手からは生きている人間の温度と、ちょっと汗ばんだ感触があり、生理的嫌悪感が生まれた。手を振り払おうとしても、離してもらえず、離してくださいと震える唇でなんとか伝えても、通じていないようだった。
そうこうしているうちに、周囲の人たちが私たちを興味深そうに囲んでいた。飛び交う野次はやっぱり意味がわからないけど、どちらかというと盛り上がっているようだった。祝福するように手を叩く人、囃し立てるように口笛を吹く人、羨ましそうに眺めている人。誰も、私を助けてくれるような人はいなかった。いや、この状況で何をしてくれたら助けになるのかは、わからないけれど。
(もうやだ、なんなの…)
ぐいぐいと私の手をひいて、どこかへ連れて行こうとするこの人。それを止めてくれる人は誰もおらず、それどころか総出で道を開けてくれる始末。この先に何が待ち受けているのか、もう考える余力すらない。止まってしまった思考につられて、意識も遠くなっていく。ブラックアウトしていく視界に、まるでイルミネーションのように、浮かんでは消えていくのは家族や友人たちの顔だった。