1話-1
ちょっと微妙に引っかかるところがあるので、後半更新する際ちょっぴり弄るかもしれません
天使の存在はおとぎ話として教えられた。鉄の塊が空を飛び、鉄の箱が別の場所の光景を映す。科学によって世界が解明されていく現代で、おとぎ話のような超常現象が現実にはないと学校で学ぶ。
それでも天崎晴也は知っていた。俗に言う霊感を持っていた彼は、科学で解明できない世界がまだあるということを。その存在は巧妙に隠れていて、すぐそこで身を潜めていると。
それを感じることはあっても、はっきりと具現することはなかったのだが。
おとぎ話は存在しうると、信じるには充分な要素であり。
「……やっぱ、本物だよね……」
そして、今。
空色の翼を持った赤い天使は、息をして、確かに晴也の目の前で、生きている。
*
きっとここの住民以外は、天駆村という辺鄙な田舎なんか誰も知らないだろう。
山に囲まれた人口千人足らずの小さな集落は、七月末とあり、村のどこにいてもセミの声が耳を突く。
日本中の子供はだいたい夏休みという長期休みに入る頃。今年中学一年生である晴也も、例外なく毎日が日曜日の状態であった。
「ふんふっふふ~ん♪」
年齢にしては少々幼い顔立ちと小柄なシルエット。黒いショートの髪は少し寝ぐせが残っている。よく分からない英文がプリントされたTシャツは、一回り大きいためダボダボになってしまっていた。暗緑のカーゴショーツも少々サイズが合っていない。白い靴下にスポーツメーカーのロゴが入った黒いスニーカーを履き、肩からは化学繊維製のシンプルな薄黄のバックを下げている。
「ふっふふーん…あ、音程間違えた」
とても登山をするような服装では無いにもかかわらず、陽気に鼻歌を歌いながら、彼は山道を軽やかに進んでいた。
村育ちの晴也にとって山は遊び場であり自分の家の庭みたいな物である。そのため一般人にとって険しいであろう自然も、彼には普通の舗装された坂道を登るのと大して変わらない感覚であった。
苔むした石が引く道らしき道を進んでいると、やがて前方が明るく、水の流れる音が耳に飛び込んでくる。
「あっ」
ゆらゆらと光を反射し走り続ける小さな渓流。それをまたぐ古い丸太橋の手前で、晴也は足を止めると、渓流沿いに群生するとある植物の前でかがむ。そしてバックから『草花のほん~今日から君も草花博士だ!山菜もあるよ!~』という文庫本サイズの分厚い本を取り出した。
それを適当にめくり、やがてとあるページで止まる。
「やっぱこれウワバミソウだ!これ美味しいんだよね~」
えへへと嬉しそうに笑いながら本をバックにしまうと、群生しているウワバミソウを摘み始めた。
夏休み、といえば課題があるのが当たり前である。晴也の学校は子供が少ないため小中一貫であり、夏休みは毎年恒例全学年、自由研究が課題の一つとして出されていたのであった。
既に昆虫や魚などは二回ずつぐらいやって飽きていたので、今年は山菜や山の草花について調べようと思ったのである。
「まだ残ってたなんて嬉しいなー自由研究とは別に少し取ーろうっと。きんぴら~えへへ~」
と、このままでは晩御飯がミズナパーティになるほどの量をバッグに詰めて。
「これぐらいでいっか」
立ち上がり、また山奥へ足を運ぶ。
本を片手に晴也は時々立ち止まり草花を摘んでいった。お昼ともあり日は高いが、木陰のおかげで涼やかである。セミは疲れ知らずと言わんばかりにけたたましく、時々顔を出す野生の小動物を微笑ましく眺めながら彼はひたすら足を進めた。奥へ向かえば向かうほど、茂みは確実に山道を覆い隠していき、道を作っていた石もまばらで、人の立ち入らなさを一層引き立てる。
やがて晴也の表情も険しくなり、ぐるりと辺りを見回した。
「ここらへん……だよね。多分」
実は今回、晴也には山奥へ足を運ばないといけない別の目的があった。
思い出すのは目を覚ました夜中のこと。
いや、目を覚ましたというより、何かが這い上がるような、快感に似た悪寒に起こされたと言った方が正しい。
騒ぐ心に薄いかけ布団をはねのけ、窓際へ駆けつけた彼の目に飛び込んだのは、尾を引いた青白い光が山の中へ落ちていく光景だった。
(隕石じゃないだろうなぁ。生き物な感じだったし……とりあえず悪いもの、では、ないと思うんだけど。)
あの神秘的な光と気配を思い出しながら、晴也はスピードを緩め慎重に歩む。
晴也には霊感があった。見えないもの、非日常に住みつくものの気配を、感じることができる能力。
感じることができるだけで、見ることはできない。しかし見えない代わりにそれが何なのかは手に取るように分かるのだ。例えば人の霊なら大人か子供か。男か女か。悪意があるかないか。知ろうと思えば、生前はどんな人生でどんな死に方をしたのかまで。姿形を見なくても、はっきりと分かる。
まるで目が見えなくなったら、それを補うよう他の神経が過敏に繊細に発達するように。
彼が持っているのは、盲目の霊感。
「……?」
晴也は足を止めると辺りを見渡す。
元々森という場所は霊的なものが多い。セミの声でも隠せないほどの、雑踏の中心へ放り込まれたような騒がしさを、彼はここへ入った時から肌で感じ取っていた。
その中で一つ、違和感。
晴也は目を閉じさらに神経を研ぎ澄ます。騒々しさを掻き分け、その違和感に手を伸ばす。
そうして触れる、異質な、けれどつい昨晩覚えのある気配。
晴也は目を開き口を結ぶと、山道を外れ茂みの中へと潜った。
か細い糸のような気配を慎重に辿る。奥へ進めば進むほど、それは確かなものへなっていく。
徐々に分かっていくこの気配の正体に、晴也は高揚し心拍数は上がっていった。
悪いものではない、人とはまた違う何か。そのせいか男か女かよく分からない。そして何より、それは霊ではなく生きていた。脆く儚く今にも消えそうだったが、この先で確かに呼吸をして生きている。
生きているならこの目で見ることができるかもしれない。
助けることができるかもしれない。
そう思うと晴也はいてもたってもいられず、道無き道をがむしゃらに突き進む。
やがて夢中で茂みを掻き分けていたせいか。薄暗い木陰からとつぜん陽の光に晒され晴也は驚き足を止めた。
「えっ……」
そしてほぼ同時に、一瞬にして、空気が変わった。
山道から外れたところを歩いていたはずが、いつの間にか開けた場所へと出ている。低い草花に覆われた森の広場のようで、しかし周囲は木々に囲まれており道らしい道はない。そして何より、森の騒がしさでも、さきほど辿っていた気配でもない、不思議な圧力がこの空間を支配していた。
不安ながら辺りを見渡せば、すっかり風化し寂れた石造りの祠が一つだけ、隅の方で虚ろに佇んでいる。
山の奥に立ち寄ってはいけないよ。
白天狗の社を荒らしたら、空の向こう側に攫われてしまうからね。
何故か小さい頃に聞いた神隠しの伝承を思い出し、晴也は冷水を浴びたような悪寒を覚えた。
逃げ出したいと思った衝動を飲み下し、顔を叩いて渇を入れると自分が辿っていた気配を再び探る。それはすぐ見つかり、なおかつすぐ近くであることを理解して。
「……白天狗様じゃありませんように」
深呼吸を一つ。ゆっくり慎重に、それがあるであろう祠の背後へ晴也は回り込む。
「あ……!」
考えるよりまず、声が漏れた。
最初に目に飛び込んだのは、先端が鋭く尖る水色に染まった羽。
それが散らばった中心に同じ色の翼を背中に生やした。
「天……使?」