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堕ちた翼  作者: 細波夕
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プロローグ

 薄暗く、冷たい、無音な石造りの通路。奥には太く硬い鉄格子で塞がれた小部屋が一つだけあり、その隅で、それは微動だにせず俯いていた。

 所々跳ねた金髪。緋色のほつれた服から覗く四肢は、白くとてもか細い。人のような姿をしている中で、異常なのが背に生えた翼。それは背中を覆うぐらいの大きさで、羽の先端が仄かに青みがかかっていた。

 人とは呼びがたい翼を生やしたそれは、淡い紋様が輝く足枷をつけ鎖によって壁につなぎ止められている。

 その時無音の空間に、遠くから石床を叩く堅い足音。

 それは光を携えながら徐々に近づき、やがて冷たい空間の直前で止まる。

「おい」

 低い、ぶっきらぼうな声。

 太く頑丈な鉄格子越しに佇むその姿が、手に持ったカンテラで照らし出される。

 黒い大人しめなショートの髪。黒色に染まった吊り目は冷ややかに細められており、それが無愛想な顔を一層引き立てている。純白のローブを突き破って生えているのは、やはり純白の、体を覆うほど大きな翼。

「食事だ」

 短く、先ほどよりぶっきらぼうに言いながら、その何かは奇妙な形をした小さな木の実を鉄格子の中へ投げ入れる。それは隅にうずくまった影まで転がり、やがて足元で止まった。

 しかし影は死んでいるようにやはり動かず。

 しばらくカンテラを持った彼はその影を見つめていたが、ため息をつき、冷ややかに一瞥して踵を返す。

 光が、足音が遠ざかり、消えたところで、影は伏せていた顔をやっと上げた。

 整った少年の顔立ちからは感情が完全に欠落している。

 大きなスカイブルーの瞳は、鏡のように足枷と木の実を映していた。

「なん……で……」

 見た目に相応する、透き通るような少年の声は掠れていて。

「ボクは、何も、してないのに……」

 虚ろだった少年の顔がくしゃりと歪む。

 空っぽな瞳は揺れて、徐々に潤みを帯びていった。

「こんな……仕打ちをっ……!!」

 強く目を瞑れば、目尻から零れる温かい液体。

 それで糸が切れたのか、少年は小さく嗚咽を上げてただ泣きじゃくった。



*



「おい」


 凛とした男の声が、響く。

 体に現実味が戻ってゆき、金髪の少年は重たい瞼をゆっくりと開けた。

 どうやらいつの間にか寝ていたらしい。この空間はいつまでも冥く、時間感覚は皆無に等しいけれども。

「起きているか?」

 その声が自分に語りかけているのだと気が付いて、少年は伏せていた顔を上げた。

 鉄格子越しに佇むのは先ほどとは違う天使。首元で少々乱暴に結われている腰まで伸ばされた青いロングヘアー。目はどこまでも深い緑。背は先ほどの天使より頭半分ぐらい高く、それ故羽も大きくて存在感があった。

 その青い天使は何故だか辺りを用心深く見渡すと、少年の足元に指を向け、小さく早口に何かをつぶやく。

 瞬間、小さな鈍い音を立てて、今まで少年を苦しめてきた足枷が真っ二つに割れた。

 突然のことで少年は目を見開く。恐る恐る青い天使を見つめれば、それは眉間にシワをよせ、無言で手招きをしてきた。

 処刑の日が来たにしては余りに不自然で、しかしその手招きに逆らうこともできない。

 少年は震える足で立ち上がり、おぼつかない足取りで鉄格子越しに天使の前に立つ。

「……何も言うなよ」

 青い天使は低く囁いた後、瞑目して何やら早口に言葉を呟いた。

 瞬間、その天使の様子に異変が起こる。結った髪紐が解け、肩より下の髪の毛が千切れて空気中に掻き消えた。そして紙に水が染み込むかのよう、それが青から茶色に染まる。純白のローブは朽ちてほつれ、瞬きする間にくすんだ朱へと色を変えた。柔らかな羽一枚一枚が固く尖り、その先端が深紅に色付く。最後に瞑った目を開ければ――それは羽と全く同じ、赤目へと変貌していた。

「えっ……」

 その姿の豹変ぶりに、少年は忠告されたにも関わらず声を上げてしまう。

「そ、それ、だて――」

「しっ、声が大きい」

 ウルフカットの青年は、低く呟くと顔をしかめた。

「時間はない。手短に終わらせる手を出せ」

 言われるがままに恐る恐る手を出せば、青年はその手に何かを投げ入れる。


「お前に聞く。生きたいか?」


 青年の手が離れ、少年は投げ入れられた何かを見た。

 ずっしりと重く手の中で鈍く光るそれは、紛れもなくこの牢屋の鍵。

「これっ……」

「生きたければそれを使って逃げろ。生きたくなければこの牢屋で最後を迎えろ。……後はお前の自由だ。俺のすべき事はやったぞ」

 青年は早口にそう言い踵を返す。

「ま、待って…何で……これ、を…?」

 疑問が無意識に口から零れて、僅かながら空気を揺らした。

 そう、他にも自分と同じ状況に置かれた仲間がいるはずなのだ。

 もしかして、他の仲間も助けているのか。

 それとも、ボクだけなのか。

 振り返った青年は拍子抜けた顔をしていた。眉尻が下がりその表情が和らぐが、それも一瞬で、再び気難しい顔になる。

「ある人物から頼まれた。ただ、それだけだ」

 大丈夫。機会を伺って他の仲間も助けると、小声で付け加え再び少年から目を逸らすと歩き出す。

 早歩きに牢屋道を歩くその背中はどこか重々しい雰囲気が漂い、少年は見送ることしかできない。暗がりで姿が見えにくい中、霧りかかったように堕天使の姿がぼやけだす。それが来たときと同じ青い天使の容姿をハッキリ模した瞬間、完全に暗がりへと掻き消えた。

 虚しい静寂と、孤独の圧迫感が再び牢屋を包み込む。

 それでも少年の手に収まった鍵は、静かに希望の光を讃えていた。



*



 たわわに果実が実る木々が覆い茂ったエデンの園。草木の擦れる音を従え、青翼の少年はただがむしゃらにそこを駆け抜けていた。

 辺りはとっくに日が暮れており、深い闇がエデンの園と少年を包み込んでいる。おかげで方向感は崩壊し、夜目がきいた今でもほとんど先が見えない。

 どこに向かっているのか、どこに向かいたいのかも分からない中、それでも少年はひたすら走りつづける。

 しかしその時、少年は膝から崩れ落ちた。鈍い音が立ち、喉から苦痛の声が上がる。少年の足は爪が割れ、足裏は擦り切れ、泥と混じって赤茶に汚れていた。足首から太ももも、草木で擦れ細かい切り傷でうっすら血が滲んでいる。

 少年は息を荒げたまま、膝をついて上体を起こす。そして傷口へと手を翳し、短く何かを呟いた。するとそこから生まれる淡い光の固まり。それは闇夜を一瞬照らし、しかしすぐに掻き消えた。

傷口がある程度治ったことを確認して、少年は気だるそうに目を伏せる。そして息を整え、立ち上がろうと腕に力を込めた。


「脱獄とは……いい根性しているな」


 背筋を駆け上がる悪寒と恐怖。

 息が止まり、体が地に繋ぎ止められたかのように動かない。

 上空から襲いかかる力の圧迫感に、少年の息は再び荒くなり、そのこめかみを汗が伝った。

「脱獄行為は死に相応すると……投獄時に言われただろう?」

 だから捕まえるなどしない。

 嘲笑いを含んだその言葉の真意が理解でき、少年は息を詰まらせる。

 瞬間、上空から墜ちてくる、空を裂く刃の気配。

 気配が纏う殺意に防衛本能が反応し、少年は考える前に羽を広げて飛び立った。

 風圧で草が猛り鳴る。木々の間を全力で低空飛行し、恐怖に顔をひきつらせた。けれども天使の気配が遠退くことはなく、むしろ徐々に近付いていて。


「無駄だ」


 声に呼応し、木々が黄昏色に照らし出される。

 何が起きたか理解する前に、少年の翼へ灼熱の塊が直撃した。

「ぁ――!!」

 はぜる音が耳を詰り、焼け焦げる痛覚に翼の神経は悲鳴を上げる。あまりの衝撃に喉からは引きつった声が漏れた。

 翼をやられて、少年は飛ぶことが出来ず草地を転がる。鼻を突く己の翼が焦げる嫌な臭い。絶望と痛覚に意識が暗転しそうで、それでも少年は精一杯の力を込めると、立ち上がって走り出した。

 生きたい。ただそれだけを切に願い、走る力に変えながら。

 しかし絶えず天使が放つ風の刃は残酷に、少年の体へと傷を刻んでいく。

 傷口から流れる紅い体液を見ながら、少年はいたたまれなくなって涙が溢れた。


 ――何も悪いことはしていない。ただ生きたいだけ。

 なのにどうして? 僕らは生きてはいけない? 結局は同じなのに何故?

 この姿で生まれてきたから?

 ああ――ならごめんなさい。生まれてきてごめんなさい。

 だから赦して。生きたい。生き、たい――


「うぁああぁあぁぁあ!!」

 叫ぶ。ただ衝動に任せ、少年は命を燃やしながら咆哮を上げた。

 自分は今生きていると、周りに知らしめるため。そして自分に言い聞かせるために。

 その時、突然やってくる浮遊感。

「え――?」

 土の、地面の感覚が無くなり、足はただ虚しく空を掻く。何が起きたか理解できず、少年はぼんやりと下を見下ろして。

「あっ……」

 地面がない。

 それどころではない。足下に広がるのは月の光を浴びて輝く雲々。そしてその間に垣間見える、点のように小さい光の群生。


 ああ、ここが国の最果てか。


 そう気が付いた時にはもう遅くて。

 重力に従い少年の体は落ち始める。

 抗うことは出来ない。唯一の翼は傷つけられ、上には己を殺す天使。

 なら、堕ちてしまうしかない。

 少年は祈るように瞑目し、落下運動に身を任せる。

 せめて下には自分の居場所があることを、縋るように信じながら。

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