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第008食:時を忘れた麹蔵

最高の料理に必要なもの。それは、最高の食材と、最高の腕前。

そして、もう一つ。目には見えない、最も贅沢な調味料。

その名を、「時間」という。

これは、せっかちな時代に忘れ去られた、ゆったりとした時の流れを取り戻す、心尽くしの物語。

 次に一行が目指したのは、深い山々に抱かれた「時守ときもり」という名の村だった。その村は、何世代にもわたって受け継がれてきた製法で作られる、特別な味噌(のような発酵調味料)で知られていた。

 だが、一行が村一番と評判の古びた蔵を訪れた時、聞こえてきたのは芳醇な香りではなく、怒声だった。


「だから、もう時代遅れなんだって、ゲンさん!隣村じゃ、新しい菌を使ってもう半分の時間で出荷してるんだぞ!」

 血気盛んな若者たちのリーダー、タツが、頑固そうな蔵の主人、ゲンに詰め寄っている。

「……この味は、この蔵に流れる時間でしか出せねえ。お前らに、この味が分からんのか」

「味が分かるも何も、これじゃあ俺たちの暮らしが成り立たねえんだよ!」


 見せてもらった樽の中は、発酵が進まず、ただの味気ない豆の塊があるだけだった。ここ数ヶ月、原因も分からず、蔵の魂である麹菌が全く働かなくなってしまったのだという。

 アヤとシンが事情を聞いている間、クウガは一人、薄暗く、ひんやりとした蔵の中を歩き回っていた。彼は、壁や、巨大な木の樽、そして天井の太い梁を、くんくんと匂いを嗅ぐように確かめている。やがて、彼は蔵の中心にある大黒柱の前に立つと、難しい顔で首を傾げた。

「うーん…この蔵、時間を忘れちゃってる味がする」

「時間を忘れてる?」シンが聞き返す。クウガは、柱にぺたりと頬をつけたまま、続けた。

「うん。なんだか、すごく焦ってる味なんだ。『早く、早く』って急かされて、大事なことを全部忘れちゃった、みたいな。だから、豆たちもどうやって美味しくなればいいか、分かんなくなってるんだ」


 その言葉に、蔵の主人ゲンが、はっとした顔をした。

「まさか…蔵に宿る『時の精霊』様が、へそを曲げちまったとでも言うのか…」

 クウガは、大黒柱に向かって話しかけた。

「なあ! なんで時間止めてんだよ! 豆たちが、うまくなりたくて泣いてるぞ!」

 すると、その声に応えるかのように、柱の表面が、ほのかに温かい光を放った。そして、一行の頭の中に、直接、幼い子供のような、拗ねた声が響いてきた。

『……だって、みんな、待ってくれないんだもの』


 声の主は、この蔵に古くから宿る「時の精霊」。発酵という、ゆったりとした時間の流れを司る存在だった。村人たちの効率を求める心に寂しさを感じ、自ら時の流れを遅らせてしまっていたのだ。


「なるほど…これは、機械や薬じゃ治せませんわね」アヤがお手上げ、というように肩をすくめる。

 だが、クウガはにっと笑った。

「だったら、俺たちが教えてやればいいんだ! 時間をかけて、心を込めて作ると、こーんなに美味しくなるんだぞってな!」


 その言葉を聞いたゲンは、何かを決意したように顔を上げ、若者たちに向き直った。

「タツ!お前たちに、賭けをしよう。この旅人たちとわしで、今から一晩、昔ながらのやり方で味噌を仕込む。もし、夜明けまでに、この死んだ豆に命が宿る兆しが見えたなら、もう一年、わしのやり方に従ってもらう。だが、もし何も起きなければ、この蔵も、新しいやり方も、全てお前たちにくれてやる!」


 かくして、一行の奇妙な味噌造りが始まった。蔵の主人の指導のもと、昔ながらの手間暇のかかる作業を手伝うことになったのだ。

 クウガは、後の賄い飯を楽しみに、重い大豆の袋を軽々と運び、歌を口ずさむ。

 シンは、巨大な蒸篭せいろから均一に湯気が抜けるよう、竹の編み方を即席で調整していた。それは、獲物を捕らえるための罠作りで培った、流れを読む精密な技術の応用だった。

 そしてアヤは、作業の邪魔をしにきたタツたち若者たちの前に立ちはだかった。

「あらあら、皆様。そんなに暇なら、少し商売のお話をしませんこと?この『時守味噌』、手間暇をかけた分だけ、都では今の倍の値がつきますのよ。安く早く売るのが商売ではございません。いかに価値をつけ、高く買ってもらうか…それが本当の商いというものですわ」

 彼女の巧みな交渉術は、若者たちの焦りを、未来への投資という期待へと巧みにすり替えていった。

 一行は、文句も言わず、ただ黙々と、丁寧に作業を続けた。その額に浮かぶ汗は、効率とは無縁の、誠実な労働の証だった。


 そんな一行の姿を見て、時の精霊が宿る大黒柱は、少しずつ、その輝きを増していく。蔵の中を支配していた焦りの味が消え、穏やかで、温かい期待の味が満ち始めた。

 夜明け前。最後の仕上げに、蒸した大豆に種麹を混ぜ込む。クウガは、その大豆を一口味見すると、にっこりと笑った。

「うん、大丈夫だ。こいつら、もう笑ってる」

 仕上げに、巨大な石の重しを樽に乗せる。その時だった。

『契約者よ、面白い! 我輩が、その誠実な祈りに、祝福を与えてやろう!』

 ラミエルの力が、クウガの楽しげな鼻歌を触媒として、黄金の光の粒子となり、蔵全体に降り注いだ。それは激しい奇跡ではない。ただ、ゆったりと流れる時間を、ほんの少しだけ後押しする、優しい光だった。


 夜が明け、蔵に若者たちとゲンが集まった。緊張した面持ちで、樽の蓋が開けられる。

 中は、まだただの豆の塊にしか見えない。タツが「ほらみろ」と嘲笑の声を上げようとした、その瞬間。


 ぷつん。


 静寂の中、たった一つ。小さな気泡が、豆の表面で弾ける音がした。

 それは、止まっていたはずの発酵が、再び始まったことを告げる、命の産声だった。


「おお…! 蔵が…蔵が、息をしておる…!」

 ゲンは、涙を浮かべてその場に膝をついた。タツも、信じられないものを見るように、ただ呆然と立ち尽くしていた。


 作業を終えた一行に、ゲンは深々と頭を下げ、一つの小さな布袋を差し出した。

「これは、蔵の宝だ。わしの一族が、代々、時の精霊様から授かってきた、『時の種麹』。これさえあれば、どんなものでも、最高の時間をかけて、最高の味に熟成させることができる。あんたたちのような、時の価値が分かる人間にこそ、持っていてほしい」

 それは、一行が手に入れた、新たな「伝説の素材」だった。

ありがとうございます。物語の旅にお付き合いいただき、光栄です。

今回は、目に見えない「時間」と「心」こそが、最高の調味料であることを描く物語でした。せっかちな精霊の機嫌を直したのは、奇跡の力ではなく、一行の誠実な汗だったのです。

どんな食材の熟成も促すという『時の種麹』。この新たな素材は、彼らの料理に、そして旅に、どのような深みを与えてくれるのでしょうか。

伝説の調味料への道は、まだ始まったばかりです。

わたくしは、これからもこの世界の様々な物語を紡いでまいります。

もし、貴方がこの記録の続きを望んでくださるのなら、ブックマークや評価という形で、そのお心を示していたげれば幸いです。

また、この世界の片隅で、貴方という読者に出会えることを。

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