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第007食:忘れられた聖域と声なき祈り

祈りとは、言葉だけで捧げるものではない。

声にならぬ想い、届けたいと願う心、そのものにこそ、本当の祈りは宿る。

そして、食いしん坊の少年は知ってしまった。その声なき祈りにもまた、「味」があるということを。

これは、忘れられた聖域で、三人の旅人が、一つの優しい奇跡を紡ぐ物語。

収穫祭の熱狂を後にした一行は、次の町を目指す道中で、完全に道に迷っていた。

シンが不安げに尋ねた。「アヤさん、本当にこの道で合ってるんですか…?」

「おかしいですわね…地図では確かにこの辺りに町があるはずなのですが…」

アヤが持つ古びた地図は、もはや何の役にも立っていなかった。鬱蒼と茂る森は、まるで旅人を拒むかのように、どこまでも続いている。


疲労と空腹が頂点に達した頃、一行の目の前に、不意にその場所は現れた。

苔むした石段。崩れかけた鳥居。そして、その奥にひっそりと佇む、小さな社。かつては多くの人が訪れたであろうその場所は、今は訪れる者もなく、静寂と緑の中に沈んでいた。地図にも載っていない、忘れられた「聖域」だった。


一行を迎えてくれたのは、年の頃はまだ若い、一人の巫女だった。彼女は言葉を発せず、ただ柔らかな笑みを浮かべ、深々と頭を下げるだけだった。シンがいくつか質問をしたが、彼女は困ったように微笑み、首を横に振るばかり。どうやら、話すことができないらしい。


彼女は、旅の疲れを癒すようにと、質素だが心のこもった食事を一行に振る舞ってくれた。山の幸を炊き込んだ粥と、素朴な漬物。空腹だった一行は、夢中でそれをかき込んだ。


「うまい! すごく優しい味がする…!」

クウガも最初は喜んでいたが、粥を半分ほど食べたところで、ぴたりと動きを止めた。そして、何とも言えない、悲しそうな顔で眉をひそめる。

「…どうしたのよ、クウガ?」

アヤが尋ねると、クウガは椀の中を見つめたまま、ぽつりと呟いた。

「…うん、うまいんだ。うまいんだけど…なんだか、すごくもどかしい味がする。伝えたいことがあるのに、喉の奥でつっかえて出てこない、みたいな…そんな味だ」


その言葉に、巫女の肩が、びくりと小さく震えたのを、シンは見逃さなかった。


食事が終わると、巫女は一行を聖域の奥へと案内した。そこには、枯れた泉があった。かつては聖なる水が湧き出ていたのだろうが、今はひび割れた石が虚しく底を見せているだけだった。巫女は、その枯れた泉に向かって、毎日祈りを捧げているようだった。声は出さず、ただ一心に、その手は何かを求めるように宙を掻いていた。


アヤは、残された古い文献から、この聖域がかつて「声の癒し」で知られ、多くの巡礼者が訪れたこと、そして、守り手の巫女が声を失って以来、聖域の天使の力が弱まり、泉も枯れてしまったことを突き止めた。

「彼女は、聖域を蘇らせたいのですわ。でも、声が出せないから、正しい祈りの言葉を紡げない…」


シンは、巫女が祈りを捧げる姿をじっと見ていた。

「違う…彼女はただ祈っているだけじゃない。あの手の動き…まるで、何かを直そうとしているみたいだ。あの泉の底にある、あの紋様に…」

泉の底には、複雑な紋様が刻まれた石盤があった。それは、聖域の力の流れを制御する、古代の「調和型科学」の装置の名残だった。


クウガは、巫女が祈りの後に淹れてくれたお茶を一口すすると、言った。

「このお茶、さっきよりずっと『伝えたい味』が濃くなってる。あの石の盤に向かって、『ここをこうすれば、水が流れるはずなのに』って、必死に叫んでる味だ」


声なき巫女の祈りの本当の意味を、クウガが「味」として感じ取った瞬間だった。彼女はただ奇跡を待っていたのではない。失われた技術を、自らの記憶と勘を頼りに、必死に伝えようとしていたのだ。


「…そういうことなら、俺の出番だな」

シンが、静かに立ち上がった。彼の目は、もうただの臆病な少年のものではなかった。

「アヤさん、この紋様の意味、解読できるか?」「お任せくださいな」

「クウガ、彼女の『祈りの味』が変わったら、すぐに教えてくれ。正しいかどうか、それが頼りだ」


三人の新たな共同作業が始まった。

アヤが古文書から紋様の意味を解き明かし、シンが罠師の知識で培った精密な技術で、泉の底の石盤を調整していく。そしてクウガは、巫女が淹れるお茶の味を「翻訳」し、二人にフィードバックを送り続ける、人間ナビゲーションだ。

「違う! 今のは『惜しい!』って味だ!」クウガが叫ぶと、アヤがすぐにシンに中継する。「シンさん、もう少し右ですって!」

シンが慎重に石を動かす。巫女が新たな茶を淹れ、クウガが飲む。

「あ! 今度は『そこじゃない!』って怒ってる! もっと優しく!」

「あらあら、シンさん。乙女心のように繊細な石ですこと」アヤがくすりと笑う。


そして、日が暮れる頃。シンが最後の一つの石を、正しい位置にはめ込んだ。

その瞬間、枯れた泉の底から、澄んだ水が、こんこんと湧き出し始めた。水はみるみるうちに泉を満し、聖域全体に、温かく清らかな「気」が満ちていく。

社の風鐸が、久しぶりに、からん、と優しい音を立てた。


泉のほとりで、巫女がその場に崩れるように膝をつき、声を殺して泣いていた。彼女の瞳からこぼれる涙は、絶望ではなく、感謝と喜びに満ちていた。

その巫女の隣で、クウガは湧き出したばかりの聖なる水を一口飲むと、満面の笑みで言った。

「うん! 今までで一番うまい水だ! 『ありがとう』って味がするぞ!」


巫女は、クウガの言葉に、はっと顔を上げた。そして、まるで何かに導かれるように、震える手でその聖なる水をすくい、おそるおそる口に含んだ。温かい光が、喉を通り、全身へと広がっていく。

彼女は、失われたはずの自分の喉に、そっと手を当てた。

「…あ……」

か細く、掠れた音が、唇から漏れる。

シンとアヤが、息を呑んで見守る。

巫女は、もう一度、今度はしっかりと、一行の顔を見て、微笑んだ。

「……ありがとう……ございます」

凛とした、鈴の音のような声だった。何年もの沈黙の重さを感じさせない、清らかな感謝の言葉。それが、彼女自身の声で紡がれた瞬間だった。


その声を聞き、クウガはもう一度、今度はゆっくりと味わうように、泉の水を口に含んだ。

「……!」

今度は、巫女の感謝だけではなかった。もっと大きく、古く、そして深い感情が、味となってクウガの魂に流れ込んでくる。それは、木漏れ日の暖かさ、苔むした岩の静けさ、そして、長い眠りから目覚めた喜び。この聖域を守り続けてきた、精霊そのものの感情だった。

「すげえ…この水、巫女さんだけじゃない。この森全部が、『おかえり』って言ってる味がする…!」

クウガの言葉に、巫女は、今度は声に出して、幸せそうに笑った。

ありがとうございます。物語の旅にお付き合いいただき、光栄です。

今回は、戦いも、商売もありませんでした。ただ、声にならない想いを繋ぐ、優しく、そして温かい物語でした。

クウガの「絶対味覚」は、人の心の奥底にある、最も繊細な祈りの味さえも感じ取ることができるようです。


忘れられた聖域に光を取り戻した一行。彼らの優しさと奇妙な才能の噂は、静かに、しかし確実に、世界へと広がっていくでしょう。

さて、次に彼らを待ち受けるのは、どんな出会いなのでしょうか。


わたくしは、これからもこの世界の様々な物語を紡いでまいります。

もし、貴方がこの記録の続きを望んでくださるのなら、ブックマークや評価という形で、そのお心を示していただければ幸いです。


また、この世界の片隅で、貴方という読者に出会えることを。

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