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第005食:幽霊市場とアヤの意地

商いの道とは、人と人との信用の道。

品物を届け、笑顔を受け取り、対価をいただく。その当たり前の営みにこそ、商人の魂は宿る。

だからこそ、彼女は許せなかった。客を欺き、その道理さえも踏みにじる、はぐれ者の存在を。

これは、一人の商人が自らの矜持を懸け、幽霊相手に大立ち回りを演じる物語。

一行が次に訪れたのは、西日本でも有数の商業都市「楽市らくいち」。その名の通り、昼間は様々な品物と活気が行き交う、商人たちにとっての楽園のような場所だった。


「これはこれは…素晴らしい品揃えですわ!」

アヤは目を輝かせ、水を得た魚のように市場を駆け回る。シンは人の多さに目を回し、クウガは無数の屋台から漂う匂いに、すでによだれを垂らしていた。


しかし、その活気とは裏腹に、町の商人たちの顔には奇妙な疲労の色が浮かんでいた。宿屋の主人に話を聞くと、町はある悩みを抱えているという。

「夜になると現れるんですよ…『幽霊市場』がね。そこで買った品物は、朝になると全部消えちまう。まるで、狐に化かされたみたいにね…」

その市場で大金を使い果たし、無一文になった者もいるという。町の商人たちは、客を奪う上に町の信用を落とすその市場を、気味悪がり、そして憎んでいた。


「幽霊…!?」

シンは聞いただけでガタガタと震えだした。クウガは「幽霊って食えるのか?」と見当違いな質問をしている。

だが、アヤの反応だけは違った。

(…お客様を欺く市場ですって? 商いの道とは、人と人との信用の道。品物を届け、笑顔を受け取り、対価をいただく。その当たり前の営みにこそ、商人の魂は宿るというのに…)

彼女は、ぴしゃりと扇子を閉じると、静かな怒りをたたえた瞳で呟いた。

「…そのふざけた市場、わたくしが正体を暴いてみせますわ」

普段のちゃっかりした儲け話とは違う。それは、同じ道を歩む者としての、純粋な怒りと矜持だった。


その夜。

アヤの宣言に、シンは泣きながら、クウガは「夜食が出るかも」という期待に胸を膨らませながら付き合うことになった。

噂の場所にたどり着くと、そこには昼間の喧騒が嘘のように静まり返った広場に、ぼんやりと光る屋台が軒を連ねていた。客は誰もおらず、店主たちは皆、生気のない目で虚空を見つめている。


アヤは毅然とした態度で、一軒の乾物屋に声をかけた。

「ご主人、この昆布をいただきたいのだけど」

店主は、まるで操り人形のようにゆっくりと品物を差し出す。アヤが代金を支払うと、店主はそれを無言で受け取った。


その時、隣の煮込み料理の屋台から、ふわりと湯気が上がった。

「んん!? いい匂いだ!」

匂いに釣られたクウガが、駆け寄って屋台の鍋を覗き込む。

「おっちゃん! これ一杯くれ!」

店主が差し出した椀を受け取ると、クウガはためらいなく一口、汁をすすった。

そして、次の瞬間。

「まずいッ!!!」

クウガの絶叫が、静かな市場に響き渡った。

「なんだこれ! 匂いはするのに、味が全くしないじゃないか! 魂胆が腐ってるぞ!」

食べ物を、それも「味がしない」という形で侮辱されたクウガの怒りは、頂点に達していた。


その怒りの声が、引き金だった。

クウガの魂の叫びに反応するように、生気なく立ち尽くしていた店主たちの姿が、陽炎のように揺らめき始める。彼らの足元が透け、その身体は青白い光を帯びていた。やはり、ゴーストだった。


『味が…しない…? そうか、そうだったな…』

『我々はもう、味わうことすらできんのだった…』


ゴーストたちが、悲しげに呟く。彼らは、百年近く昔、この町を大火から守り、礎を築きながらも、誰にも知られず忘れ去られていった商人たちの無念の集合体だった。商売の喜び、客の笑顔、そしてうまい飯。その全てを失った魂が、在りし日の賑わいを求め、夜な夜なこの幻の市場を開いていたのだ。


「…あなた方の気持ち、商人として、痛いほど分かりますわ」

アヤは、恐怖に震えるシンを背中に庇いながら、ゴーストたちに毅然と語りかけた。

「ですが、どんな理由があろうと、お客様を欺く商いは間違っています! それは、あなた方自身が一番分かっているはず!」


その言葉に、ゴーストたちは苦しげに顔を歪めた。

それを見て、クウガが叫んだ。

「腹が減ってるから、そんな悲しい顔するんだ! 俺が、腹いっぱいの味を思い出させてやる!」


クウガは荷馬車から最高の食材――巨大な魚の干物と玄蔵の醤を取り出すと、その場で調理を始めた。ラミエルの力が、彼の料理に黄金の輝きを与える。極上の香りが市場に満ちていく。

「シン! 塩で結界を!」「ひぃぃ、わ、分かった!」

「アヤさん! みんなに皿を配ってくれ!」


やがて、奇跡のような料理が完成した。

「さあ、食え! これが、俺たちの『誠意』だ!」

クウガが料理を差し出すと、ゴーストたちはおそるおそる、その湯気に手を伸ばした。彼らは食べることはできない。だが、料理に込められた魂の輝きと、アヤの商人としての敬意、そしてクウガの純粋な「うまいの共有」の想いは、確かに彼らの渇いた魂を潤していった。


『…ああ、うまい…』

『思い出した…客の笑顔は、こんな味だった…』


満足したように、ゴーストたちの身体が、光の粒子となってゆっくりと消えていく。夜明けの光が差し込む頃には、市場は跡形もなく消え、元の静かな広場に戻っていた。


翌日、町からは幽霊市場の噂が消えた。そして、楽市には新たに一つの掟ができたという。

「毎月一度、町を築いた名もなき商人たちに感謝を捧げ、最高の食事を供えること」。

それは、アヤが町の商人組合に提案した、ささやかな鎮魂の儀式だった。そして、その儀式で供えられた特別な料理は、アヤがちゃっかり専属契約を結んだ玄蔵の醤を使って作られ、町の新たな名物になったという。

ありがとうございます。物語の旅にお付き合いいただき、光栄です。

今回は、アヤの商人としての誇りが、彷徨える魂を救うきっかけとなりました。ちゃっかりしているだけではない、彼女の持つ芯の強さが垣間見えた物語でした。

そして、クウガの「うまい」は、生きている者だけでなく、魂さえも満たす力があるようです。


仲間たちの意外な一面が次々と明らかになり、彼らの旅はますます彩り豊かになっていきます。

さて、次に彼らを待ち受けるのは、どんな味と、どんな騒動なのでしょうか。


わたくしは、これからもこの世界の様々な物語を紡いでまいります。

もし、貴方がこの記録の続きを望んでくださるのなら、ブックマークや評価という形で、そのお心を示していただければ幸いです。


また、この世界の片隅で、貴方という読者に出会えることを。

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