第004食:山賊峠とシンの一芸
気弱な者の内には、時に、猛獣さえも手玉に取る知恵が眠っている。
それは、華々しい奇跡の力ではない。
長年の苦労と、どうしようもない腐れ縁が育んだ、ささやかで、しかし確実な一芸。
これは、臆病者の少年が、ただ一人の友を守るために編み出した技術で、悪党どもを出し抜いてしまう物語。
次の町への道のりは、二つあった。一つは、商人たちが使う安全だが遠回りな街道。もう一つは、山を突っ切る、危険だが二日は短縮できるという峠道。
「当然、こっちの近道だろ! 早く着けば、その分早くうまいもんにありつける!」
地図を覗き込んだクウガが、何の迷いもなく峠道を指さす。
「峠には山賊が出るって噂ですよ? 安全策を取るべきでは…」
アヤが珍しく慎重な意見を口にするが、その目には「時間も費用も節約できる」という計算が透けて見えた。
「ぜ、絶対にダメだ! 山賊が出るって分かってるのに行くなんて、正気の沙汰じゃない!」
シンだけが、顔を真っ青にして必死に反対した。だが、1対2(と、うまいもの)。彼の意見が通るはずもなく、一行はしぶしぶ峠道へと足を踏み入れることになった。
鬱蒼とした森の中、シンは終始ビクビクと周囲を警戒していた。
そして、恐れていたことは、現実のものとなる。
道の両脇の木々が大きく揺れ、物騒な棍棒や錆びた剣を手にした、十数人の薄汚い男たちが姿を現した。山賊だった。
「ひっひっひ…運が悪かったな、旅の衆。有り金と、そこの馬車に積んであるモン、全部置いていきな」
山賊の頭領らしき大男が、下卑た笑みを浮かべる。その視線は、一行が運ぶ巨大な魚の干物や、玄蔵の醤の樽に釘付けだった。
「ひぃぃぃっ!」
シンはその場にへたり込み、腰を抜かした。アヤは冷静に扇子を広げ、交渉を試みる。
「もし、もし。わたくしたちもただの旅の者。いくらかお渡ししますので、道を開けてはいただけませんか?」
「駄目だ駄目だ! 俺たちは腹が減ってんだ! その魚と醤、全部よこせ!」
交渉は、あっけなく決裂。
絶体絶命。アヤの顔からも笑みが消える。
そして、頼みの綱であるクウガはというと…
「腹、減った……」
極度の緊張と空腹で、完全に戦闘不能。白目を剥いて、地面に転がっていた。
『ぬぅ…契約者がこの様では、我輩の力も…!』
ラミエルも、なすすべなく嘆いている。
もはや、これまでか。誰もがそう思った、その時だった。
「……やるしかない」
震える声で、誰かが呟いた。
声の主は、腰を抜かしていたはずのシンだった。彼は、涙目になりながらも、覚悟を決めた瞳で山賊たちを睨みつけていた。
「アヤさん、クウガを頼む! 少しだけ、時間を稼いでくれ!」
そう叫ぶと、シンは信じられないほどの速さで、茂みの中へと駆け込んでいった。
「なんだぁ、あのチビは? 逃げたか?」
山賊たちが嘲笑う。だが、次の瞬間、彼らの足元で、何かが起きた。
先頭を進んでいた山賊が、何もないはずの地面に足を取られ、派手な悲鳴と共に坂道を転がり落ちていく。巧妙に隠された、ツタの罠だった。
「な、何!?」
動揺する山賊たち。その間にも、シンの見えざる反撃は続いていた。
木の上から、小石を詰めた袋が振り子のように飛んできて、別の山賊の脳天にクリーンヒット。
別の場所では、しならせた若木を利用した罠が作動し、男が一人、逆さ吊りになっていた。
「お、落ち着け! 敵は一人だ! 探せ!」
頭領が叫ぶが、山賊たちは完全に混乱していた。彼らが踏み込む場所、手をかける枝、その全てが、まるで意思を持っているかのように彼らの邪魔をする。それは、シンの罠に、ラミエルの幸運(?)が、絶妙なアシストを加えていたからだった。
「頭! あそこにいやがりますぜ!」
部下の一人が、木陰で必死にロープを引くシンの姿を見つける。
「囲め! 囲め!」
山賊たちが、勝ち誇ったようにシンへと殺到した。
「……かかったな」
シンは、にやりと笑った。それは、いつもの彼からは想像もつかない、不敵な笑みだった。
彼が最後のロープを引くと、山賊たちの頭上で、巨大な網が勢いよく振り下ろされた。魚の干物を包んでいた、丈夫な網だ。一網打尽だった。
あっという間に、十数人の山賊たちは、誰一人傷つくことなく、完全に無力化されていた。
残されたのは、縛り上げられて転がる山賊たちと、ぜえぜえと肩で息をするシン、そして、何が起きたか分からず目を丸くするアヤと、腹を鳴らして倒れているクウガだけだった。
「……シンさん。あなた、一体…」
アヤが、信じられないものを見るような目で問いかける。
シンは、照れくさそうに頭をかいた。
「昔、クウガが村の食料庫から食べ物を盗んで、よく森に逃げ込んでたんだ。あいつ、野生児みたいにすばしっこくて…。捕まえるために、必死で罠の作り方を覚えたんだよ。まさか、こんな形で役に立つなんて、思わなかったけど」
それは、気弱な少年が、ただ一人のどうしようもない友人を追いかけ続けた日々の賜物。苦労と友情が編み出した、彼だけの一芸だった。
「……その技術、高く売れますわよ」
アヤが、商人の顔で真顔で呟き、シンは「ええっ!?」と素っ頓狂な声を上げた。
目を覚ましたクウガは、縛られた山賊たちを不思議そうに眺めながら、一言。
「なあ、こいつら、食えるのか?」
その一言で、場の緊張は完全に解け、いつもの騒がしい日常が戻ってきた。
シンの意外な活躍により、一行は無事に峠を越える。
仲間たちが彼――シンを見る目は、少しだけ、尊敬の色を帯びていた。
ありがとうございます。物語の旅にお付き合いいただき、光栄です。
今回は、いつもと違う主人公の活躍でした。気弱なシンの内には、どんな困難にも立ち向かえる、確かな強さが眠っていたのです。
彼のトラップマスターとしての才能は、今後の旅でどのように活かされていくのでしょうか。アヤの新たな商売の種になるのか、それとも、クウガを捕まえるためだけに再び使われるのか。
仲間たちの新たな一面が見え、彼らの絆はまた一つ、形を変えていきます。
私は、これからもこの世界の様々な物語を紡いでまいります。
もし、貴方がこの記録の続きを望んでくださるのなら、ブックマークや評価という形で、そのお心を示していただければ幸いです。
また、この世界の片隅で、貴方という読者に出会えることを。




