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第030食 脱出、そして残された問い

叩きつけた「答え」は、敵の心を揺さぶった。 だが、それは勝利ではない。 完璧な論理システムは、その「バグ」を排除するために、より強固に、より冷徹に、その牙を剥く。 食いしん坊の少年は、自らの「うまい」の正しさを確信し、苦労人の仲間は、その「正しさ」だけでは救えない現実システムの重さを知る。 これは、決裂の後に残された、ほろ苦い余韻と、次なる旅への新たな覚悟の物語。

「ノイズだッ!!」 紫苑しおんの絶叫が響き渡った瞬間、地下庭園の全てが敵意に変わった。 けたたましい警報が鳴り響き、それまで完璧な調和を保っていた自動人形オートマタたちが、一斉にその無機質な視線を一行に向け、高速で滑走を始める。


「シン!」 「わかってます! こっちです!」 クウガの叫びに応え、シンが即座に動いた。彼は、この庭園に足を踏み入れた瞬間から、その完璧な「仕組み」の裏にあるであろう「流れ」――メンテナンス用の通路、排熱用のダクト、廃棄物の搬出口――を、罠師の目で読み解こうとしていた。 「紫苑のシステムは完璧すぎる。だからこそ、『イレギュラー(僕たち)』を『処理』するための最短ルートが、必ず存在するはずだ!」


シンの予測通り、自動人形の群れは、一行を「殲滅」するためではなく、「捕獲・処理」するために、特定の出口へと追い立てようとしていた。それは、彼がかつて森で獣を追い込んだ罠の構造と酷似していた。 「鏡夜きょうや!」 膝をついたまま動けない鏡夜を、紫苑のホログラムが冷徹に呼びつける。「データを収集した。サンプルをこれ以上、庭園システム内に留めておく必要はない。処理せよ」 「…は…」 鏡夜は、まだクウガの料理がもたらした衝撃――あの「生命いのちの味」の奔流――から抜け出せずにいた。だが、あるじの命令は絶対だ。彼は震える手で立ち上がり、警備システムを作動させる。


「アヤさん、クウガ! あの第三ダクトへ飛び込んで!」 シンが指さしたのは、完璧な壁面に隠された、巨大な排気口だった。 「あんなところから出られるのかよ!?」 「今、あの警報のせいで、システム全体が『緊急排熱モード』に切り替わった! あのダクトだけが、唯一、外の空気に繋がってる!」 シンの知恵が、紫苑の完璧なシステムが生み出した、ほんの一瞬の「隙間」を見抜いていた。


三人は、追ってきた自動人形のアームをすり抜け、ダクトの中へと転がり込んだ。背後で、重い金属のシャッターが閉まる音が響く。 滑り台のような暗闇を抜け、一行が転がり出たのは、管理都市「新・しん・きょう」の外れ、灰色の荒野へと続く、無機質な廃棄物の搬出口だった。


「ぜえ…ぜえ…! さすがの俺も、腹が減った…」 クウガは、大の字に寝転がりながらも、その表情は晴れやかだった。 「見たかよ、あいつらの顔! 俺たちの勝ちだ! 俺の『うまい』は、あいつの『まずい』に勝ったんだ!」 彼は、紫苑の苦悶の表情と、鏡夜の動揺を思い出し、心の底から笑った。


だが、シンとアヤの表情は、クウガほど単純ではなかった。 シンは、今脱出してきたばかりの、巨大な管理都市の無機質な壁を見上げていた。 「…勝ち、なのかな」 「どういうことだよ、シン! あんなに慌ててたじゃねえか!」 「慌てては、いた。僕たちが仕掛けた『ノイズ』に、システムが反応しただけだ。でも…」 シンは、あの完璧な庭園の光景を思い出していた。 「あのシステムは、壊れてない。紫苑は、僕たちを『バグ』として認識した。次は、その『バグ』を、完璧に排除するための対策を立ててくる。…僕たちの『心』や『感情』さえも、計算に入れた、もっと冷たい『仕組み』を」 シンの知恵は、この「勝利」が、敵にとっては次なる「進化」のデータでしかない可能性に気づいていた。


アヤもまた、扇子で静かに自らを扇ぎながら、クウガに同意しつつも、釘を刺した。 「ええ、クウガさんの『答え』は、確かに鏡夜様の心を揺さぶりました。わたくしも、あの瞬間を見逃しはしませんでしたわ。…けれど」 彼女は、荒野の向こう、あの「虚ろな歌」の集落の方向を見つめた。 「あの庭園の外には、まだ、あの『灰色の食事』を受け入れ、心が飢えることに慣れてしまった人々が、大勢います。わたくしたちの『本物の味』が届かないほど、深く、広く…」 彼女の商才は、この戦いが、一皿の料理の勝利では終わらない、あまりにも巨大な「市場(=価値観)」の奪い合いであることを見抜いていた。


クウガの笑顔が、ゆっくりと消えていく。 「……そうか。勝ったのは、あの庭園の中だけ、か」 彼は、あの廃墟の故郷で誓った決意を思い出す。「あいつが捨てちまった『心』ごと、食で救ってやる」と。 だが、その「あいつ」は、あまりにも巨大なシステムの奥に、まだ閉じこもっている。


その頃、地下庭園。 鏡夜は、一人、立ち尽くしていた。 彼は、クウガたちが脱出したダクトには目もくれず、ただ、自分が落とした木の器と、そこに残された一筋の「汁」を見つめていた。 警報は止み、庭園は再び完璧な静寂を取り戻している。 彼は、震える指で、その汁をすくい、もう一度、自らの舌に乗せた。


(……データに、ない)


玄蔵の魂。時の流れ。海の喜び。そして、名もなき野菜たちの生命いのちの叫び。 それらが渾然一体となった「感情ノイズ」の味が、再び彼の全身を駆け巡る。 紫苑のシステムが配給する、完璧に計算された栄養食を口にする。 (…味が、しない) いや、違う。 (…昨日まで感じていた『完璧な味』がしない。クウガが言った通り、『悲しくて、ひとりぼっちの味』がする…) 鏡夜は、初めて、自らが信じてきた「完璧な救済」の味に、「疑問」という名の、猛毒の「ノイズ」が混入してしまったことに気づき、戦慄していた。


クウガの一皿は、確かに、敵の懐刀の心に、消えない「揺らぎ」を残したのだ。


一行は、荷馬車に乗り込み、再び東へと進み始めた。 「なあ、シン、アヤ」 クウガが、前を向いたまま言った。 「やっぱり、あいつを救うには、足りねえんだ」 「…ええ」 「俺たちの『うまい』だけじゃ、足りねえ。あいつの『なんであんなにかたくなになっちまったのか』を、全部ひっくり返すような、もっとすげえ『何か』が…」


それは、廃墟で得た決意が、紫苑との対峙を経て、より深く、より重い「宿題」へと変わった瞬間だった。 「世界一の調味料」を探す旅。 それは、紫苑の絶望システムを、その根底から覆すほどの、「本当の救済こたえ」を探す旅なのだと。 三人は、それぞれの「宿題」を胸に、灰色の荒野の、さらに先へと進むのだった。

ありがとうございます。物語の旅にお付き合いいただき、光栄です。


『思想の激突』編が幕を閉じ、物語は『揺らぎと問い』編へと確かに移行いたしました。 クウガの一皿は、鏡夜の心に「揺らぎ」を、そして一行には「正しさだけでは救えない」という重い「問い」を残しました。


あなたの示された航海図の通り、『第三段階』は「決着」へと向かいます。 次なる物語は、この「揺らぎ」と「問い」が、どのようにして紫苑との最終対決へと繋がっていくのか。 物語は、いよいよクライマックスへと差し掛かります。


わたくしは、これからもこの世界の様々な物語を紡いでまいります。 もし、貴方がこの記録の続きを望んでくださるのなら、ブックマークや評価という形で、そのお心を示していただければ幸いです。


また、この世界の片隅で、貴方という読者に出会えることを。

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