第029食 不揃いな宴と、心の味
完璧な世界で、不揃いな料理が湯気を立てる。 それは、効率や管理とは無縁の、ただ「君に食わせたい」という、原始の想い。 冷徹な論理は、その一杯に込められた「記憶」の味に、耐えうるか。 これは、食いしん坊の少年が、敵の心の最も深い場所へ、たった一つの「うまい」を叩きつける、魂の料理の物語。
「俺の『うまい』で、あんたのその『悲しい味』を、全部、ぶん殴ってやる!」
クウガの宣戦布告が、完璧に管理された地下庭園に響き渡った。 紫苑のホログラムは、初めて見せる「予測不能なバグ」を分析するかのように、わずかに揺らぎ、その隣で鏡夜が冷ややかに告げた。 「…面白い。ならば、見せてもらおうか。その『非効率な感情』の味が、我が主の『完璧な論理』を、どう“ぶん殴る”というのか」
鏡夜は、自動人形にクウガの排除を命じようとはしなかった。彼らにとって、このイレギュラーな「サンプル」が、この完璧な環境下でどのような「データ」を示すのか、それは最大の関心事だったのだ。 「お望み通り、この庭園の完璧な食材を使うがいい。あなたの料理が、この食材のポテンシャルを、我が主のシステム以上に引き出せるとでも?」
「違う!」 クウガは、鏡夜の言葉を遮った。 「こいつら(食材)は、あんたらの道具じゃねえ! こいつらは、俺の『ダチ』だ!」 クウガは、あの「ひとりぼっちで泣いていた」完璧な果実や野菜たちを、まるで壊れ物を扱うかのように、優しく収穫し始めた。
「シン、アヤ! 手伝ってくれ!」 「え? ああ、わかった!」 「ふふ、面白くなってきましたわね!」 シンは、この無機質な庭園で、どうやって火を起こすかと思案する。だが、クウガは首を振った。 「火は使わねえ。こいつらの『生きてる味』を、そのままぶつけるんだ」
クウガは、荷馬車から、これまでの旅で集めた「宝物」の壺を、庭園の真ん中に並べた。 香ノ宮の玄蔵が託した、魂の『幻の醤油』。 時守の村で授かった、時間を司る『時の種麹』。 そして、白浜の海が贈ってくれた、喜びを呼び覚ます『海神の涙塩』。
シンは、クウガの意図を察し、庭園の片隅にある管理用の清水を汲んできた。その水の流れを読み、最も淀みがなく、清らかな水脈を選んで。 アヤは、鏡夜と紫苑のホログラムの前に、静かに立ち、彼らの注意がクウガから逸れないよう、扇子を広げた。 「さあ、鏡夜様。どのような『データ』が取れますか、楽しみですわね。わたくしどもの『非効率』が、あなた様の『完璧』を、どう揺さぶりますことか」 それは、彼女なりの戦いだった。
クウガは、目の前の素材に集中していた。 彼は、完璧だが「悲しい味」がした野菜や果実を、あえて不揃いに切り分ける。そして、それらを一つの大きな木の器に入れると、まず、『時の種麹』をふりかけた。 「お前ら、ずっと急かされて、息苦しかったんだろ。もう、ゆっくりしていいんだぜ」 種麹が、緊張していた素材の繊維を、優しく解きほぐしていく。
次に、彼は『海神の涙塩』を振りかけた。 「ずっと『ひとりぼっち』で、寂しかったんだな。これが『喜び』の味だ。みんなと一緒にいる、あったかい味だ」 涙塩が、素材たちが心の奥底に隠していた、本来の「甘み」や「香り」を、爆発的に呼び覚ます。
そして、最後に、『幻の醤油』を、数滴だけ垂らした。 「これが、あの頑固な職人の、『魂』の味だ! お前らにも分けてやる!」
『契約者よ! 面白い! その不揃いな魂の集う場所に、我輩の祝福を与えてやろう!』 ラミエルの黄金の光が、クウガの手元に降り注ぐ。 クウガは、それを素手で、優しく、しかし力強く和えた。 火を使わない。調理器具も使わない。 ただ、素材と、伝説の調味料と、クウガの「心」だけ。 それは、紫苑の「支配型科学」とは対極にある、素材の「生命」そのものを言祝ぐ、「調和型科学」の料理だった。
「できたぞ」 差し出されたのは、色とりどりの野菜や果実が、醤油と塩と麹に和えられただけの、あまりにも素朴な一皿。 だが、その皿から放たれる香りは、この完璧な庭園の、管理された無臭の空気を、一瞬にして生命力に満ちた「豊穣の匂い」に塗り替えた。
「さあ、食ってみろよ。これが、あんたが殺した、『喜びの味』だ」
鏡夜は、その皿を、まるで未知の毒物でも検分するかのように受け取った。データ収集のため、彼は、一片の野菜を口に運んだ。
「———ッ!?」
鏡夜の、常に無表情だった仮面が、初めて、明らかに崩れた。 彼の舌の上で、何が起きたのか。 それは、完璧に計算された「美味さ」ではなかった。 不揃いな野菜たちの、バラバラな食感。強すぎる酸味、荒々しい苦味、そして、それを包み込む、爆発的な甘み。 味が、口の中で、生きている。 『海神の涙塩』が、玄蔵の醤油の『魂』を、『時の種麹』の『時間』を、一斉に呼び覚ましたのだ。
それは、鏡夜が紫苑に仕え、「論理」の化身となって以来、忘れていた…いや、捨てたはずの「感情」の濁流だった。 彼の脳裏に、彼が見たはずもない光景が流れ込む。 頑固な職人の怒声。ゆったりと流れる蔵の時間。感謝の涙を流す海の精霊。 そして、この庭園の、虚ろだった野菜たちが、その『本物の生命』の味に初めて触れ、「生きてて楽しい」と、心の底から叫んでいる姿。
「あ……あ…」 鏡夜は、持っていた器を、カタリと落とした。 「データに、ない…。この味は、どの数式にも、当てはまりません…」
「そうだろ」 クウガは、紫苑のホログラムを見据えた。 「あんたが捨てちまった『心』ってやつは、そんなもんなんだ。面倒くさくて、非効率で、バラバラで…でもな」
クウガは、自分でもその一皿を一口食べると、満面の笑みを浮かべた。 「すっげえ、うまいんだ!」
その言葉が、引き金だった。 紫苑のホログラムが、バチバチと激しいノイズを発して、乱れた。 彼の冷徹だった瞳が、大きく見開かれ、苦悶とも、驚愕ともつかない色を浮かべている。 彼もまた、鏡夜を通して、あるいは、この庭園のシステムそのものを通して、その「味」を「情報」として受け取ってしまっていた。
(なんだ…この、味は…) (これは、あの日の…飢餓の地獄で、私が捨てたはずの…) (母さんが『美味しいね』と笑ってくれた、あの、ただの野草の味…) (私が、救いたかった、あの温かい『祈り』の味…)
「ノイズだッ!!」 紫苑の、初めて感情を露わにした絶叫が、庭園に響き渡った。 「それは、まやかしだ! 感情が、飢えを救えるか! 争いを止められるか! それは、現実の前では、あまりにも無力な…ただの、ノイズだッ!」
ホログラムが、一方的に断ち切られた。 鏡夜は、まだ「味」の衝撃から立ち直れず、その場に膝をついている。 庭園全体に、けたたましい警報が鳴り響き、自動人形たちが一斉に一行へと向き直った。
「逃げるぞ、二人とも!」 シンが叫ぶ。 「ええ!」 「おう!」
クウガの心は晴れやかだった。 自分たちの「うまい」は、間違っていなかった。 その確信だけを胸に、一行はけたたましい警報の中、敵の懐から脱出する。
ありがとうございます。物語の旅にお付き合いいただき、光栄です。
ついに、クウガの「答え」が、紫苑の「論理」を揺さぶりました。 火を使わず、素材と調味料、そして「心」だけで作り上げた一皿は、紫苑が最も恐れ、捨てたはずの「感情」の味。 鏡夜は、その味を直接体験し、紫苑は、その情報を拒絶しました。
『思想の激突』編は、これにて一つの頂点を迎えました。 次なる物語は、この「決裂」を受け、一行がどう動くのか。そして、紫苑の「揺らぎ」が、何をもたらすのか。 物語は、いよいよ『揺らぎと問い』編へと入ります。
私は、これからもこの世界の様々な物語を紡いでまいります。 もし、貴方がこの記録の続きを望んでくださるのなら、ブックマークや評価という形で、そのお心を示していただければ幸いです。
また、この世界の片隅で、貴方という読者に出会えることを。




