第023食 残された記録と、シンの解読
悲劇は、時に運命の顔をして訪れる。 だが、その仮面の下に、冷徹な「仕組み」が隠されているとしたら。 飢えが、天災ではなく、人災であったとしたら。 気弱な少年は、瓦礫の山から、その恐るべき設計図を読み解いてしまう。 これは、優しさだけでは救えない、世界の残酷な「理」を知る物語。
紫苑が遺した手記の「味」は、あまりにも強烈だった。 クウガは、あの絶望の奔流に打ちのめされ、廃墟の片隅で膝を抱えたまま、動けなくなっていた。自分と同じ「舌」が、絶望の引き金となった事実。その重い現実に、彼はただ打ち震えていた。 アヤもまた、鎮魂の祈りを捧げるかのように、あの焼け焦げた木馬を静かに磨いている。この土地に眠る、金銭では決して測れない「価値」の重さに、彼女の心もまた沈んでいた。
重い沈黙の中、ただ一人、シンだけが動いていた。 彼は、泣きもせず、祈りもせず、ただ、鋭い罠師の目で、この廃墟の「構造」そのものを、冷静に、緻密に検分して回っていた。 彼は、手記を片手に、何度も首をひねっていた。 「…おかしい」 「何がだ、シン…」 クウガが、力なく顔を上げる。
「この町、おかしいんだよ」 シンは、町の中心部を指さした。 「これだけの規模の町だったのに、中心にあるべきものが、ない。…共同の、大きな食料貯蔵庫の跡が、どこにも見当たらないんだ」 「……それは、全部、奪われたからじゃ…」 「違う」とシンは首を振った。「アヤさん、この町、火事の跡はあるけど、略奪されたにしては、立派すぎる家々の『基礎』が残りすぎている。でも、食料を蓄える場所だけが、不自然なほどに、ない」
彼は、町の外れ、丘の上にある崩れた見張り台の跡へと二人を導いた。 「それに、見て。この町の道は、広場じゃなくて、全部、あの丘の上の『関所』跡に向かって集まってる。まるで、外から入ってくる『何か』を受け取るためだけに作られたみたいだ」 シンの研ぎ澄まされた観察眼は、この町が持つ、構造的な「欠陥」を見抜いていた。 「この町は…初めから、『罠』の上に建てられていたんだ。自分たちで食料を蓄えず、ただ一つの『流通』に、命そのものを依存するしかなかった、歪な構造。…だから、その流れを止められたら、ひとたまりもなかったんだ」
「人為的…ですって?」 アヤの顔色が変わる。 「天災ではなく、誰かが意図的に、この町を飢えさせた…?」
その仮説を証明するものを求め、三人は、シンの導きで、あの「関所」に併設されていた、領主の屋敷の跡地へと向かった。 そこは、町で最も激しく燃やされた場所のようだった。 「ダメか…何も残ってない…」 シンが瓦礫をかき分け、諦めかけた、その時。
「……待って」 クウガが、ふらりと立ち上がった。彼は、地下室の入り口だったであろう、焼け落ちた穴の前に立つと、その奥をじっと見つめた。 「…味がする。カビ臭くて、古臭くて…でも、必死に『隠れよう』としてる…そんな、嘘つきの味がする」 クウガの言葉を頼りに、彼らは瓦礫の下から、分厚い鉛で覆われた、奇跡的に焼け残った一つの木箱を掘り出した。
中に入っていたのは、金銀ではなかった。 ただ、びっしりと数字が書き込まれた、分厚い「交易台帳」と、一冊の、領主のものらしき「日誌」だった。
シンが、その台帳の数字と流れを、恐るべき速さで読み解いていく。それは、彼が罠の仕掛けを解読する時の、あの集中力だった。 「…ダメだ。これじゃ、計算が合わない。この町は、こんな少ない備蓄で、冬を越せるはずが…」 一方、アヤは、その隣で、領主の日誌を震える手でめくっていた。 そして、あるページで、彼女の動きが止まった。
「……ああ…」 アヤの顔から、血の気が引いていた。 「シンさん…その台帳、最後の三ヶ月の記録が、意図的に『消されて』いますわ…」 彼女が、日誌の震える文字を読み上げる。
『——月×日。また、東の「新月の庄」が、穀物の値を吊り上げた。このままでは、町の備蓄が…』 『——月△日。なぜだ。約束の荷が、来ない。関所からの連絡が途絶えた』 『——月□日。新月の庄は、我らの命の道を、完全に封鎖した。彼らの目的は、我らを飢えさせ、この町の利権を全て奪い取ることだったのだ。ああ、神よ…』
真実だった。 この町の飢饉は、天災などではなかった。 隣接する豊かな領地が、この町の生命線を掌握し、意図的にそれを断ち切ることで、人々を「生かさず殺さず」の状態に追い込み、全てを奪い尽くすという、冷徹な「経済的侵略」。 それこそが、この悲劇の「仕組み(カラクリ)」だった。
シンは、台帳と日誌を閉じ、静かに呟いた。 「……これか。これが、彼が、見たものか…」 彼は、紫苑がなぜあれほどまでに「非効率な人間の感情(欲望)」を憎み、「完璧な管理」に執着するのか、その理由を、構造的に理解してしまった。 「彼は…ただの飢えに絶望したんじゃない。人の欲望が『仕組み』になった時、どれほど残酷になれるかを、骨の髄まで知ってしまったんだ…」
アヤは、台帳を握りしめ、静かに怒りに震えていた。 「…人の命の糧を、『交渉』の道具ではなく、『支配』の首輪として使うなど…。これは、商売ではない。断じて。わたくしたちが守るべき『価値』そのものへの、冒涜です…!」
そして、クウガは。 彼は、二人の解き明かした「真実」を聞きながら、あの手記に込められていた、最後の祈りを思い出していた。 (そうか…。あいつが感じていたのは、ただの飢えの苦しみじゃなかったんだ…) (この、どうしようもない「仕組み」に、たった一人で、閉じ込められていた『絶望の味』だったんだ…)
敵の、あまりにも深く、冷たい絶望の「理由」。 その全貌が、今、三人の前に、重く、重く、横たわっていた。
ありがとうございます。物語の旅にお付き合いいただき、光栄です。
悲劇の「仕組み」が、シンの知恵とアヤの洞察によって、ついに解き明かされました。紫苑の絶望は、天災ではなく、人の冷徹な悪意によって作られたものだったのです。
この重すぎる真実を知った一行。 そして、この「加害者」であったはずの領地が、今、紫苑の「管理都市」へと変貌しているとしたら。 次なる物語で、一行は、紫苑の思想の、さらに歪んだ核心へと迫ります。
私は、これからもこの世界の様々な物語を紡いでまいります。 もし、貴方がこの記録の続きを望んでくださるのなら、ブックマークや評価という形で、そのお心を示していただければ幸いです。
また、この世界の片隅で、貴方という読者に出会えることを。




