第022食 飢餓の味と、鎮魂の祈り
一冊の古びた手記。 そこに記されていたのは、パンの焼き方ではなかった。 それは、飢えに泣き、争いに絶望し、それでもなお、人々を救おうともがいた、一人の少年の「魂の記録」。 食いしん坊の少年は、そのインクの染みに込められた、悲痛な「祈り」の味を知る。 これは、敵の仮面の下に隠された、悲しき素顔に触れる物語。
世界の決定者よ、拝聴いたしました。 誠に、その通りでございます。物語の語り部として、この世界の時間軸を乱すような「話数」というメタ的な表現を使ってしまうとは。読者の没入感を著しく損なう、あってはならない誤りでした。
ご指摘いただいた箇所を、彼らが「ついさっき体験したこと」として、自然な時間の流れに修正し、物語をあるべき姿に戻した、第二十二話の改稿版をここに紡ぎます。 深くお詫び申し上げるとともに、あなたの慧眼に心より感謝いたします。
第二十二話 飢餓の味と、鎮魂の祈り (改稿版)
前書き
一冊の古びた手記。 そこに記されていたのは、パンの焼き方ではなかった。 それは、飢えに泣き、争いに絶望し、それでもなお、人々を救おうともがいた、一人の少年の「魂の記録」。 食いしん坊の少年は、そのインクの染みに込められた、悲痛な「祈り」の味を知る。 これは、敵の仮面の下に隠された、悲しき素顔に触れる物語。
本文
クウガが、廃墟と化したパン屋の石窯の奥で見つけた、一冊の古いレシピ帳。 彼が、その煤けた革の表紙に、そっと指を触れた瞬間。
「———ッ!!」
声にならない悲鳴が、クウガの喉を突いた。 彼の脳裏に、これまでに経験したことのない、凄まじい「味」の奔流が叩きつけられた。 それは、味覚ではなかった。魂を直接掴み、揺さぶる、膨大な「記憶」と「感情」の濁流だった。
——最初は、温かい味。『今日のパンは、百年で一番の出来だ!』と笑う、パン屋の主人の、誇らしい、小麦の甘い味。 ——次に、焦げた味。火事だ。街が燃える。逃げ惑う人々の、恐怖とパニックの、酸っぱい味。 ——そして、何もかもが失われた後。『ひもじい』『水が飲みたい』『痛い』『寒い』。先ほどこの土地に足を踏み入れた時に感じ取った、あの絶望の味が、何百倍にも濃縮されて押し寄せる。
クウガは、その場に膝をついた。だが、記憶の奔流は止まらない。 手記の持ち主が変わった。 現れたのは、小さな子供の手。その手は、クウガと同じように、道端の草をちぎり、舐め、選別している。 『この草は、苦いけど、毒はない』 『この木の根は、潰せば、粉の代わりになる』 『この泥水は、煮沸して、あの石を通せば、飲める』
それは、幼い日の紫苑の記憶だった。 クウガと同じ、「絶対の舌」を持つ少年が、その力を必死に使い、飢えた人々を救おうと、この廃墟を駆け回っていた。
だが、記憶は、さらに暗い味を帯びていく。 『なんで! 僕が見つけた芋を、あのおじさんたちが奪い合うんだ!』 『やめて! その水は、まだ、浄化が終わってないのに!』 『ごめんなさい、ごめんなさい…僕の力が足りないから、また、死んじゃった…』
彼の「才能」は、絶望的な飢餓と、醜い人間の「欲望」の前で、あまりにも無力だった。 人々は彼の見つけた食料を巡って争い、裏切り、傷つけあった。彼が救おうとした手は、彼を突き飛ばし、食料を奪っていった。
そして、最後。 手記の、最後のページ。 インクではなく、血で書かれたかのような、か細く、しかし怨念にも似た文字が、クウガの魂に流れ込む。 それは、パンのレシピではなかった。 一つの、恐ろしい「祈り」だった。
『もう、いやだ』 『心が、いらない』 『奪い合うくらいなら、感情なんて、いらない』 『誰も、飢えなくていい』 『誰も、争わなくていい』 『僕が、管理する』 『完璧な、世界を————』
「う……あ……あああああっ!!」
クウガは、ついにその膨大な絶望の「味」に耐えきれず、手記を落とし、その場で激しく嘔吐いた。涙と汗で、全身がぐっしょりと濡れている。 「クウガ!」「クウガさん!」 シンとアヤが、真っ青になって駆け寄る。
「…大丈夫か!?」 シンが背中をさする。クウガは、ぜえぜえと荒い息を繰り返しながら、震える指で、落ちた手記を指さした。 「…あれ…あいつの…」
シンが、訝しげにその手記を手に取る。 アヤも、クウガの尋常でない様子に、ゴクリと唾を飲んだ。 シンは、パラパラとページをめくっていく。最初は確かにパンのレシピだったものが、途中から、必死の形相で書かれた野草の鑑定記録に変わり、そして最後のページで、あの恐ろしい祈りの言葉に至るのを、その目で確認した。
「……なんだ、これ…。『完璧な世界』…? まるで、あの『新・京』の街そのものじゃないか…」 シンは、戦慄した。彼らが出会ったあの冷徹な思想が、こんなにも悲痛な絶望の底から生まれていたという事実に。
「クウガさん…」 アヤは、先ほど教会の跡地で見つけた、あの焼け焦げた木馬を、クウガの震える手のひらに、そっと乗せた。 「あなた様が『味わった』のは、これですのね。この木馬の持ち主が、この手記の少年が、体験した『現実』…」 彼女の瞳が、怒りと、そして深い悲しみに揺れていた。
クウガは、木馬を握りしめ、嗚咽を漏らしながら、絞り出した。 「……あいつ……俺と、同じだったんだ…」 「え…?」 「俺と同じ『舌』を持ってた…。なのに…あいつは、誰も救えなかったんだ…。『うまい』が、あいつを…絶望させたんだ…」
クウガは、人生で初めて、自らの「才能」が持つ、もう一つの可能性を知った。 もし、自分がラミエルや仲間に出会えず、たった一人で、あの絶望の底にいたら。 自分もまた、あの「冷たくて、まずい」祈りを、捧げていたのではないか。
クウガの心は、激しく揺さぶられていた。 敵は、単なる悪ではなかった。 それは、絶望の果てに、道を違えた、もう一人の自分自身だったのだ。
ありがとうございます。物語の旅にお付き合いいただき、光栄です。
ついに、クウガは紫苑の「原点」に触れました。彼を突き動かす歪んだ理想が、かつては「人々を救いたい」という、悲しくも優しい祈りであったことを知ってしまいました。 そして、自分と同じ才能が、絶望を生む引き金にもなったという重い事実。
『紫苑の鎮魂歌』編は、核心へと近づいていきます。 この悲劇の「全貌」とは何だったのか。次なる物語で、シンとアヤが、その「仕組み」を解き明かし始めます。
私は、これからもこの世界の様々な物語を紡いでまいります。 もし、貴方がこの記録の続きを望んでくださるのなら、ブックマークや評価という形で、そのお心を示していただければ幸いです。
また、この世界の片隅で、貴方という読者に出会えることを。




