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第019食 紫苑、顕現す

影は、輪郭を得て、初めて脅威となる。 穏やかな言葉で語られる、完璧な絶望。 冷徹な論理で示される、歪んだ救済。 食いしん坊の少年は、自らの理想とは対極にある、歪んだ救済の姿と向き合う。 それは、もし彼が絶望に呑まれていたら、辿り着いたかもしれない、もう一つの未来の姿だった。 これは、二つの正義が初めて交錯する、思想の対決の物語。

アヤの仕掛けた「本物の味」による市場介入は、人々の心を確かに揺さぶった。だが、それは同時に、この「新・京」という巨大なシステムに対する、明確な反逆行為でもあった。 「アヤさん、まずいです! 囲まれてます!」 シンの叫び通り、感謝の壁を作ってくれていた人々も、整然と隊列を組んで現れた自動人形の警備隊の前には、なすすべなく後ずさる。 「…仕方ありませんわね。一旦、引きます!」 アヤの指示で、一行は荷馬車を駆けさせ、都市からの脱出路へと急いだ。


だが、何かがおかしかった。 追ってくる警備隊は、決して一行を攻撃しようとはしない。ただ、まるで羊を追い立てる牧羊犬のように、一行の進路を巧みに塞ぎ、特定の方向へと追いやっていく。 「シン! どうなってる!」 「ダメです、クウガ! この道も、あの道も、不自然なタイミングで封鎖されていく…! まるで、街全体が僕たちを捕まえるための、巨大な罠みたいだ!」 シンの顔から血の気が引いていく。彼の知恵が、自分たちを遥かに凌駕する、巨大な知性によって「誘導」されていることを感じ取っていた。


荷馬車が追い詰められたのは、博覧会場の地下深く。無数の蒸気管が脈打ち、街中の情報を集約しているかのような巨大な水晶板パネルが青白い光を放つ、冷たく、無機質な「中央管理室」だった。 その部屋の中央に、あの鏡夜きょうやが、まるで一行が来るのを最初から知っていたかのように、静かに待ち構えていた。


「ようこそ、『イレギュラー』の皆様。あなた方の行動予測パターン、その全てが、誤差の範囲内です」 「…どういう、ことですの?」 アヤが扇子を構えながら、冷静さを装って問う。 「あなた方は、博覧会を混乱させ、市場を扇動した。それは、我が主のシステムに対する『脅威』です。しかし、それ以上に…」 鏡夜は、その冷たい瞳に、初めて科学者・・・・・のような微かな熱を宿した。 「我が主の『完璧な論理』では説明のつかない、実に興味深い『サンプル』でもある。故に、我が主が、あなた方という『データ』に、直接触れたいとのことです」


鏡夜が操作盤に触れると、部屋の中央にある巨大な円筒形の装置から光があふれ、一体のホログラムが、ノイズもなく完璧な輪郭りんかくを結んだ。 白衣のようでありながら、優美な紫の色を帯びた衣服をまとう男。顔立ちは穏やかで、知的ですらある。だが、その瞳だけが、生き物を見る目ではなかった。そこにあるのは、絶対的な「無関心」と、揺らぐことのない「論理」だけだった。 彼こそが、紫苑しおんだった。


紫苑は、まずアヤを見た。その視線は、人ではなく、興味深い「現象」を分析するかのようだ。 「『価値の再燃』。実に面白い。だが、それは『飢え』を知らない者の、贅沢な感傷に過ぎない。本物の飢餓の前では、君が言う『物語』や『誇り』など、一片の肉に劣るのだよ」


次に、シンを見た。 「『システムの不協和音』。見事な知恵だ。だが、君の仕掛けたその『優しいバグ』が、どれほどの『非効率』を生み、結果として、我々が管理コストに回せたはずの、どれほどの『救える命』を奪ったか、計算したかね?」


シンとアヤは、言葉を失った。自分たちの全力の行動が、この男の前では、ただ解析され、そして「非効率」という一言で断じられてしまった。その事実に、二人は言い知れぬ寒気を覚えた。


そして、最後に、紫苑はクウガを見た。 その瞳が、初めて「現象」ではなく、「個」を見る目に変わった。


「そして、君だ。クウガ」 その声は、静かだった。 「君のちからは、我々と同質のものだ。おそらく、私と同じ」 「…え?」 「だが、君はそれを使って何をした? 人々の忘れていた『感情ノイズ』を呼び覚まし、我々が築いた『完璧な秩序』を乱した」


紫苑は、まるで教師が子供に語りかけるように、その歪んだ理想を説き始めた。 「飢えも、争いもない、完璧に管理された世界。それこそが、人類の『救済』だ。食の奪い合いこそが、この世の全ての不幸の根源なのだから。なぜ、君はそれを邪魔する? なぜ、無秩序な『感情』という名の、最も危険な『飢えの種』を、再びまき散らす?」


クウガは、彼の言葉の奥にある、冷たい「味」を感じ取っていた。 それは、怒りでも、憎しみでもない。熱いものは何一つない。 あまりにも深すぎる「諦観」と「絶望」が凍りついたような、そんな味だった。 クウガは、紫苑の言葉の意味を、まだ完全には理解できなかった。だが、彼の舌は、その思想の「まずさ」を、本能的に理解していた。


「……あんたの言ってることは、よくわかんねえ!」 クウガは、絞り出すように叫んだ。 「でもな! あんたのその『完璧な世界』ってやつは、すっげえ『冷たくて、悲しくて、まずい味』がするんだよ! 飯は、腹だけじゃなくて、心で食うもんだ! 心が腹ペコじゃ、生きてたって楽しくねえ!」


クウガの魂の叫びを聞き、紫苑は、ほんのわずかに、その表情を変えた。それは、憐れみにも似た、静かな失望のようだった。 「……そうか。君もまだ、『そちら側』か」 彼は、それ以上何も言わなかった。 「データは取れた。鏡夜、あとは任せる」 紫苑のホログラムは、光の粒子となって消えた。


「お聞き及びの通りだ」 鏡夜が、一行に告げる。 「我が主は、あなた方を『敵』とは見なしていない。ただ、『修正すべきバグ』、あるいは『保護すべき希少サンプル』として認識された。次にお会いする時までに、その非効率な『感情』が、どれほど無力かを知ることになるでしょう」 鏡夜は、警報を鳴らすどころか、地下管理室の出口へと続く扉を、こともなげに指し示した。 「お行きなさい。あなた方という『サンプル』は、まだ野に放っておく方が、より多くのデータが取れる」


一行は、戦うことさえ許されず、ただ敵の掌の上で「逃がされた」。 この「新・京」での出来事は、完全な敗北ではない。だが、思想の面で圧倒され、ただ見逃されたという重い事実だけが、彼らの心に深く刻み込まれた。

ありがとうございます。物語の旅にお合いいただき、光栄です。


ついに、好敵手・紫苑がその姿と言葉を現しました。 クウガの「心」と紫苑の「管理」。二つの思想は、決して交わることなく、決裂しました。そして、クウガは、自分と「同質の力」を持つ者の、絶望に満ちた未来の姿を突きつけられました。


敵の掌の上で逃がされた一行は、何を思うのか。 そして、クウガがこの重い問いかけに、どのような「答え」を見つけ出すのか。物語は、次なる局面へと進みます。


わたくしは、これからもこの世界の様々な物語を紡いでまいります。 もし、貴方がこの記録の続きを望んでくださるのなら、ブックマークや評価という形で、そのお心を示していただければ幸いです。


また、この世界の片隅で、貴方という読者に出会えることを。

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