第016食 東の都と、招待状
完璧な秩序。完璧な配給。 飢えも、争いもない、管理された理想郷。 だが、そこには「寄り道」をする自由も、「好み」を語らう喧騒もない。 その整然とした街並みは、果たして楽園か、それとも巨大な鳥籠か。 食いしん坊一行の前に差し出された一枚の招待状は、仕組まれた罠か、それとも冷徹な品定めか。 これは、彼らが初めて敵の懐へと足を踏み入れる、始まりの物語。
シンの知恵が、完璧すぎた街に人の温もりを取り戻してから数日。一行の旅は、さらに東へと続いていた。 聖域の力が色濃かった西日本とは明らかに空気が違う。山々は、まるで定規で線を引いたかのように整然と伐採され、同じ間隔で苗木が植え直されている。川は、遊びも淀みもないコンクリートの護岸で固められ、ただ効率よく流れるだけの「水路」と化していた。
野営の朝、クウガはいつものように川の水を一口含み、深く、深く眉をひそめた。 「……まずい。昨日までの水より、もっとまずいぞ、これ」 シンが「また泥でも混じってたのか?」と尋ねるが、クウガは首を横に振った。 「違う。泥の味じゃねえ。なんだか…水が、『この先に行っちゃいけない』って、怯えてる味がするんだ。風も、誰かに命令された通りの場所しか吹いてないみたいで、すっげえつまらない味がする」 彼の研ぎ澄まされつつある感覚は、自然の「生命力」が失われ、人工的な「管理」に塗り替えられていく世界の空気を、敏感に「味」として感じ取っていた。
やがて一行の目の前に、巨大な灰色の城壁が立ちはだかった。そこが、悪魔派圏の入り口にして、紫苑の組織がその本拠地の一つを置くという、巨大な管理都市「新・京」だった。
衛兵の検問も、無駄な手続きもない。蒸気を動力源とする自動人形が、一行の馬車に淡い光を当ててスキャンすると、滑るように重い門が開いた。 「な、なんだ今の…」 シンが身をこわばらせる。まるで、荷物だけでなく、自分たちの心の中まで値踏みされたような、冷たい視線だった。
街並みは、以前立ち寄った実験都市を遥かに凌駕する規模で、完璧に統治されていた。道行く人々は皆、清潔な揃いの衣服をまとい、栄養状態も良さそうだ。だが、誰もが無表情で、決められたルートを、決められた速度で歩いていく。 公園のベンチで休む人々も、街に設置された時計塔の鐘が鳴ると、まるで糸で操られるかのように一斉に立ち上がり、また無言で歩き出す。そこには、雑談も、笑い声も、寄り道もない。
「あらあら…」 アヤが、市場を指さして呟いた。そこには、信じられない光景が広がっていた。 全ての店が、同じ品質の「完璧な」食材を、同じ「適正な」価格で売っているだけなのだ。並べられた野菜は、全てが同じ形、同じ大きさ。傷一つない。
「これでは…商売ではなく、ただの管理ですわ」 アヤの瞳から、いつもの儲け話を見つけた輝きが消えていた。 「『目利き』の出番も、『交渉』の楽しみもない。これでは、商売の文化そのものが死んでしまいます。豊かに見えて、その実、何も新しいものを生み出さない歪んだ経済圏…」 彼女は、この街の人々が、紫苑というたった一つの「仕入れ先」に命そのものを握られているという事実に気づいていた。 「もし紫苑が『供給を止める』と言えば、この街は一日で飢える。これは…実に、危険な匂いがいたしますわね」
クウガは、その「完璧な」野菜が並ぶ店の一つに駆け寄ると、許可も取らずに、真っ赤に輝く果実を一つ、がぶりとかじった。 店主の自動人形は、何も言わず、ただ決められた代金を請求するだけだ。 「……!」 クウガは、目を丸くした。 「甘い! すっげえ甘いぞ、これ!」 だが、二口、三口と咀嚼するうちに、彼の顔はみるみるうちに曇っていった。 「…甘い。甘いけど、それだけだ。太陽の味も、雨の味も、土の匂いも、何にもしねえ! これ、工場の機械が作った『甘いだけの塊』だろ! ちっとも、うまくねえ!」 彼は、その完璧な果実を、道端にぺっと吐き出した。
シンは、街の構造そのものに畏怖を感じていた。 「見てください…あの人たちの流れ。まるで、川じゃなくて、計算され尽くした水路を流される水みたいだ。道も、建物も、あの蒸気管も…この街全体が、誰かの意思で完璧に『制御』されている…。もし、この水路から一歩でもはみ出したら、どうなるんだろう…」 彼の、物事の仕組みを読み解く力は、この都市システムが持つ「効率性」と、同時に「逸脱者を許さない冷徹さ」をも感じ取り、背筋を寒くさせていた。
一行が宿を探そうと馬車を進めると、一台の自動人形が滑るように近づき、彼らの前で停止した。 『クウガ様、シン様、アヤ様。お待ちしておりました』
機械的な音声に導かれ、一行がたどり着いたのは、この都市で唯一、異質な空気を放つ高層の料亭だった。そこだけが「高級」という名の「差別化」を許された、特権的な空間のようだった。 そこで彼らを待っていたのは、かつてクウガと料理問答を繰り広げた、あの紫の衣服の男――鏡夜だった。
「ようこそ、『イレギュラー』の皆様。あなた方のこれまでの『実験結果』、我が主、紫苑様も大変興味深く拝見されております」 鏡夜は、表情一つ変えずに言った。彼らのこれまでの旅――境ノ宿での塩むすび、疑心暗鬼の村での賭け、そして完璧なシステムへの不協和音――その全てが、「サンプルデータ」として紫苑の組織に収集されていたのだ。
「あなた方の『古い価値観』が、我が主の『完璧な管理』と接触した時、どのような化学反応を起こすのか。それを、この目で見定める時が来ました」 鏡夜は、一枚の豪奢な招待状をテーブルに滑らせた。
「我が主、紫苑が主催する『食の博覧会』へ、皆様をご招待いたします。我が主の理想――すなわち、非効率な感情や個体差を排除し、全ての人類を飢えと争いから『救済』するための、最新の成果発表会です。その世界を、その目と、その舌で、確かめる良い機会でしょう」
それは、明らかに罠だった。だが同時に、紫苑本人から叩きつけられた、初めての直接的な挑戦状でもあった。 シンとアヤが息を呑む中、クウガは、目の前に出された完璧な茶菓子を一口かじると、先ほどの果実と同じ「空っぽの味」に顔をしかめた。 だが、彼はにっと笑った。
「面白い! 望むところだ!」 彼は、鏡夜の冷徹な瞳を真っ直ぐに見据えた。 「ここの飯は、心が腹ペコになる。だったら、その『博覧会』ってやつで、一番偉いやつに直接食わせて、言ってやる。『お前の飯は、世界一まずい!』ってな!」
ありがとうございます。物語の旅にお付き合いいただき、光栄です。
ついに、一行は敵の本拠地へと足を踏み入れました。物語は『影の浸食』編を終え、新たな段階『最初の接触』編へと突入します。 これまでの活躍が全て「データ」として収集されていたという事実。そして、差し出された不気味な招待状。
紫苑が主催する「食の博覧会」とは、一体何なのか。 それは、美食の祭典か、それとも、彼らの思想を問う処刑台か。 クウガの「心」と紫苑の「管理」。二つの思想が、今、まさに激突しようとしています。
私は、これからもこの世界の様々な物語を紡いでまいります。 もし、貴方がこの記録の続きを望んでくださるのなら、ブックマークや評価という形で、そのお心を示していただければ幸いです。
また、この世界の片隅で、貴方という読者に出会えることを。




