⑥
「あぁ、僕の可愛いリヒト君! どうして毎日電話してくれないの?」
頻繁にかかってくる父親のラブコールを無視していたリヒトだが、母親から可哀想だから出てあげてと連絡が入って仕方なく応えた結果、今まさに電話口で泣きつかれている。
(後一週間は出なくてもよかったな)
体質のせいもあって割と過保護な両親ではあるが、父親は特に誘拐未遂現場を目撃してからは母親よりもそれが悪化したように思う。
「二週間前も話したでしょ」
「二週間もっ、も、だよ! 僕も藤乃ちゃんも寂しくて寂しくて」
深みのあるバリトンボイスは響きだけなら固く冷たく感じるが、ざらりと砂糖をまぶしたような独特なハスキーも相まって我が父ながら舞台俳優の台詞を聞いている気持ちになる。
「顔が見たいからビデオ通話にして、ね、ね?」
仕方なく了承してビデオ通話に切り替えると、冷たく見える美貌が画面一杯に映った。
どちらかといえば柔らかな顔立ちのリヒトとは違って、父親であるフランツは見た目だけならどこか神経質そうな硬質な美貌をしている。強面とは違う、とっつきにくそうな容姿だ。ただそれは見た目だけの話で、中身はおっとりとして穏やかな人である。
「あらフランツ、りっくんと通話繋がったの?」
奥から母、藤乃の声も聞こえてくる。それと同時に、実家にはあまり似つかわしくない呵呵大笑も響いていた。
「もしかしてディアークさんいる?」
「そんな粗忽者はいないよ」
清々しい笑みでキッパリと否定したフランツに、思わず苦笑いが込み上げる。
「誰が粗忽者だ! まったくお前はいつもいつもねちっこくて構わんな。そう思うだろ、リヒト!」
フランツを軽々と押し退けながらスマートフォンを奪った男は、ぬっと画面一杯に現れると精悍な顔をクシャクシャにして笑った。
声も態度も大きいこの男は、両親の昔ながらの友人である。アメリカ人のようなテンションの男だが、父と同じ同郷の出だった。
「返せディアーク。……まったく家族の団欒を邪魔するなんて、本当に迷惑な男だよ」
即座にスマートフォンを取り返すフランツの隣にベッタリとくっつくように座って我先にと画面に映りこむディアークは、渋面をしているフランツのことなど微塵も気にしない。
「久しぶり、ディアークさん。今日本にいるの?」
「おう、商談があってな。明後日まで日本にいるんだ」
普段はアメリカで会社を経営している彼は、外見とは裏腹に頭の切れる人間だ。フランツも母国語レベルで英語や日本語を話せるトリリンガルだが、ディアークは五ヶ国語を流暢に操るマルチリンガルである。
三人はアメリカに留学中に出会ったらしい。子供の頃はよく、藤乃の美しさに一目惚れをして二人で熾烈な戦いを繰り広げたものだと聞かされた。
酔えば二人から、母がどれだけ美しい大和撫子か延々と聞かされる羽目になるので、彼らが晩酌をする前には絶対に通話を切るつもりだ。
「りっくん、そっちはどう?」
母も父の隣に座り、彼を真ん中に団子のようにして六つの目がこちらを見つめてくる。
「うん、皆良くしてくれるよ」
「そう、よかった。野薔薇さ……お婆ちゃんとはどう?」
「上手くやってるよ。ご飯も旨いし」
「そう、ご飯作るの上手なのね」
リヒトの言葉にホッとしつつも、どこか複雑そうな色を滲ませながらフランツと顔を見合わせる藤乃に、わざと的外れなことを言って笑った。
「母さんのご飯も負けないくらい旨いよ」
そうだろうそうだろうと、何も関係のないディアークが自慢げに頷くのをフランツが物凄い形相で睨んでいるのを眺めながら、ふいに椿姫のことを思い出して訊ねてみた。
「母さんさ、椿姫って知ってる?」
「椿姫?」
「この村の偉い人のことらしいんだけど」
「村長のこと?」
「いや、村長ではないんだけど」
きょとんとしている藤乃に軽く説明すると、母は知らないと首を横に降った。
「ごめんね。私、物心つく前に村を出ているから、そういったことは何も知らないの。母が生きていたことすら、三年前に父が死ぬ間際に話してくれなかったら知らなかったんだもの」
儚げな面立ちに苦笑を浮かべながら小首を傾げる藤乃のほっそりとした肩を抱いて、フランツが興味深そうに目を輝かせた。
「とても面白いね。因習村の気配を感じる」
普段は血の気のない白皙の面に子供のような薔薇色を浮かべたフランツに、ディアークが不思議そうに復唱した。
「いんしゅうむら?」
「閉鎖的な村を舞台に、古くからのしきたりや風習を外部の者が荒らしたり守らなかったりすることで、それらが無慈悲な恐怖として襲いかかってくるホラーのことさ」
「あぁ、因習で、因習村か。日本のホラーはジメッと精神にくるから苦手だ」
嫌な顔をするディアークとは対照的に、小説家であるフランツはワクワクとした様子が顔だけでなく体からも滲み出ている。
「その椿姫とやらは、村にとってとても神格化された存在みたいだね。──しかし、本当に次の椿姫に痣が出現するんだろうか。だとしたらそれは一体どういった原理なのだろう? 生まれ変わりとも違うようだし……興味深いなぁ」
「村に来ないでね」
真顔で呟くフランツに嫌な予感がしたリヒトは、先手を売って拒否する。
「……何故だい?」
「父さんが来たら目立つ」
「変なことはしないよ? ただちょっと調べたいだけ」
「それがダメなんだって。変に藪蛇つついて、俺が面倒ごとに巻き込まれたらどうするの」
今のところは馴染むように暮らしているが、おおらかに見える村とはいえ、不思議なしきたりを村外の人間が無造作に踏み散らしたら、それこそあっという間に排他的に攻撃されるだろう。閉鎖的な集団というものは、そこでのルールやマナーを重んじる。ただでさえ日本は他の国よりもそういったルールを遵守する傾向が強いのだから、それが代々続くそれに無作法に触れたらどうなるかなど、閉鎖的な村でなくとも想像に難くない。
「こら、一応私の生まれ故郷を凄惨なホラー村にしないでくれるかしら」
ポコッと可愛らしい効果音がつきそうなほどの優しさでフランツを小突いた藤乃に、彼は名残惜しそうにしながらも謝った。
「わかった。行かないよ」
しょんぼりと肩を落とすフランツの背中を慰めるように撫でながら、藤乃は言った。
「でも、確かに不思議な存在ね。椿姫って」
「顔すら見られないってことは学校とかはどうしてんだ? スクーリングもできないよな。家で勉強する奴もいるから変ではないが、日本の法律だと義務教育はきちんと受けさせないといけなかったはずだよな」
「そこら辺は俺もよく知らない。ただ、代理人ってのが俺より少し年上で、今の椿姫の実兄だって言ってたから、彼女の年齢は俺と変わらないと思う」
ディアークは少し思案するように顎の下を撫でながら、クマリっぽいなと呟いた。
「クマリ?」
「ネパールで崇拝されてる生きた女神のことだよ。二歳から四歳の処女の幼女が選ばれるんだ。そして初潮を迎えた時点で人に戻ったとされてクマリの任を解かれる。クマリは学校に行ったり友人と遊んだりとか自由にできないから、クマリの任を解かれた後、普通の生活に戻れなくて大変らしいんだ」
「うわっ……」
詳しく教えてくれたフランツの言葉に、生理的な怖気が走った。
他国の宗教や価値観を無遠慮に否定する気はないが、自分を人間以外の存在を見るかのような熱のある独特な視線は、けして慣れるものでもないし、慣れたくもない。
「でも、当主ってことは家の繁栄のために色々してるんだろ? ならきちんと勉強もさせられてるのかもな」
「いや、代理人がほぼ動いているなら、実質飾りみたいなものだろう。ということは、やはりただの象徴みたいな扱いなのか」
白熱しだした話し合いに、おっとりと藤乃が笑う。
「でも私の母がその一族の出身だったなんてね。……もしかしたら、そういうことから関わらせないように父も教えてくれなかったのかしら」
そうかもしれない。村外の人間だった祖父にとって、椿姫という存在は奇異なものに映っただろう。
「リヒトさん、居るの?」
凛とした、しかし何の感情の温度もない声が背後から聞こえた。襖を開けたまま通話をしていたので、思ったよりも声が廊下に洩れていたのだろう。様子を見に来たのか、いつの間にか野薔薇が後ろに立っていた。
足音を立てずに歩くせいで、彼女が来ていることに気づかなかった。
「……野薔薇さん」
「この時間帯に家に居るのは珍しいわね。お夕飯ができたから、せっかくなら温かい内に食べなさいな」
リヒトの返事を聞く前にそれだけ告げてさっさと廊下に消えてしまった野薔薇に、藤乃が何とも言えない表情を浮かべる。
「ごめん、呼ばれたから食べてくるね」
「クールビューティだが少しシャイなんだな、藤乃の母君は」
「ディアーク、少し口を閉じていてくれ」
妙な空気になってしまったのを感じていると、藤乃が心配そうに言った。
「……本当に大丈夫?」
「大丈夫だよ。何も心配しないで」
こちらを見つめる六つの目に、リヒトは屈託のない笑みを浮かべて見せた。
通話を切って居間へと移動しながら小さくため息を吐く。母は温度感のない祖母に思うところがあるようだが、リヒトとしては本当に何の問題もないのだ。深く干渉してこないところも、むしろ有難いとすら思う。
幼少期から大切に愛されて育てられた箱入り息子の自覚はあるし、リヒトとしても両親のことは自分なりに大切に思っているが、時々どうしても窮屈になる時がある。
「待たせてごめん、野薔薇さん」
襖を開けると、野薔薇はもう座って待っていた。しゃんと伸ばされた真っ直ぐな背中は、人によってはその硬質な空気をより一層強いものに感じる要因になるだろう。
「お座りなさい」
最初こそ畳に座って食事をすることに難儀したが、今ではだいぶ慣れた。
「いただきます」
向かい合って手を合わせて食べ始めると、ふいに彼女の方から声をかけられた。
「あまり、外の人間にあれのことを話してはいけませんよ」
食事中に会話することを嫌がるタイプだと思っていたのでこれには驚いたが、内容を聞くと忠告されたことに気づいて思わず箸を止めた。
「椿姫のこと、話したらいけませんでしたか?」
「そうですね。……いえ、私も貴方に話しておくべきでした。数年で外に戻るから言う必要はないと判断していましたが、あれに会わないとは限らないですものね」
あれ、とは随分荒い表現をする。一族の長に対する態度ではないように思えた。
「詳しくは誰かに聞いたのでしょう?」
「はい、クラスメイトに」
「そうですか。……あれが積極的に貴方に関わることはないでしょうが、くれぐれもあれとは関わらないように」
「それは、神聖視されているからですか」
「いいえ」
少しだけ沈黙した後、彼女は言った。
「あれに関わると人生を狂わされます。あれは、人ではないのですから」




