⑤
昼休みが終わる前にさっさと屋上から撤退したリヒトは、途中ナナと別れて猛と二人、渡り廊下を歩いていた。校舎にたった一つしかない自販機は、奥まった屋外に設置されている。
「まじで自販機遠くて不便だよな。せめて校内に欲しい」
「それはそう」
そもそも校舎に一つしかないのも驚いたが、全校生徒合わせて百人を切っている村立高等学校なので仕方ないのだろう。むしろ財政難などは大丈夫なのか疑問すらあった。とはいえ、設備が古いわけでもない。きちんと改装されているところを見ると、尾和座家は思っているよりも金があるのかもしれない。
「何飲む?」
「え、奢ってくれんの?」
「情報料。先輩にも後で何かしなきゃな」
笑顔で炭酸飲料のボタンを押した猛は、じゃあさ、と切り出す。
「遊んであげてよ。姉ちゃん須藤のこと気に入ってるし」
「……意味わかって言ってる?」
リヒトの胡乱気な表情を見て、猛はニンマリと口角を上げた。
「えー、須藤君スケベ」
「うざ……」
その表情が今まで見た何より鬱陶しくて、思わずその派手な後頭部を叩いていた。パンっと思いのほか良い音が鳴って、ナナが彼の頭を叩く理由を垣間見た気がした。
「あいててっ。何で皆俺の頭苛める訳? 脳細胞死んじゃう」
「最初から死んでるだろ」
「いや、辛辣すぎ」
猛は快活に笑って叩かれた頭を撫でた。
「でもさ、毎回そうじゃないだろ?」
「……まぁ」
その時々による。相手が望むなら拒否はしないし、望まないならただ傍にいるだけだ。
「姉ちゃんはたぶん、ただくっついていたいだけだと思う」
甘さの虜などと書かれている正体不明の飲料を飲んでいる猛の表情は、ただ穏やかだった。派手な身なりと軽い言動に目がいきがちだが、彼はわりと他人をよく見ている。
「先輩が誘うなら、断る理由はないよ」
「えー、情報料ならお前から声かけてやれよ」
並んで渡り廊下を戻っていると、傍の小さな花壇をじっと見つめている小さな頭が視界に入った。元々小さい体を折り畳むようにしてしゃがみこんでいるのだが、体幹がないのかその小さな頭はぐらついている。
思わず何気なく見ていると、立ち上がろうとした彼の小さな体がそのままゆっくりと傾いていくのが目に入って、気づけばリヒトは走っていた。
「ちょっと気をつけなよ」
強めに腕を掴んで支えながら、あまりの柔らかさにこれが同年代の男の体かと内心ギョッとした。筋肉もなく、骨自体が細いような、そんな体だ。ただ女の柔らかさのある体とも違い、言うなれば成長期前の子供のような体だった。
「足しびれた」
リヒトにされるがまま支えられながら、彼はポツリと呟いた。変声期前の、少しだけハスキーな少年の声だった。
「いや、須藤さっきの話忘れた?」
背後から呆れたような猛の声を聞きながら、咄嗟の自分の行動に一番驚いているのはリヒトもなので、なんとなくバツが悪い気持ちでため息を吐く。
「早く立ってくれない?」
「……足、しびれた」
要領をえない返答に苛つくと、その小さな頭がこちらを向いた。
椿姫のお気に入り。
大層な役なのは名前だけだ。その少年はなんてことのない普通の容姿の少年だった。
特別美しい容姿ではない。ただ、表情の読みにくい、凹凸の少ない子供のような顔をしていた。ただその瞳の色だけは、リヒトですらハッとさせられるものがあった。
リヒトも瞳の色については色々言われるが、彼も日本人としては珍しい色の瞳をしている。
彼の瞳の中には、向日葵が咲いていた。
瞳孔を囲むように薄茶色が広がっていて、その僅かな外側が薄い黄緑のような色をしている。つるりとした瞳は、やはり何を考えているのかわからない。
「……椿?」
「は?」
じっとこちらを見つめてくる瞳に眉を寄せると、彼は何事か小さく呟いた。
「はじめて見た。ふたりめ」
「何言って……」
「須藤! ……行くぞ」
「……あぁ、うん」
猛に促され、中を支えていた手を離す。
少し足早にその場から離れながら、猛が呟いた。
「あいつの声初めて聞いたかも」
なんとなくきまりが悪い心地で少しだけ中の方を振り向くと、最早彼はこちらを見てはいなかった。同じ場所で小さく丸まって見つめている先にあるのは、何の変哲もない小さな花たちである。




