③
九月も終わりにさしかかるある日、登校してきたリヒトは学校が異様な雰囲気に包まれていることに気づいた。皆妙に静かというか、同じタイミングで登校していた生徒たちは逆にその違和感に覚えがあるようで、表情が一様に硬くなっていた。
怪訝に思いながらも教室に入ったリヒトは、すぐにその理由と対面する羽目になる。
(あれは……)
教室の真ん中に、艶やかな着物を着た人間が君臨していた。それはこの間遭遇したよくわからない存在、椿姫と呼ばれていたその人である。あの日と変わらず、それは被衣で顔を隠していた。
生徒たちは静かにただ黒板を眺めていた。異質なのは、それを円にしてポッカリと机や椅子が後ろへと移動している、つまりその存在を見ないふりしていることだ。無視、とも違う。
その光景は時代劇などで見る、高貴な存在に対して膝を地について平伏しているような、そんな様子だった。
まるで直に姿を見ることが不敬に当たるかのような、そんな様子なのである。丁度、本来なら隣であるリヒトの席も同様に後ろへと追いやられていた。
そういえば、いつも隣の席は空白だった。
とりあえず同級生に倣って知らないふりで追いやられた自分の席に着く。
正体不明な目の前の存在を視界に入れると、オマケのように隣に二つの存在が寄り添っていることに気づいた。一人はスーツを着た若い男だ。ひどく肌の白い切れ長の目の無表情な男は、ただ置物のように椿姫の隣に控えるように立っている。
もう一人は小柄な少年である。彼は一心不乱にスケッチブックに何か描いていて、ある意味異質だ。
流石に不気味で意味がわからなかった。興味がないからと何も質問しないのも、後々トラブルに巻き込まれそうだなとぼんやりとスケッチをしている少年の丸い後頭部を眺める。
まだ担任は来ないだろうし誰か手頃な人間を探して視線を後ろへやると、派手な頭の少年と目が合った。
愛想よく笑ったら説明してくれるだろうと目星をつけていると、少年の方から何かに気づいた様子で寄って来てくれた。
「須藤ちょっといい?」
言われるまま廊下に連れ出され、教室から少し離れた場所まで来ると、少年は大きく息を吐き出した。
「あーやべ、久々見ると緊張したわ」
いや、お前からしたら何が何だかわかんねぇよな。そう言って、驚くほど人懐っこく笑った彼はポリポリと頬を搔きながらどっから話そうかなぁと呟く。
「あー何か質問ある? あ、てか俺の名前わかる?」
その問いに思わず笑みを浮かべて曖昧にやり過ごそうとすると、彼はうんうんと頷いた。
「おけ。須藤他人に興味なさげだもんな。姉ちゃんの名前も呼んだことないべ? 意外と姉ちゃんそういうの気づいてるよ」
「いや、そんなこと……ていうか、姉ちゃん?」
思わず怪訝な顔をすると、背後から聞き覚えのある声がかけられる。
「猛? あれ、リヒトくんも」
駆け寄って来たのはいつかの先輩だった。椿姫と遭遇して別れたあの日から特に交流はしていない。
「猛、リヒトくんと仲良いの?」
「いんや? 今日初絡み。須藤たぶん俺の名前知らねぇよ。ウケるよな」
正直図星だった。鈍そうな見た目の割に、意外と視野が広いらしい。
「俺の名前は田中猛。たーくんでもたけるんでも好きに呼んで」
「それじゃあ田中で」
「塩対応すぎる! ま、いいや。流石に一ヶ月クラスメイトとして過ごしてるんだから覚えてな」
快活に笑う彼には、パーソナルスペースという概念はないのだろうか。気安く肩を叩かれるなど、同性にされたことはない。新鮮ではあるが、元々ベタベタ他人に触られることは嫌いだ。半身身を引くと、一瞬だけ目を丸くした彼は面白そうにニヤッと笑った。
「んで、こっちは姉ちゃん」
「姉弟なの?」
「違うよ。猛も紹介するならきちんとして」
バシッと、結構強い音が猛の頭で炸裂した。二人でいた時とはだいぶ印象が違うことに驚いていると、少女はどこか吹っ切れたように苦笑した。
「猛とはハトコなの」
「家が近所だからほぼ姉弟みたいに育ったんだよね。な、ナナ姉ちゃん。あ、気軽に姉ちゃんのことはナナ先輩って呼んで」
「ちょっと猛!」
「姉ちゃんお前に名前で呼ばれないこと気にしてるんだぜ」
「猛黙って」
綺麗に鳩尾に入った肘鉄に思わず凝視すると、少女──ナナは誤魔化すように咳払いした。
「それより何でこっちにいるの。こっちは二年の教室でしょ」
「いや、教室から近いとこで話す内容じゃなくてさ。今日椿姫様いたからさ。てか、須藤めっちゃ空気読んでんの。普通外から来たら何あれってなんのに、全く顔に出さねぇの。俺なんて引っ越して来たばっかの時、椿姫様のこと教えられてたのに忘れて話しかけようとしたことあるからな。その後ソッコー姉ちゃんに取り押さえられたけど」
「田中も村の外から来たの?」
「小三の時にな。母ちゃん離婚したから」
「というか、リヒトくんお婆様に聞いてなかったの?」
「あはは、すっかり忘れてて」
驚いたような表情からやがて呆れたような表情に変わると、ナナは納得したように呟いた。
「本当に君って」
「え?」
「ううん、何でもない。それより、話すなら昼休みにした方がいいよ。もう先生来る頃だろうし」
「え、もうそんな時間?」
「猛だけだと上手く説明できなさそうだから、昼休み私も一緒していい? 誰も来ない場所知ってるから」
「え、どこ?」
「屋上」
「あそこ鍵かかってんじゃん」
猛の言葉に、ナナは得意気に口角を上げてポケットから鍵を取り出した。
「スペア持ってる」




