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魔性のこ  作者: 柚希
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 この村は冬になると雪に閉ざされる。寒さだけなら父親の母国の方が勝るが、積雪量はこちらの方が断然上だった。外界から閉ざされた村は、まるで異世界のようにも感じられる。

 最初に椿姫に連れて行かれた部屋でもなければ、客間でもない部屋へと案内されたリヒトは、優雅に菓子を味わっている椿姫を無表情で見つめた。


「お前も食べる? なかなか絶品よ」

「何か用があったから呼んだのでは?」


 上品な和菓子を手掴みで食べているというのに、その所作からは下品さを感じられない。


「ツレナイわね。世間話の一つもできない男は嫌われるわよ?」

「……話はそれだけですか」


 彼女の自室なのかい草の良い香りが漂う、和モダンな造りの部屋だった。広い部屋には小上がりになっている場所に大きなベッドが置かれていて、豪奢な調度品が品良く並んでいた。高級旅館のような部屋だった。

 椿姫は座椅子にしどけなく体を預けながら、リヒトに前へ座るように促した。

 今更抵抗するだけ無意味なので言われるまま足を崩して畳の上へと座る。

 月見障子から見える世界は真っ白だというのに、相変わらず彼女の装いは別世界のように艶やかだ。


「お前、どうして中に会いに来ないの?」

「話ってそれですか? ハッ、保護者みたいなこと言うんですね」

「そうよ」

「は?」


 キッパリとした口調に思わず間抜けな声が漏れた。


「今なんて?」

「だからそう言ってるの。あれの衣食住から身の回り全て、尾和座家が面倒を見てる。お前の言う保護者の役割ね。中の元の親には、あれを監督する権利も親権もない。全て放棄して二度と関わらないように言い含めているの」

「そんなこと他人が許されることじゃないだろ」

「何を言っているの? わたしが言ったのだから許す許さないもないわ、決定事項よ。……それに、元々中の親はそれらを放棄していたようなものだったしね」

「放棄していたって……?」


 伏せるようにしていた瞳が、チラリとリヒトを流し見る。


「お前、中の絵を見たことはある?」

「ありま……あるよ」


 敬語を使うのも今更な気がして、言い直した。

 一度だけ見た椿姫を描いたあの絵は、目を閉じていても艶やかに脳裏に咲き誇る。


「どう思った?」

「どうって、綺麗な絵だとしか……ただ、中の目に映る世界は綺麗な物だけなのかと思うと、羨ましくはある」

「……逆よ」


 最後の一口を咀嚼した彼女は静かに言った。


「中の世界には基本的化け物しかいない、地獄よ」

「化け物しかいない?」

「お前は他の尾和座家の人間の容姿はどう思う?」


 先程からどう思うかばかり問われることに困惑しながら、正直に返す。


「俺は他人の容姿に興味ないからよくわからないけど、たぶん一般的には良いんじゃない?」


 基本的に当麻や清佳以外と接触することは稀だが、数回見かけた他の人間たちも見た目は整っている方だろう。まぁ、中にはこれ見よがしに雑種などと吐き捨ててくる年嵩の女性もいるので、中身まではそうではないのだが。


「中にはあれらも、他の村の人間も全て同じように見えているわ。──全てが虫の化け物に見えているのよ」

「虫の、化け物……?」


 夢の内容と、あの時見た椿姫のお役目の姿がフラッシュバックする。大きく醜悪な虫たちが蠢く様は、リヒトを胃を重くするには十分だった。


「初めて会った時の中は、今以上に表情も感情もなかったわ。他人と目を合わせようともしない我が子を、あのコの親はもて余してた。そもそも目を合わせようとしないんじゃなくて、合わせられなかったのよ。自分を恐怖から守るために」

「そんな……人間が虫に見えてるなんて」


 自分以外の人間が化け物の世界で、どうして正気を保っていられるだろうか。幼い彼が恐怖から感情を鈍磨させていたのかと思うと、あまりにも哀れだった。

 ずっと彼の世界は美しいモノで溢れているのだと思っていた。けれど実際は、ずっと地獄の底を見ていたのだ。


 「わたしだけが、唯一人に見えたそうよ。人とは言っても、顔は椿の花に見えてるみたいだけど」


 言葉が浮かばなかった。


「……知らなかった」


 咄嗟に出たのはそんなくだらない言葉だけ。


「一々言うことでもないもの。それに、あのコは幼い頃から感情を抑える癖があったせいか、今でも口下手で感情表現が苦手だから。まぁ、他人と関わらせなかった弊害はわたしのせいでもあるのだけど」


 彼女がそんなことを言うとは意外だった。お気に入りが他人の目に触れることが我慢ならないからだと思っていたが、話を聞く限り恐ろしいことから中を守るための措置だったように思う。それを過保護だと断じる程、簡単な話ではないことはわかっていた。しかしそのことについて彼女自身が瑕疵について言及するとは思ってもいなかった。


「そんなあのコが珍しく他人を気にしているのよ。わたしはね、あのコが可愛くてしようがないの。望むならできる限りのことはしてあげたいと思ってる」


 そう語る彼女の顔は、慈愛に満ちていた。椿姫という得体の知れない存在ではなく、椿という一人の少女がそこにはいた。初めて見せる彼女の人間性に、何も言えなくなる。


「だからこそリヒト、何故お前が中に会いに来なくなったのかわからないのよ。お前もわたしと同じだと思っていたから」

「同じ?」


 椿姫の不思議な色合いの瞳が、リヒトを射ぬく。まるで全て見透かしているかのような目に、リヒトは視線を落とした。


「──でも、勘違いだったみたいね。お前は可愛がられたかったのね」

「なっ……何言ってっ……」

「あのコの傍は居心地が良いでしょう? 何の気兼ねもなく素のままでいられる、安堵すら感じる……そうでしょう?」


 胸中を言い当てられた羞恥がリヒトの視線を彷徨わせる。椿姫は真っ直ぐリヒトを見つめたまま言葉を紡いだ。


「あれは他人に期待しないのよ、悪い意味じゃなくね。あくまであのコの中ではただの人間、わたしも椿姫ではなく、幼い頃から一緒に居るただの椿。十六歳の少女でしかないの。肩書きや立ち位置なんか何の意味もなさない。人間はどうしても自分に都合の良い役割を相手に押し付けてしまうものだけど、中はそれをしないのよ」


 理想も憧れも幻想も、中は他人に求めない、押し付けない。

 彼女の言葉が不思議と腑に落ちた。何故彼にあれほど執着めいた感情を抱いたのか、他人に問われても自分自身よくわからなかった。それが今、己で自覚する前に事実を捩じ込まれた。

 理由を自覚しても、それでもやはり中に対して傍に居たいという感情は消えていないことに今更ながら気づいた。そして、リヒト自身が中に対して妙な幻想を押し付けていたことに愕然とした。

 美しい人間に美しいままでいてほしいという他人の欲求の悍ましさを一番嫌悪していたはずなのに、いつの間にか自分が彼を聖母のように形作ってしまっていたのだ。


「俺は、中がお役目のことを何とも思っていないことが嫌だったんだ」

「……何故? わたしのお役目はお前に関係ないことでしょう?」


 怪訝な表情をする彼女は心底リヒトの言い分を理解できないようだった。


「あんたは子供の時からやらされているから感覚が麻痺してるかもしれないけど、異常だよ、あんなこと」

「よくわからないわ。一般的にそうだとしても、お前が気にすることではないでしょう? そもそもお前は、他人がどうなろうと気にする人間ではないはずよ」

「……俺のこと冷酷な殺人鬼か何かだと思ってる?」


 思わず苦笑が滲んだ。椿姫は這うようにリヒトに身を寄せると、目を覗き込むように顔を寄せた。そして何かに気づいたように、口元を可笑しそうに綻ばせた。


「お前、もしかしてわたしが奪われていると思っているの?」


 事実、奪われ、喰われていたように見えた。


「虫どもがあんたを貪っているようにしか見えなかったよ」

「ふふふ、ふふふっ、あははははっ……」


 リヒトの言葉に、彼女は堰を切ったように笑った。心底面白くて堪らないというかのように、華奢な体躯を折り曲げて子供のような笑い声を立てた。


「うふふふっ、リヒト、お前って案外可愛いところがあるのね」

「……初めて言われたよ」

「拗ねないで、同胞よ」


 宥めるように白い指先がリヒトの頬を撫でた。桜貝のような爪を視界に入れながら、彼女の口角が挑発的な笑みを刻むのを眺める。


「花が全て奪われ喰われるか弱い存在に見えているとしたなら、お前は存外ウブだわ」


 薄桃色の唇を這うように、小さな舌が舌舐りをする。あっと、思わず声が漏れた。

 

「気づいた?」


 口を開けて淫らに待つその姿は美しく妖しい──食虫植物だ。

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