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中村の件は、リヒトが思っていたよりも簡単に片付いた。少し顔を寄せてしっかり瞳を見つめて微笑めば、中村の敵愾心はあっさりと霧散した。
その代わり教室でもどこか馴れ馴れしく触れてくる回数も増えたが、とりあえず不快なだけで、とんでもない実害が出ている訳ではないので目を瞑ることにした。
相変わらず中は学校に来ない。会うための連絡手段もないので、学校が終われば一目散に夜中に出会った地蔵がある辺りを散策した。
昼間でもこの地蔵は薄気味が悪い。墓の代わりだと言っていたが、はたして誰の墓なのか。
奥の道に行けば、尾和座家の大きい日本家屋があることは確認済みだ。ただ、外界を拒絶するかのような頑丈で大きな門扉のせいで、屋敷の中の様子までは見られなかった。流石にアポイントもなしで突撃することが悪手なことなのはリヒトも理解しているので、どうすればいいのか夜が更けるまで悩む毎日である。
「どうしようか……」
「ちょっとそこのお兄さん」
適当な場所で座りながら休憩していると、ふいに声をかけられた。この辺りで声をかけてきたということは尾和座家の関係者だろう。敷地内に入るなと注意されるだろうかと顔を向けると、派手な女物の羽織を身に付けた二十代後半くらいの男が興味深そうにこちらを見つめていた。サングラス越しに目が合うと、男はピュウっと軽い口笛を吹く。
「陰気臭い墓に知らないコがいるなって思って来てみたら、物凄い美人だね」
「ありがとうごさいます。……それで貴方はどなたですか?」
失礼なのは承知でそう返す。無礼な男に売る愛想は、今は持ち合わせていなかった。
「ありゃ、つれないね。ま、そんな美人なら褒められ慣れてるか。さっきここ車で通ったら君を見つけてね。村人ならここには来ないし、見慣れない顔だから当麻ちゃんが来る前に見にきたわけ。お客さんも物凄い美形だって騒いでたよ」
「お客さん?」
「……あぁ、ははっ、まぁそれは置いといて。俺は清水川清佳、よろしくね」
名前だけ名乗って、清佳は煙に巻くように笑った。
「……俺は須藤リヒトです。最近引っ越してきて、今は野薔薇さんの家に住んでます」
「あぁ! 君が野薔薇さんの孫! 屋敷で他の親族が話してたわ」
「屋敷で?」
「そ、一応俺君の親戚ね。元は尾和座家の長男。今は婿入りして県外にいまーす」
サングラスをとってふざけたように手を振る清佳に、思わず眉を寄せる。
「長男? 代理人様の兄弟ってことですか?」
「そだよー。あれ、代理人とか椿姫のこととかちゃんと聞いてるっぽいね。でも俺のことは聞いてないんだ?」
脳裏に当麻の顔が過るが、あまり似ていないように思う。キリッとした涼やかな容姿をしている当麻とは違い、彼は柔和な顔立ちだ。軟派な雰囲気が、より一層似ていない要因を作っている。
それに清佳の話は一度も猛たちから聞いていなかった。なのでてっきり長男は当麻だと思っていた。
「ま、俺村の奴らからあんま好かれてないからな。存在自体なきものにされたかぁ」
つまらなそうな表情でカラカラと音だけで笑うちぐはぐさに、掴みどころのなさを感じる。
「それで君は何でこんなとこにいるの?」
「……工藤中に会いたくて」
「工藤中?……あぁ、人形ちゃんね。ふぅん? いいよ、一緒に屋敷に行こっか」
中に対する形容に思うところはあったが、彼の申し出は渡りに船だった。言われるまま並んで歩きだす。
「いいんですか?」
「いいよ、いいよ。俺といたら入れるからさ、婿にいったからって他人になれた訳じゃないからね。ある程度役割的にも、自由は利くのよ」
「役割?」
「そうそう、役割。あの家はさ、皆役割があんの。役割を果たしてこそ、家のためになるって皆が思ってる……キモいよねぇ」
喉の奥を鳴らすような独特な笑い方には、嫌悪と悪意が滲んでいた。
「俺はそれが嫌で家を出たんだけど、ま、ある程度自由とはいえ、役割を課せられることからは逃げられなかったよね」
閉鎖的な村で古くから権力のある家の出の人間は、リヒトが想像しているよりも鬱屈に閉じ込められているのかもしれない。村の外に出ること自体、たぶん《家》の許可が必要なのだ。
「嫌ってるんですね」
「うん、そうだよ。だーい嫌い。こんな村、滅びればいいのにね」
「……俺は関係のない人間なので、よくわかりません」
清佳は面白くなさそうな表情で、ただ歪に口角だけを上げた。
「なのにわざわざ関わりに来てるね? 自由に生きてるのに、何でわざわざ不自由なとこに飛び込んでくる訳?」
「別に、尾和座家と関わりにきたわけじゃありません。中がこの家にいるので、きたんです。連絡をとりたくても、その手段がなかったから」
リヒトだってわざわざ鬼門のような家になど行きたくはない。しかし、どうしても中に会いたいという気持ちが抑えられないのだ。
「ふぅん? でもさ、君ってこの村にずっと居るわけじゃないんでしょ? 椿姫の人形ちゃんに手を出したら、それこそ面倒臭いことになると思うよ。野薔薇さんだって家と関わらせないようにしてるみたいなのに、自分から巣に飛び込んでくるんだもの。他の親戚連中が君に関心を寄せたり、逆に椿姫が君を気に入ったりしたらそれこそ二度と村から、いや、尾和座家から出られなくなるよ」
「脅しですか?」
「老婆心だよ。幼気な何も知らない年下の親戚を、守ってあげたいんだ」
「俺は椿姫に興味ありません」
「君が興味あるかないかなんて関係ないんだよ。椿姫が望むなら、全部それは捧げられる。あれは全てを欲しいがままにしていい権利があるんだ」
立ち止まった彼の手が、リヒトの細い顎を掴む。
白檀のような香りが手首から漂ってくる。
「……当麻ちゃんみたいなタイプかと思ったけど、君はどちらかというと椿姫と同じ匂いがするね。──怖いなぁ」
「意味がわかりません」
掴んでくる指先を乱暴に払うと、清佳は芝居がかった仕草で肩を竦めた。
そうして何事もなかったかのように再び歩きだす。
「君も、今まで欲しい物は欲しいままに生きてきたんじゃない? その容姿は特別だ。一族でも群をぬいてるよ」
欲しい物なんて今まで特になかった。物欲なんて物を感じる前に、他人がリヒトにそれを当てはめるのだ。容姿が良くて得をしたことなど、一度だってない。
喉の奥を、ザラザラとしたヤスリで撫で付けられているような不快感が沸き上がる。
「煩わしいだけです」
「ま、いいけどね。君が関わりたいってなら、もうこれ以上は止めないよ。……でも、逆に今で良かったかもね」
「どういう意味ですか」
「もう数年君が来るのが早かったら、君が代理人にされていたかもしれないって話さ」
突拍子もない話に、思わず眉を寄せる。
「俺は尾和座家とは関係ない人間ですよ」
「血を受け継いでるんだから、一族の人間であることには変わりないでしょ。代理人の条件は、一族の中で一番見目麗しく文武両道な人間だ。それは本家も分家も条件は一緒」
「文武両道って、貴方は俺のこと何も知らないですよね」
「学力は知らないけど、君、なんかの武道はやってるでしょ。身体つきみればわかるよ。俺たち本家の人間は嫌でも武道やらされるからね」
成績は悪くないし、身を守るために幼い頃から護身術は習っている。だからといってリヒトが代理人になるなど、到底ありえない話だ。
「ありえなくはないんだよ。そして一度指名されると拒否はできない。……他の一族の連中は指名されることを誇りに思っているみたいだけどねぇ、あんなのただの生贄なのに」
「生贄?」
「そうだよ。俺も長男だからって昔は頑張ってたけど、今の奥さんと出会って、好きな女と一緒にいられないなら何の意味もないなって。糞だなって気づいて頑張るのやめたんだよね。代理人は椿姫が決めた相手としか結婚できないし、自由に何かすることも、勿論村から出ることもできなくなる。村から出られない椿姫と一蓮托生になる」
護衛も兼ねているとは聞いていたが、村の外にすら出られなくなる制限が課せられるとは流石に驚いた。
「だから俺はやーめたって投げ出したわけ。別にそれは後悔してないけど、当麻ちゃんは優しいコだから椿姫に同情したんだろうね。いや、罪悪感かな。椿姫のお役目を知った時から、罪悪感が楔になって当麻ちゃんをあの家に縛り付けた。……馬鹿だよね、自分から生贄になるなんてさ。どうせ何をやっても慰めになんかならない。椿姫自身は、お役目のことなんて何とも思ってないっていうのに」
「お役目って……」
「家を出入りするならその内きっと目にすると思うよ。……見ないにこしたことはないけど」
そこで彼は言葉を切った。
「地獄の入り口へようこそ」
仰々しい身ぶりでそう告げた男は、拒絶しているかのように堅牢な門扉の前でつまらなそうに嗤った。




