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恋愛小説短編集

彼女の時の流れはとても遅い

 ウェルナー症候群という病気がある。

 思春期を超えた辺りで急速に老化が進む病気だ。

 これは日本では難病指定されている。


 一方で、ここ最近になって発見された病気がある。

 遅老症――正式名称ズロトヴスキ症候群という病気だ。

 こちらも日本では難病指定されている。


 ズロトヴスキ症候群の具体的な症状は、思春期を境に老化が急激に減速するというものだ。

 世間ではエルフ症だの不死鳥症だのと騒がれているが、俺は大して気にはしていなかった。

 そう、この時までは――


「……は?」


「聞こえなかった? じゃあもう一度言うね? 私、ズロトヴスキ症候群だって診断されたの」


「……マジ?」


「マジだから」


 彼女――八百万佐奈(やおよろずさな)はケラケラと笑いながらそう答える。

 俺は驚きを隠せない一方で、納得をしてしまった。

 佐奈が先日、俺の告白を断った一件についてだ。


「あー。納得がいったわ。おかしいと思ったんだよ。俺らの仲は良好だったし、つい先日までいつ付き合ってもおかしくないって空気があった。なのにこの間何の前触れもなくフラれるしさ、変だって思って……だけど理由は分からんかった。――今になってようやくわかったけどな。背景にはそんな事情があったわけだ」


「そういうこと。これ、孝一郎(こういちろう)が相手だったから話したんだからね? 他の友達には言わないつもり」


「ふーん。じゃあ、大学進学とかも諦めてひっそりと生きていく感じ?」


「大学だけは出ようかなって考えているけど、就職はどうしようかなって感じかな。学生の内なら外見の幼さも誤魔化せるだろうけど、流石に社会人になるとね」


 彼女はストローでグラスの中の氷をぐるぐるとかき混ぜる。

 カランという乾いた音が鳴る。


「なるほど。ズロトヴスキ症候群の治療って選択肢は?」


「最初は考えていたんだけどね。なんか日本も、世界も――その辺乗り気じゃないみたい。これは人類の進化なんじゃないかって結構有名どころの研究者さんにも言われちゃったしさ」


「進化ねぇ……。過渡期にいる俺らからしたらたまったもんじゃないし、そもそも不老と長寿化は何かの幕上げにしかならないと思うんだよな」


「その心は?」


「人口が増え過ぎて食い物が無くなる」


「なるほどなるほどー……」


 佐奈は顎に手を当てながら何度も頷く。

 その一方で、若干顔色が曇っているのに俺は気づく。

 可能性として高いのはズロトヴスキ症候群だと宣告を受けた事態に戸惑っている線。しかし彼女の性格を考慮するとこの線はとても薄く感じられる。

 だとすると、何が彼女の心の内をかき乱しているのだろうか。


「あーあ、私の人生計画が無茶苦茶だよ。本当なら今頃孝一郎と付き合ってさ、デートしたり、勉強会したりして――そんな未来があればよかったんだけど」


「……いや、貴方、俺の事フッたじゃないですか」


「なんで敬語? 告白断ったのって好き嫌いの問題じゃないから」


「それって両想いだったってことでいいのか? おのれズロトヴスキめ、人の恋路を邪魔しよって……」


「病気の発見者さんには何の罪もないんだからやめようよ。――でもそうかもね。ズロトヴスキ症候群は遺伝性疾患の可能性が高いんだって。だから、だからね? その……子孫を残せないと言いますかなんといいますか」


 なんで敬語? なんて言葉を返す気にはなれなかった。

 彼女は真剣に悩んだうえで、俺と交際するという選択肢を省いたのだ。だとしたらその彼女の選択を尊重したいと思う。


「でも私の人生、この先暇になりそうだから孝一郎と同じ大学に行こうかなぁ」


「軽いな」


「そうでもしないとやっていけないよ。人格が崩壊しそうって思うことだってあるし、今日本当にこうして打ち明けるか悩んだくらいだもん」


 生けるしかばねのようなものだろうか? 十代にして人生の展望が悪い意味で明確になるなんて、例えば俺がその当人なら耐えられるのかな。難しい気がする。


「じゃあ一緒の大学に行こうぜ。惚れた弱みだ、暇つぶしの相手くらいしてやるよ」


「ほんと!? やった!」


 結露した水滴がグラスからテーブルに滴り落ちる。



 * * *



 孝一郎は進学希望していた大学とは別の大学へ進んだ。

 これは私の学力に合わせてレベルを落としてくれたものではない、というのを勉強会で嫌というほど思い知った。


 でもそれは彼の優しさからくるものだった。

 具体的には医療系の学部がどんな研究を執り行っているのか徹底的に調べたんだ。

 だから、彼は私を研究材料として使う可能性の低い大学を探した。


 私はずる賢い人間だと思うことが多々ある。

 そうでなければ、孝一郎と同じ大学に行くだなんて選択肢は取らなかっただろうし。


 彼はあの私の告白を受けた後、医学部を目指すだなんていうことはなかった。

 それだけ私の意思を尊重してくれているんだっていうありがたみと、ズロトヴスキ症候群について相当調べたんだなっていう努力の跡が透け見えた。あの病気は人類が数百年の時をかけて解明を続けていくもの、らしい。研究者の方曰くだけど。


 孝一郎とは学部は違うけど、無事に同じ大学に通うことが出来た。

 だから専攻は違うけど、一般教養科目は彼と同じものを選んだ。これは私なりの人生に対するささやかな抵抗。彼の生き様を少しだけでいいから自分の中に刻みたい。

 それに講義が被れば一緒に居られるしね。孝一郎は以前『惚れた弱みだし――』って言っていたけど、私からしても同じようなもの。


 大学生活の中、疾患のことがばれるのを避けるために出来るだけ人と交流を持つことを避けていった。半面、その事実が私の心に暗い影を落とす。

 それでも、前向きに生きていかないといけない。



 * * *



 大学卒業後、俺は商社に勤める事となった。

 佐奈は親の介護という建前を使い、四回生になった際に教授に就職活動は当面中断すると伝えた。しかし、蓋を開けてみると――


「ただいま」


「あっ、おかえりなさい」


 帰宅すると佐奈が出迎えてくれた。

 別に付き合っているからというわけではない。これは同棲ではなくあくまで同居、お互いにそっち方面では何の進展も無しである。


 大学生だったころ、佐奈に『大学生活が終わったらお別れだね』と言われたことがある。だが彼女とは数年間の付き合いがあるのだ。俺もそこまで鈍感ではなくなった。

 言葉の裏には『一人にはなりたくない』という悲痛な叫びが隠されていた。

 だから、俺の方から大学を出たら一緒に住まないかと提案したわけだ。


 他愛のない会話、季節の移り変わり、多忙な日々。

 それでも、彼女――佐奈の姿はあの告白を受けた日のままだった。



 時は流れ、僕は中年と呼べる年になっていた。

 社会人生活を送る中で僕という一人称を使う場面が増え、普段の生活の中でも自然と自分のことを僕と呼ぶようになっていた。


 一緒に買い物をする僕らのことは、傍からしてみればまるで親子のように見えたことだろう。

 家計に関しては彼女が管理してくれている。佐奈曰く、『私は一生呆けないだろうから』とのこと。

 そんな佐奈とのささやかな日々の一コマを切り取るのが愛おしく思える。


 今でこそ僕が荷物持ちを出来るだろうが、いつの日か体力的にそれすら無理になる日が来るのだろうか。

 可能であれば彼女に迷惑をかけるようなことだけは避けたい。


 そんな佐奈の姿は、僕が彼女に恋心を抱いていた時の頃のままであった。



 命の(ともしび)が費えようとしている。

 僕の体の機能が落ちてきていることに気づいたのはいつの日の事だっただろうか。


 それでも僕は、彼女の未来が幸あるものであれと願う。

 この口が動くのなら、さよならという言葉を愛しい佐奈へ遺してやりたかった。

 もう僕に縛られなくてもいいんだよ。



 * * *



 孝一郎の墓前で祈りを捧げる。

 貴方はいつも私のことを第一に考えてくれていた。


 私は幸せだ。

 こんな境遇にありながら、無償の愛を分け与えてくれた人がいたのだから。

 でも一方で、彼の人生計画を破綻させてしまったのでは? という懸念もある。

 だけど、どこかの分岐で選択を間違えていたら今の私たちはいなかったのだろう。そう思うことはよくある。


 本音を言うと彼の血筋をこの世に残せなかったのが悔いではあった。

 それでも、彼は最後まで私の意思を尊重してくれた。


 けど、もう私には甘えることのできる相手は存在しない。

 だからしっかりとこの両足で歩を進めていかなくてはいけない。

 天寿を全うする、その日まで――

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