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第六章 ブラジャーフッド 5

「あのときに死んでいれば、何十年と苦しまずにすんだのに」


 ご婦人、いや、このおばさんは悲劇のヒロインばりに涙を流し始めた。


「ああ、それはごめんね」


 双葉は素直に謝った。おれは思わずむっとして声を荒げた。


「謝る必要はないだろ。いいことをしたんだから」


 双葉は少し小首を傾げた。


「いいことかどうかはわからない。ただあのときは魂が汚れていたから処理が面倒だなって思ったのよ」

「処理?」

「魂をきれいな状態にして送らないと減点されるの。トクトクポイントが貯まらないのよ」

「? ふうん」


 おれだけ異次元にいるような気分だ。おばさんと女の子の話の内容が理解できない。

 きっと理解する必要はないんだろう。

 おばさんと繋がっている機械は血圧を表示している。心拍数と飽和酸素濃度とかいのも。どの数字も低い。

 おれの数字を足して二で割るとちょうどいいのに。うまくいかないもんだ。

 テンションが低い双葉は見るからに低血圧って感じだし。


「おばさん、なんで死のうとしたんだ。理由を教えてくれよ」


 おれは他人に興味がない。他人とかかわるのは嫌いだ。

 目の前で電車に飛び込もうとするやつがいても、とめない。

 なぜか。

 責任を負いたくないからだ。

 まさに双葉が背負っているような面倒くさい紐帯でつながれてしまうのは勘弁してほしい。

 死のうとした理由を聞くなんて最たるものだ。他人の心の奥底にずけずけと入り込んで掻き乱す。興味本位にしろ安っぽい正義感にしろ親切の押売りにしろ、醜悪なことにかわりない。

 だいいちどうやって慰めたらいいか、おれは知らない。依存させるくらいしか思いつかない。

 ならばなぜいまは訊いたのか。

 答えはかんたんだ。このおばさんはもうすぐ死ぬ。

 あとくされがない。


「見ず知らずのわたしのことを、あなたは知りたいの」

「逆に訊くけど、死ぬ前にぶちまけたいことってないの。見ず知らずの他人だからこそ話せることもあるんじゃないかな。病院の枕にささやくより冷たい壁に語るより、しゃべりやすいだろ。誰かへの恨み節でもなんでも吐き出しなよ」

「ふふ、おもしろい」

「おれは死にたいと思ったことも誰かを殺したいと思ったこともないから興味あるんだよ」


 おばさんは目を丸くしてみせた。


「死にたいと思ったことがない。殺したいと思ったこともない。驚いた、ずいぶんと平板な人生ね」

「平板だけど迷惑はかけてない。あんたみたいにはな」


 ブラジャーとパンティ姿で生き返ったときに一瞬死にたいと思ったけど、あれはノーカウントでいいだろう。


「わたしは迷惑なんて……」

「この子にとっては迷惑だろうよ。一度とめられたからって、その後何十年ものあいだ、どんな暮らしをしてきたのか知らないけど、辛いときや苦しいときにこの子を思い出して恨んだりしたんじゃないの。あのとき死んでいればって。他人のせいにすんなよ」

「わたしはけして……! あなたにわかるもんですか。夫の浮気相手がわたしの教え子だったと知ったときのショックときたら」

「あんた、教師だったの……か」

「わたしは中学の英語の教師だった。夫は体育教師」

「まさか、中学生に手を……?」

「そうよ、しかも妊娠させた」


 おばさんは苦しげに眉根を寄せた。


「スキャンダル勃発。それから?」

「離婚した。夫は責任を取ってその子と再婚した。さすがに教職を続けることはできず塾講師になった。それからどうなったかは知らないけど、きっと幸福な暮らしをしてるんでしょうね。わたしを捨てたくせに」


 中学生を妊娠させたくそ教師か。ロリコンの変態野郎だな。

 ……そういえばおれとお袋は十五しか歳が違わない。親父の前職は塾講師だったと聞いたことがある。世間ではありふれたことなんだろうな。


「おそらく幸福な暮らしなんかしてないよ。世間をはばかるように流行んない喫茶店をほそぼそと経営するぐらいだろ。子どもはきっとクソガキで……。で、おばさんは浮気を知って当てつけに死のうとしたのか?」

「当てつけ? いいえ、たんにいやになったの、生きていくのが」

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