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第二章 わたしが殺したあなた 1

「人を殺しちゃったんです」


 わたしがそう告白したとき、対面のご老人は首を45度に傾けた。ポキッと軽やかな音が鳴る。


「すみません。説明が下手で。あの、一昨日の午後、とある公園で、わたし、誰かを殺しちゃったんです」

「ご婦人……」


 ご老人はノートパソコンの入力を中断して、机の上に両手を組んだ。


「ここを警察と勘違いしておられるようですな。もし勇気がなくて一人で自首できないというなら一緒にいってあげることもやぶさかではないが」

「あの……わたし……」


 説明しようとすればするほど、喉が絞まって声にならない。昔からこうだ。

 スカートにしわができるのもかまわず、膝に置いた手をぎゅっと握った。

 ご老人は困った顔をしている。頭のおかしな女だと思っているのだろう。


「困ってるんです」

「殺した相手が幽霊になってつきまとってるのですかな」

「いえ、そういうわけでは……」

「なにを求めてここにいらしたのかな。ここは弁護士事務所ではありません。お祓いしかやってませんよ」

「たしかに殺したんです。でも、死体がなくて」

「…………」


 ああ、もうだめだ。病院を勧められて追い出されるに違いない。


「死体が消えたんです。殺したと思った次の瞬間。夢でも見ていたんだろうと思われるかもしれませんね。現場にはわたし以外の人間もいたのですが、少しだけ先を歩いていたため、わたしがもみ合った相手はよく見えなかったのだそうです。その人が駆け戻ってくれたときには死体はなくなっていました。わたしが知りたいのは誰を殺したのか、どうして殺したのか、死体をどうなったのか。もう、もう気が狂いそうです……っ!」


 何度もまばたきをし、顔を隠すようにして目元を指でなぞった。若い時分は白魚(しらうお)のようだと賞賛された華奢な手指で弥勒菩薩(みろくぼさつ)半跏思惟像(はんかしいぞう)のたおやかなポーズを取ってみせれば、いまだってそれなりの効果はあるはず。


 ご老人の名前はたしか虚洞仙師さま。至高の除霊師だ。

 このかたのお力になんとしてもすがらなければ。

 指のあいだからそっと事務所のようすをうかがってみても、たいそう繁盛しているのが見て取れる。いまわたしが座っている牛革張りのソファはイタリア製。仙師さまのお使いになってる両袖のデスクはアンティーク風に作られたオーダーメイド。ぴかぴかの床の上にはシルクの絨毯が敷かれていて滑らないように工夫されている。玄関も廊下も御影石が敷き詰められていたのでまるで高級ホテルのロビーのようだった。ヒールの音がやけに響いて、高い天井を見上げて緊張したことを思い出す。


 ああ、そうだ。二度目の新婚旅行で泊まった、ヨーロッパの高級ホテルと仙師さまの豪邸の調度品は雰囲気が似ているのだ。眺めているだけで心が満たされて贅沢な気分にさせてくれる。とはいえ、仙師さまの豪邸には人の温もりが足りていない。余計なお世話かもしれないけれど、お一人で住まわれているのだとしたらとても寂しいことだ。


「これをお使いなさい」


 仙師さまはティッシュの箱をこちらに押し出した。普通の箱ティッシュだ。ちょっとだけこの空間では浮いて見える。


「ありがとうございます」


 目元を拭かせてもらって、恥ずかしそうに見えるように、かすかな微笑を口元に形作った。高齢男性は女性の涙が苦手だ。もう一息。


「仙師さまに見捨てられたら、わたしはもう、どうしたらいいか……っ!」


 両肩を落として体を縮こめる。雨の中なすすべなく震えるだけの捨て猫のように見えてくれたらと願う。


「なるほど、不思議な話ですね。少々お待ちください、上司に相談してみます」


 仙師さまは受話器を手に取った。

 知らなかった。仙師さまには上司にあたるかたがいたとは。


「ええ、はい、そうなります。えっと、住所は……」


 仙師さまは電話相手に事件があった公園の住所を伝えた。


「え、本当ですか。ならば望みがありますね。……はい、わかりました。今度こそ……はい」


 仙師さまは受話器を置いて、こちらを凝視された。わたしを見るその瞳には輝きがある。良い答えが得られるに違いない。


「上司が、あなたの力になってあげなさいと言っております。えーと、あなたは……」

真裕美(まゆみ)です。桜井真裕美(さくらいまゆみ)と申します」


 応接室に入ったときにすでに名乗っていたのに、覚えてくださらなかったのは少し口惜しい。


「桜井さんですね。いまから一緒に現場に行ってみましょうか」

「はい!」


 仙師さまの運転するレクサスは快適な乗り心地だった。

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