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ローズと塔の使用人2

思ったよりずいぶんと長くなりました。

このエピソードは3つに分けます。

シーツを入れた籠をランドリールームまで運ぶと、ローズはその場でうずくまった。あの真っ黒焦げのフレンチトーストを見てリヒャルトは何を思ったのだろうか。

念には念を入れて、ボルヘスはフレンチトーストを4枚用意してくれたけれど、そのうちの3枚は失敗して食べ物にはならなかった。添える予定だったベーコンに至ってはもっと悲惨な状態で、辛うじて皿の上に乗せられるレベルのものを1枚パンの上に添え置いたが、あとは移動させようとトングで持った瞬間に砕け散った。せっかくボルヘスが用意してくれた冷製スープも慌てすぎて出し忘れてしまった。


シーツ替えだってもっと上手くいくと思っていた。


自分の無力さにどれくらい打ちひしがれていただろう。リヒャルトの部屋のドアが開き、コロコロとワゴンを引く音が聞こえて再びドアが閉まった。朝食が終わったのだろう。


片付けをしに部屋まで向かう。ワゴンの中を覗くと、ベーコンだったものの残骸は皿の隅の方に寄せられていたが、多分残されるだろうと思っていたフレンチトーストが見事になくなっている。


ローズは胸がいっぱいになる。食べてくれた。あんなに失敗したのに。出さないよりは出したほうがマシだろうと思って、怒鳴られたり突き返されたりすることは覚悟していた。けれどリヒャルトは文句を言わずに完食した。心の中では「なんという劇物を出したのだ」と怒っているかもしれないが、それでもローズは嬉しかった。


食器をキッチンまで運び、皿をシンクに置く。「洗い物はしなくて良いです。大切なローズ様の手がカサついてしまうかもしれませんから」とエルサには言われている。朝起きたときは「洗い物もしておこう」とウキウキしていたものだが、今は絶対にしないと誓っている。何をしでかすか分からないと自分でも思うからだ。



ボルヘスとエルサの息子・ルイスがキッチンの勝手口から塔の中へ入ってきたとき、ローズはキッチンで力尽きていた。いつもボルヘスやエルサを介して彼が語る街の話を聞いていて、何度か見かけたことはあるけれど直接話をしたことは数えるほど。ローズは姿勢を正して彼を迎え入れる準備をする。


ルイスは人好きのする笑顔を浮かべながらローズに挨拶をする。手にはたくさんの袋を抱えている。


「ローズ様ご機嫌よう。母から言われて、食べ物をたくさん買ってきました」



確かエルサが言っていた。朝市へ行く途中、息子の家に寄っていくと。朝食は間に合わないかもしれないが、昼食と夕食の準備は心配しないでいいと。


ローズはエルサの心遣いに泣きそうになった。自分の使用人はなんと素晴らしいことだろう。ローズは心を込めてルイスにお礼を言った。


「ところで、そろそろお昼ですね。昼食用にスモーブローを買ってきたんです。レグニッツでもよく食べられている料理だから、リヒャルトさんも食べてくれるんじゃないかと思って」


そう言うとルイスは勝手知ったようにキッチンの棚から必要な物を取り出し作業台へと並べた。見事な手際の良さ。タッパに入ったそれぞれの食材があっという間に美しく盛り付けられる。ルイスは料理人の才能があるのに、その職を選ばなかったと昔ボルヘスが言っていたことを思い出した。たしかルイスは商人の補佐の仕事をしているはずだ。


ライ麦パンの上に乗る盛りだくさんの具材たち。ローストビーフやオニオンスライス、クリームチーズにアボカドやブルーベリー。鴨肉を甘く漬け込んたもの。どれもローズの好きなものばかり。出来上がっていくさまざまなスモーブローを熱心に見つめていると、自然とお腹が鳴った。


しまった、とローズは顔を赤らめる。


「朝食は食べましたか?」

「実は……作るのに失敗して食べられなかったの」


ルイスはそれを聞いて明るく笑った。こういうところはエルサにそっくりだ。どんな間違いをしても笑い飛ばしてくれるカラッとしたところ。


「"あの人"の分は辛うじて用意できたのよ?でも…せっかくボルヘスが用意してくれたほかの分は駄目にしてしまって…」

「そうでしたか。では早くローズ様も昼食を食べなくては」

「リヒャルト・ブラバントのところへ持っていってくるわ。少しの間待っていてくれる?良ければ昼食をご一緒しましょう。ルイスに聞きたいことがたくさんあるの!街のこと、もっと色々聞かせてくれる?」

「もちろんです」



ローズはルイスが用意してくれたお盆を持って、キッチンに入ったときとは比べ物にならないほど軽い足取りでリヒャルトのもとへと向かった。



ワゴンに昼食の乗ったお盆を置いて、朝食のときと同じようにリヒャルトの部屋の前まで運びノックをする。中から返答があったので少しだけ隙間を開けて昼食の準備が出来たことを伝える。


「運ぶから目隠しをなさい」

「わかった」

「万が一目隠しをしていなければ」

「刺すのだろう?分かっている。約束は守る」

「………」

「目隠しをしたぞ」



ローズはわずかな隙間からそうっと中を覗き込む。リヒャルトは背筋を正してテーブルの席に座っている。もちろん目隠し付きで。


ローズはホッと息を入れ、ドアを大きく開けてワゴンを部屋の中に入れる。リヒャルトは朝食との違いを感じたらしい。鼻をスンスンと鳴らした。もしかすると朝食と同じような昼食を食べさせられるのではと警戒していたのかもしれない。


「助っ人が来たのよ。間違いなく美味しいから感謝なさい」

「それは……助かるな」


助かるってどういう意味よ、と問い詰めたくなるのをぐっとこらえてローズは準備を進める。そう言いたくなる気持ちも分かってしまうのが悔しいところだ。


準備を終えて退却しようとしたローズにリヒャルトが声をかけた。


「ところで、頼みたいことがある」

「なによ」

「この国の歴史書が読みたいんだ。おすすめのものを選んでほしい」

「図書室への行き来は自由にしていいと許可しているはずよ」

「君の勧めるものが読みたいんだ」


なぜ?ローズは訝しんだ。何かを企んでいるのではなかろうか。どう応えようか考えあぐねている彼女にリヒャルトは再び声をかける。


「マシェルバの歴史書と、レグニッツについて書かれているものが知りたい」

「マシェルバの歴史書もレグニッツの歴史書も、あなたの国にだってあるでしょう?」

「視点が変われば内容も大幅に変わるものだ。この国の歴史家の視点が知りたいのだ」


なるほど、そういうものかとローズは納得する。彼女は考えを巡らせ、王の側近から「捕虜は書籍を読んではならない」と言われていないことを踏まえ、リヒャルトの要望に応えてやることにした。


「わかったわ。持ってきて部屋の前においておくわ」

「それからもう1ついいか?」

「なによ」

「君の好きな本も持ってきてくれ」

「なぜ?」

「君のことが知りたいからだ」


ローズは眉をしかめた。なぜそんなことを知りたがるのか。いよいよ本格的に探りを入れにきたのだろうか。ローズにだって王家の人間としての心づもりはある。不用意に情報を与えるつもりはなかった。



「私の好きな本なんて、あなたが読む価値もないわ」

「価値のない本なんて世の中にはひとつもない」


リヒャルトの言葉はローズの心に響いた。


「………あとで『大したことない本だった』と言ったら刺すわよ」


もはや刺すことが脅し文句のひとつに定着しつつあるローズの返答を聞き、リヒャルトは笑った。何が面白いのかローズには分からなかった。



リヒャルトの部屋から引き上げたローズは、その足で図書室へ向かった。言われた通りマシェルバとレグニッツの歴史書を数冊選び、最後に頼まれた本を取りに行く。それはローズの自室にあった。

世界の絶景スポットについて書かれたもので、緻密に描き込まれた絵と、その風景の歴史や特徴が丁寧に説明されている。塔から出たことのないローズにとってこの本に書かれた場所は憧れの世界であり、行くことは夢のまた夢だ。


彼女はリヒャルトの部屋の前までこっそり向かい、一番下に絶景の本を置いてその上に歴史書を重ねた。食事を終えたリヒャルトがワゴンを廊下に出す際に見つけやすい位置に置いておいた。




キッチンに戻るとルイスが2人分の食事の用意を済ませて待っていた。ローズは感激し急いで席に着く。


「来てくれて本当にありがとう。こんなに素晴らしい昼食を……!」

「大げさですよ、買ってきたものを組みあわせただけです」

「それがどれほど難しいことなのか、今朝とてもよく分かったのよ」

 


ローズは昼食を取りながら今朝の出来事をルイスに話した。自分がいかに無力で、ルイスが来てくれてどれだけ心が救われたかを。

スモーブローはどれもとても美味しくて、あっという間に平らげてしまった。そんな彼女のようすにルイスは笑って、自分の分のスモーブローを1枚ローズに分けてくれた。



2人はそれからいろんな話をした。

ルイスは商人の手伝いをしているだけあって、いろんな場所へ出かけているそうだ。旅先で見つけた面白いものや、素敵な出会いや風景。どれもローズの憧れるものばかりでため息が出る。そういえば朝市の情報も息子に教えてもらったとボルヘスが言っていたっけ。彼女がその話題を切り出すと、今度はルイスがローズにお礼を言った。



「あの朝市なんですけど、どうやら今回で中止になるらしくて。このタイミングで両親を行かせてやることができて良かったです。ローズ様、本当にありがとうございます」

「…なぜ中止になるの?」


尋ねてすぐに、ローズにはその理由を察した。


「……陛下ね」

「……はい」


ルイスは現王の内政が破綻しかけていることを客観的に教えてくれた。兄王の后と宰相による傀儡政権になっていることや、そのせいでレグニッツとの関係が悪化し、もうすぐレグニッツを敵国とみなす法令が出ると噂されていること。締め付けが強くなったため、平民の不満が大きく溜まっていること。


「レグニッツが敵国となってしまったら、あの人はどうなるの?」


すっかり塔の住人として名を連ねる人物を思い浮かべ、ローズは尋ねた。


「さすがに処刑なんてことにはならないでしょうが……」


ルイスは言葉を濁す。処刑。その単語を聞いてローズはぞっとする。そんなことあってはならない。


「レグニッツ王は穏健な人だと評判ですが、一方で随分と頭が切れる人という噂もあります。英雄をこちらへ寄越したのも何かしら意図があるんでしょう」


それを探るためにローズはリヒャルトを尋問しているが、今のところこれと言った成果はない。



2人の間に重い沈黙が流れた。それを破ったのは、食事を終えたリヒャルトが自室のドアを開けてワゴンを運ぶ音だった。


「塔の主よ、美味かった。食後の紅茶を運んでくれ」


辺りに響く紅茶の要求にローズは苦笑いを浮かべる。「美味しかったんですって」とルイスの方を見ると、ルイスは「良かったです」と言ってカラッと笑った。


「なかなか元気にやってるじゃないですか」

「絶好調で困るくらいなの」


ローズは席から立って紅茶の準備にかかる。お湯を沸かすくらいなら失敗はしない。紅茶なら作り慣れている。


彼女のようすを見てルイスも席を立つ。午後からは仕事が立て込んでいるのだ。


「じゃあ、また来ます」

「いつでもいらして!またお話を聞かせてちょうだい」

「もちろん」



ティーセットを並べる彼女に別れを告げ、ルイスは勝手口へと向かう。その少し前に、キッチンからそっと出て階段を見上げる。


ちょうどリヒャルト・ブラバントが部屋の前でペラペラと本を読んでいた。噂通りの美丈夫だ。視線に気づいた彼がこちらを見る。ルイスが挨拶代わりに深くお辞儀をすると、彼はこちらをじっと観察したあと部屋へと戻っていった。

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