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ローズと塔の使用人1

長くなってしまったので2つに分けます。

今日中にもう1話更新したい!

ローズは昨日、階段を駆け下ったあとすぐにキッチンへと向かった。目的の場所へ着くと料理人・ボルヘスがじゃがいもを洗っているところだった。彼の妻・エルサも隣りにいて、夫の作業を手伝っている。


ボルヘスはローズが下りてきたことに気づき、「どうかしました?おやつが食べたくなりましたか?」と尋ねる。「お腹が空いたわ、甘いものが食べたいの」とローズがキッチンに甘えにやって来ることはよくあることだ。今回もてっきりそれだろうと考えたボルヘスは、冷やしておいたフレンチトーストを焼いてあげようと冷貯蔵庫へ足を向ける。しかしローズはそんなボルヘスの腕に触れて首を横に振った。ローズのなにやら思いつめたようすに、妻のエルサも心配して近づいてくる。


「……なにか困っていることや、不満に思っていることはない?」

「……?」

「私のわがままで、無理をして働いているなんてことはない?」



ボルヘスもエルサも目が点になる。

そんなこと、思ったこともない。


ボルヘスは昔、マシェルバ王室お抱えの料理人として王宮で働いていた。エルサと出会い結婚し子どもにも恵まれ、その子どもが巣立ったところに塔の料理人の求人が出ているのを見つけたのだ。王室の使用人特有の複雑すぎる人間関係に辟易とし、喋るたびに方言についてイジられることに嫌気がさした彼は、その求人に応募し採用されて今に至る。


塔の生活はのんびりとしていて、かなり快適だ。作る料理の量も少しで良いし、メニューもボルヘスが好きなようにして良かった。庭先には専用の畑を作らせてもらい、ずっと挑戦してみたかった珍しい野菜や果物、ハーブを育てている。ときどきは、エルサを伴って近くの小川へ釣りをしに出かけた。釣った川魚はもちろん塔で出す食事のひとつになる。


必要な食材は定期的に王宮から運ばれてきたし、巣立った息子も頻繁に塔へやってきて街のようすを聞かせてくれた。そういった類いの話は、ローズをとても喜ばせる。彼女は大きな瞳をきらきらさせながら、ボルヘスが息子づてに聞いた街の話に耳を寄せた。


ボルヘスもエルサも娘には恵まれなかったから、ローズのことを孫娘のように愛しく思っていた。そんな彼女が、今にも泣きそうな顔でやってきて、「自分に不満はないか」と尋ねてくるとは。


ボルヘスはローズをキッチンの椅子へと座らせた。ひとまず落ち着いてもらおうと思った。



「ローズ様、なにかありましたか?」

「何も……ただ、今まで1日も休むことなく私のために働いてくれたでしょう?私ったらそれを当然と受け止めて、あなたたちの都合を慮ってやることができなかった」


ボルヘスとエルサは大きくかぶりを振る。口下手な彼に代わってエルサが喋り出す。


「ローズ様、そんなに思い詰めることはありません。私たちはこの塔での暮らしに満足しています。昔に比べたらずいぶんとゆっくりさせてもらってるんですよ。それに、塔の暮らしは静かで心地よくて、もはや私たちの生活の一部なのです」


ローズはエルサの話を聞いてもなお、落ち込んだようすは変わらない。意気込んで何かを話そうと顔を上げ、途方に暮れた表情を浮かべて下を向いてしまう。


「ココアをお入れしましょうね」


黙り込むローズの緊張を解いてやろうとボルヘスは釜に向かった。小鍋を用意し、スプーン1杯のココアの粉に少量のミルクをいれて練り込む。ペースト状にしたココアにミルクを足して、小鍋を火で温めていく。


口下手なボルヘスは、ローズを元気づけるときによくこのココアを作った。彼女はそれを飲んでいつも表情を緩め、なぜ元気がないのかを教えてくれた。


沸騰する直前で小鍋を火から離し、カップに注いでローズのもとへと持っていく。


ローズはココアを受け取ると、ゆっくりと飲み始める。そして一息入れると先ほどよりは随分と落ち着いたようすでボルヘスとエルサに問いかけた。


「例えば、どこか行きたいところはない?」

「行きたいところですか?」


ボルヘスは考え込む。特にこれと言って行きたいところは思い浮かばない。エルサを見ると、彼女も同じように思いつかないようだ。


ふと、ボルヘスの頭に息子が言っていたことが浮かぶ。


「朝市に行ってみたいです」

「朝市?」

「はい。マシェルバには海がありません。今まで海の幸はレグニッツからの輸入に頼っていたのですが、レグニッツとの関係が悪化したせいで市場に出てこなくなったのです。けれど月に1回だけ、商人が魚市場から直接魚を運んでくる日があって、それが朝市で出回るらしいんです」


朝市は大変なにぎわいらしく、早い時間に行かないと海の幸は手に入らないという。誰かに頼んで買ってきてもらうことも可能だが、食材を直接見て買いつけたいボルヘスには難しいことだった。



話を聞いたローズは一気に表情が晴れやかになる。


「では、それにぜひ行ってきてちょうだい!その日はお休みで良いわ。ゆっくり羽を伸ばしてきて。で、次の朝市はいったいいつなの?」

「……たしか、明日の朝です」


少しの沈黙がある。行ってみたいけれど、さすがに明日の朝は急すぎる。なにより今は塔に客人がいる。


「……いいわ。明日はお休みしてちょうだい。エルサも一緒に朝市を楽しんできて」

「そんな!いくらなんでも急すぎます」

「大丈夫よ。いままで本当に良くしてくれているもの。急に休んだとしてもそれは当然の権利なの。有給を使ってちょうだい」

「……ゆうきゅう?」


そんな言葉を初めて聞いた。

ローズは固く心に誓ったようで、この状態になった彼女が意見を曲げることは絶対にない。あれこれ説得を試みたが、何がなんでもボルヘスとエルサを明日の朝市へ行かせようとしている。


もう少し余裕をもって休みの計画を立てたいところだが、あまりにも追いつめられている彼女の心の負担を軽くするためにボルヘスはエルサを見てわずかに頷いた。


「わかりました。では明日はお休みをいただきます」


ボルヘスに代わってエルサは返事をした。ローズはそこでようやくホッとした笑みを浮かべ、あとは任せろと胸を張る。



「では明日の朝の分のクロワッサンは、出かける前に焼いておきます。塔をかなり早く出発しなければならないので、焼きたてのクロワッサンはお出しすることができませんが申し訳ありません。昼食は息子に……」

「だめよ!」


明日休む計画を立てるエルサの言葉をローズが遮る。


「明日はお休みと言ったでしょう。働いては駄目なの」

「けど、朝食が…」


ローズは一考し、自分が代わりを引き受けると言い出した。先ほどボルヘスが作業台に出した卵液に浸されたフレンチトーストを指差し、彼女はこう切り出す。


「クロワッサンを焼くのは無理だけれど、フレンチトーストを焼いているところは何度も見たことがあるの。それを朝食にするわ。ボルヘスみたいに美味しくは作れないでしょうけれど、下拵えはしてくれているし食べ物にはなると思うの」



ボルヘスとエルサは必死に止めたが、ローズは絶対に譲らなかった。押し問答に負けた2人は、仕方なく今日できる限りの準備をして明日に備えた。そしてなるべく早く帰ってこようと心に決めたのだ。

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