デートと攻防1
フランソワーズに背中を押されながら、自分にあてがわれた部屋へと入った。起きたときには絶対になかったたくさんのドレスがハンガーラックにかけられている。昨日ローズのお世話をしてくれた侍女たちが目の前を慌ただしく行き来していて、ドレッサーにはさまざな化粧道具が並べられているところだ。その数の多さにローズは啞然とした。
フランソワーズのほうへと振り返る。彼女はそんなローズの肩を押して中へ入ることを促した。
「フランソワーズ、一体これは……」
フランソワーズは戸惑うローズの言葉を聞き流して彼女を椅子に座らせた。鏡を見ながら色とりどりの布地をローズの肩に掛けてぶつぶつと呟いている。
「ローズ様は肌が真っ白だから……この色と、この色と……あぁ、これはだめだわ。血色が悪く見えてしまうもの」
まるでお札を数える商人のような手捌きで次々と布を捲っていくフランソワーズに圧倒されながら、ローズは本音を零した。
「なぜ似たような色の布地を私に当てるの?」
「なにをおっしゃいますか!この色はピーチピンク、この色はフラワーピンク、この色はクリームピンク、全然違うではありませんか」
「私には違いがあまり分からないけれど…」
「ローズ様ったら!ミュシェ・スミルノワの下で働いていたとは思えない発言だわ」
「だって私、刺繍のことしかやってこなかったもの…自分に合うドレスだなんて考えたこともなくて…」
困惑するローズの声を受け流しながら、フランソワーズは尚も布を捲っていく。
ある程度満足したのか、今度は大きな姿見の前へとローズを立たせた。今まで着ていた室内着を引っ剥がされ、あっという間に下着姿にされてしまう。彼女はローズの全身を隅々までチェックすると、以前と比べて筋肉が付きすぎているだの、胸は思ったより成長しなかっただのと小言を重ねて部屋じゅうに吊るされたドレスをかき集めて、1着ずつローズへと渡していく。慌てて前へと差し出したローズの両手には、さまざまなドレスが積み重ねられていく。
「このドレス、いったいどうしたの?」
「私のドレスと、いつかローズ様に再会したらプレゼントしようと思っていたドレスと、ブラバント卿がローズ様のために購入したドレスと……」
「リヒャルト・ブラバントが?」
「そうです!ブラバント卿はもうずっとローズ様のことを気にかけてらしたんですよ」
フランソワーズはにっこり笑ってローズの顔をじっと見つめた。たじろぐ彼女を気にも止めずフランソワーズは続けた。
「では、ドレスを順番に着てください。ドレスが決まったらヒールを選ばなくてはなりません」
出かけると言われてどれくらい経ったのだろう。
出かける目的は不明だけれど、随分とリヒャルトを待たせた自覚はあった。
フランソワーズによってドレスや靴、アクセサリーやヘア、お化粧を整えられたローズが解放されるころには、彼女はすっかりくたびれていた。この2年間は動きやすい3着の作業着兼普段着を着回していたし、ヒールを履くのも暫くぶりで足先が窮屈に感じる。
恐る恐る歩くローズの前をフランソワーズはどこか誇らしげに歩いた。彼女が部屋の扉を開くと、同じく身なりを整えたと思われるリヒャルトが待っていた。そんな彼に向かってフランソワーズは胸を張る。
「お待たせいたしました。ローズ様を一流のご令嬢に仕上げました」
「満足したか?」
「はい!長年の夢がついに叶いました」
「それは良かった。君の夫が客間で待ちくたびれている。君を迎えに来たようだ」
「あら…大丈夫だって言ったのに……あの人ったら本当に心配性で……」
リヒャルトの話を聞いたフランソワーズは、「また今度」とローズにハグをして嵐のように去っていった。
あまりの勢いに押され、遠ざかっていくフランソワーズの背中に小さく手を振ることでしか別れを告げることができなかったローズ。そんな彼女がフランソワーズを眺めるのをやめたのは、近くから視線を感じたからだ。
「なんでしょうか」
「よく似合っているなと思って」
「フランソワーズが着せてくれたんです」
「そのドレスを選んだのは俺だ」
「なんですって……」
「彼女は良い仕事をした」
顔を真っ赤に染めたローズに満足したのか、リヒャルトは上機嫌で彼女の腰に手を添える。
「さぁ、馬車を待たせてあるんだ」
「いったいどこへ連れて行こうというの?」
「君の行きたいところだ」
リヒャルトのエスコートは完璧だった。
どれくらい完璧だったかというと、彼と並んで歩くことに抵抗のあったローズが知らぬ間に馬車に乗せられている程度には。
ずっと逃げ回っていた相手と二人きりの空間。なんて耐え難いのだろうか。以前ルドルフと共に馬車に乗ったときのほうがずっと気楽だった。そんなローズの気持ちを知ってか知らずか、リヒャルトは彼女に話しかけるでもなく、ただローズを見つめている。耐えられなくなった彼女がついに会話を始めるまで、リヒャルトはローズを見つめることを止めなかった。
「そんなに見られては穴が空きます」
「穴が空くのか。それは確かめてみたい」
「意地悪な人ですね、相変わらず」
「君も相変わらずなようだ。方言を使って私を騙そうとしたくらいには頭が回るらしい」
ローズの幼稚な失策をわざわざ話題に出すだなんて。実に腹立たしい。
彼女がリヒャルトにからかわれつつ到着したのは、ブランジェリー・アッシュだった。馬車から降りた先にある石畳を歩く。前に見たときとは違い行列は見られない。
ブランジェリー・アッシュと書かれた看板を前にして特に驚くようすを見せないローズにリヒャルトは尋ねた。
「喜ぶと思ったんだが、もうクロワッサンへの興味は薄れたか?」
「いえ、ずっと来てみたかったわ。店の前まで来たことがあるの。中には入れなかったけれど」
「なぜ入らなかった?」
「あなたの部下がずっと見張ってたから」
気まずそうに黙るリヒャルトに向かって、ローズは仕返しとばかりに笑ってみせた。




