公聴会と偽ローズ2
ローズ・マシェルバと名乗る人物への質疑応答が始まった。近衛兵の質問は淡々としており、それに答える彼女も、すでに決められた文言を述べているように感じられた。現に彼女によって語られた出来事の多くは、新聞を通して伝えられているものばかりだった。
それでも待機場所に集まった聴衆は、彼女の一言一言を聞き逃すまいと息を潜めて聞き耳を立てた。
「それから私は……」
順調に進んだ質疑応答が途切れた。壁の向こうから小さなざわめきが起こる。
「近衛師団団長、リヒャルト・ブラバント卿が到着されました。これより入室されます」
ざわめきの中に黄色い声が混じった。その声さえも待機場所にいる人々は真剣な目つきで聞き入っている。
大部屋のドアが開いて誰かが入る気配があった。再び黄色い声があがり、それに対して静かにするように注意をする声も聞こえたけれど、リヒャルト・ブラバントが声を発したようすはない。
ややあって質疑が再開した。異変が生じたのはこのあとだった。それまで問題なく質疑に応じていた"ローズ"の声がずいぶんとねっとりし始めた。
「さきほどの話でリヒャルト・ブラバント団長と恋仲であったと認めましたが、団長とはどのような経緯で仲を深めたのでしょうか?」
「私は塔で長らく過ごしており、とても孤独でした。彼はそんな私の心を丁寧にほどいてくれました。打ち解けることに時間はかかりませんでした」
見たこともない"ローズ"の表情が容易に想像できる。きっとリヒャルト・ブラバントを熱心に見つめてうっとりしているに違いないし、待機場所にいる全員が同じことを思っているはずだ。
「経緯をもう少し詳しく話していただけますか?」
「具体的にどちらがアプローチをしたというわけではありません。自然にそうなったという感じでしょうか。ただ、愛の言葉を初めに伝えたのは私です。彼の優しい眼差しを受け、本音がこぼれたのです。それから2人は熱い抱擁を交わし…」
愛の言葉!?優しい眼差し!?熱い抱擁!?
嘘もここまでくれば立派だ。体中に寒イボが立った。冗談じゃない。やめてくれと込み上げる気持ちを何とか抑える。"ローズ"は完全に自分の世界を築き上げていて、彼女に問いかける役割を果たす近衛兵ですら、しまいには声を上擦らせていた。
「……では、レグニッツで団長と再会したあと、どのような会話をされましたか?」
「彼は私が滞在する部屋に足繁く通ってくれました。今日も『自分が思っていることを包み隠さず話して良い』と後押しをして勇気づけてくれました」
「あなたがレグニッツへ逃げてきて暫く経ちますが、なぜ今になって名乗り出ようと思ったのでしょうか」
「…名乗り出ることはとても勇気がいりました。祖国から逃げてきたわけですから……」
聞くに堪えない。
エヴァは深呼吸をして現実逃避に努めた。大袈裟な演技としか思えない。そう思ってこっそり周りを見渡してみたけれど、みんなこの虚言を真剣な面持ちで聞いているではないか。怒りと可笑しさが同時に込み上げてくる。こんなの嘘っぱちだと叫びたくてしかたなかった。けれどここは我慢するしかない。エヴァの目的はフランソワーズに嘘をつかせないことであり、この偽ローズがいくら嘘をついたとしても目的とは無関係なのだ。
偽ローズへの質疑応答の時間が終わった。エヴァはようやくほっと息をつくことができた。しかし彼女にとっての目的はここからだった。
「次に法務局が招集した重要参考人に話を伺いたいと思います。フランソワーズ・ルックナー、前へ」
「はい」
フランソワーズの声を久しぶりに聞いた。エヴァの胸に込み上げてくるものがある。彼女はよりいっそう耳を澄ませた。フランソワーズへの質問は法務局の職員が取り仕切るようで、先ほどの近衛兵とは違う声での質疑が始まる。
「あなたは旧マシェルバ国王に捕らえられたあと、ウエスト塔の暴動が起こり救出されるまで、どこで暮らしていましたか?」
「ウエスト塔で暮らしていました」
「そこでの暮らしぶりを詳しくお聞かせください」
「ローズ様に仕えていました。ほかにも2人仕えている者がいました。暮らしは王族にしては質素でした」
「労働を強いられていたということでしょうか?」
「ローズ様は私に強要などしていません。自ら進んで仕えていました」
「では、あなたの仕えていたローズ・マシェルバは、さきほどあなたと同じ場所に立っていた人物と同じで間違いありませんか?」
フランソワーズは黙った。エヴァはもうこの場でじっとしていることができなかった。彼女はなるべく周りに迷惑をかけないように人混みから潜り抜けて待機場所から退室すると、大部屋の扉に向かって駆け出した。
扉の前には何人か警備が立っていた。格好からして近衛兵であることが分かった。フランソワーズの声はこの位置からでも十分に聞こえた。覚悟を決めた、大きな声だった。
「あの方がローズ様です」
エヴァは大急ぎで扉に近づいた。異変に気づいた近衛兵が彼女の前に立ちはだかる。
「中に入りたいんです」
「傍聴席の券はお持ちですか?」
「持っていないけれど、どうしても入りたいんです」
「持っていないなら入れません」
「私は関係者なんです!入らせてください」
「そういうのはあなたで5人目なので」
近衛兵は面倒臭そうな表情を浮かべ、エヴァの肩を掴んで扉から遠ざけようとした。エヴァは被っていた帽子を取って近衛兵に言った。
「私がローズです。そこを通しなさい」
凄んだつもりなど全くなかったが、近衛兵は息を呑んで言葉を失った。呆気に取られたのだろうかと思ったけれど、そういった雰囲気ではなく、ただ呆然としていたように見える。
ローズはそんな時間さえも惜しい。早く中に入りたかった。もう一度近衛兵に声をかけようとしたところで、ようすを見ていた別の兵が間に入った。
「お入りください」
無理やり入る覚悟さえあったのに、突然の了承に戸惑った。声をかけてきた近衛兵は扉を警備している者の中で最も立場が上のようで、胸にいくつかの勲章が付いている。
「あなたと同じ特徴を持つ女性が現れたら通すようにと言われていました」
誰に言われたのかは聞くまでもなかった。
やはりこれはリヒャルト・ブラバントの仕掛けた罠だったのだ。しかし、そんなことを言っている暇はなかった。ローズが頷くと、彼女を遮っていた近衛兵が彼女から離れた。扉に近づき、大きく息を吸い込む。ノブに触れて強く扉を押し広げると声を張り上げた。
「お待ちなさい!」
ローズの声を聞いて、大部屋の上手と下手に並んだ傍聴席に座る人々が一斉に後ろを振り向いた。
皇女であったにも関わらず、ローズは多くの人に見つめられた経験が1度もない。心臓が口から出るのではないかというほど激しく鼓動を打った。嫌な汗が溢れてきて、とても熱い。それでもローズはなんとか1歩を、そしてまた次の1歩を踏み出して中央の通路を前へ進んだ。奥には小さな柵が立てられ、そのさらに奥の中央にフランソワーズが立っている。彼女は驚いた表情を浮かべ、それから泣き出しそうな目でローズを見つめた。
大部屋の至るところに配置された近衛兵が彼女を捕らえようと動いたが、ローズの姿を確認してすぐに動くのを止めたようだ。リヒャルトの仕業に違いなかった。
ローズは柵の前で歩みを止めて大部屋を見渡した。
最奥の中央には法務局の関係者がずらりと並び、そこにはルドルフの姿があった。向かって上手が近衛師団の席らしく、リヒャルト・ブラバントは列最奥に座っている。とすれば下手にいる人たちが偽ローズとその関係者なのだろうか。金髪の女性が座っていることも確認できた。
ローズは中央奥の最も高い席にいる人物を見据えてカーテシーをした。
「私がローズ・マシェルバでございます」
挨拶の作法は、かつてフランソワーズから教わったんだった。そんなことが脳裏をかすめた。