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ローズとマシェルバの塔

マシェルバが滅んだのは、先代の王・ローズの父の死がきっかけとされる。マシェルバは王の絶対的な権力によって国のバランスを保つ国だった。人々は娯楽を制限されており、演劇などは隣国のレグニッツに行って観るしかない。

父が健在だった頃、お互いの国への行き来はさほど規制されてはいなかった。仲が良いわけでもなければ悪いわけでもなく、人々はお互いの国を好きなように行き来していた、らしい。ずっと幽閉されていたローズは、そういう状況をまったく知らないわけだけど。


状況が変わったのは5年前。彼女の父が死に、兄が王となった。残念なことに兄は人の上に立つ才能がなかった。それを隠すために隣国からの情報を遮断し、人々の交流を最小限に制限する法案を可決した。その後、自分がいかに優れた王であるかを国民に説いた。また、自分たちが大国だと示すために外交では相手国に無理難題を押し付け、それを通そうとした。


当初はそのスタンスで上手くいっていた。後の世では「ハッタリ外交」と呼ばれる王の作戦は、やはりと言うべきか当たり前と言うべきか、長くは続かなかった。隣国・レグニッツとの会談が行われた際に国境で取れる貴重な鉱石の全権を主張したマシェルバ王は、今まで通りの配分で分けましょうというレグニッツ王の意見に耳を貸さず、「応じないならマシェルバ国を鎖国し、現在マシェルバにいるレグニッツ国民を不法滞在で順番に処刑する」と誰もが驚くような宣言をする。


穏健で知られるレグニッツ王はこの宣言に驚き、ひとまず交渉を長引かせる提案をした。当時レグニッツの近衛師団で副団長を務めていたリヒャルト・ブラバントをマシェルバ滞在中のレグニッツ国民の代わりとして人質に差し出したのだ。


リヒャルト・ブラバントはレグニッツ王家の血を引く公爵家の次男で、その武勇伝は前々からマシェルバ国内にも轟いていた。陸軍在籍時代にレグニッツ北部の領地を侵略しようとしたゲズライト民族を壊滅させたり、南部の森林で起きた大火災の陣頭指揮を取ったりして着々と実績を積み重ね、22歳の若さで近衛師団の副団長へ抜擢されたのだ。


リヒャルトが注目を集めたのは功績だけではなく、その美しさも大いに影響していた。レグニッツ国内外問わずリヒャルトと縁を持ちたがる女性は多かったし、マシェルバにもその美しさ、逞しさ、スマートさは聞こえてくるほどだった。


それほど人気の彼が人質としてやってくると、どうなることか。マシェルバの王は知らなかった。

女性が自分の恋のためになら阿修羅になることを。


リヒャルトははじめ、人質らしくマシェルバ宮殿内の地下牢にいれられた。しかしリヒャルトを一目見たい、あわよくば彼に恩を売って好かれたいと願う貴族のご令嬢や侍女、女官によって牢獄は意味を成さなかった。リヒャルトの本意とは無関係に毎夜脱走計画が立てられたし、彼が少しでも居心地良く過ごせるような絨毯、ベッド、服、クッション、食べ物といった差し入れがラブレターと共に届けられた。娘の行動を諌める貴族の父親もいたが、愛は止められない。娯楽を規制しているマシェルバでの最大の娯楽は恋愛なのだ。


地下牢の鍵を入手した伯爵家のある令嬢が深夜にリヒャルトの牢に侵入し、眠っていた彼の上にまたがったことが王の耳に届いたとき、彼はこの人質が自分の手に負えないことに気づいた。


王はもともとレグニッツの国境にある鉱石のすべてが欲しかったわけではない。採取した鉱石を少しだけ多くもらいたかったのだ。最初に無理難題を押し付けて後から要求を低め、願いを叶えてもらう手法に味を占めていたマシェルバ王が調子に乗った結果、副産物として隣国の英雄、リヒャルト・ブラバントがついてきてしまったという顛末である。


極めて紳士的な振る舞いをしたリヒャルトによって伯爵令嬢は乙女のままだというが、人質が自分の知らないところで持て囃されたり、令嬢に襲いかかられたりするのは不快でしかない。


王はリヒャルトを地下牢から別のところへ移す検討を始めた。そしてリヒャルトが連れてこられたのがローズ・マシェルバが軟禁されている塔だった。


塔はもともと知る人ぞ知る存在だったし、薄暗い森の中にあるためどこか不気味な雰囲気が漂う。年頃の令嬢ならば絶対に近寄りたいと思うはずがない。そんな王の考えでリヒャルトはある夜こっそりと塔に移された。知る者は王と一部の臣下と、そしてこの塔の住民しかいない。




リヒャルトは塔の2階に隔離された。足には拘束具がつけられ行動は制限されたが、静かで、前の牢よりはよっぽどマシだと思えた。隔離先としてあてがわれた部屋は広くて必要なものは過不足なく揃えられていたし、願い出れば膨大な量の本が所蔵されている図書室も使うことができたし、出される食事も悪くなかった。部屋には色とりどりの花が飾られており、客人としてもてなされている気さえした。


何より夜中に誰かが忍び込んできたり、生活スペースを覆い尽くすほどの差し入れが届くこともない。ゆっくり物思いに耽るにはちょうど良い場所だ。レグニッツ王は「長くても半年でこちらに戻してやる」と言っていたし、いざとなれば自分で逃げ出せば良い。そんな風に考えていたリヒャルトの心の安寧は約1週間ほど続く。


1週間と少し経ったころ、何度か顔を合わせたことのある侍女がリヒャルトの部屋に入ってきた。彼女の名は確かフランソワーズと言ったろうか。フランソワーズはつかつかとリヒャルトのそばへやってくると読書をしていた彼に一礼した。



「塔のあるじが、あなたと話したいと申しています」


連れてこられたのは塔の最上階にある小さな広間だ。他の部屋に行くときと同様、後ろ手に縛られ、錠がかけられる。


リヒャルトは奥の椅子に座らされた。飾りのような小ささの机を挟んだ手前側にはもう1脚椅子が置かれており、塔の主とやらはそちらに座るらしい。


宮殿内の牢屋と比べて塔は随分と良い待遇であると感じていたリヒャルトは、この塔の主にある程度の悪くない印象を抱いていた。顔を合わせることがあるならば、礼の一言でも伝えようと思っていたぐらいだ。


なのに椅子に座るや否やフランソワーズが彼の後ろに回り、その目を絹の布で覆った。抵抗する選択肢がなかった訳ではないが、相手は女性。リヒャルトはされるがままに目隠しを受け入れ、なぜこのようなことをするのかとフランソワーズに尋ねる。


「俺に見られたら、なにか不都合があるのか?」

「……そんなところよ」


リヒャルトは驚いた。目の前から聞いたことのない女の声がする。気配というものをまったく感じ取ることができなかったのが悔しい。今この部屋に入ってきたばかりだろうか?


「理由は?」

「あなた、質問が多いわね」


椅子を引く音がして、誰かが前の席に座る。おそらく声の主だろう。彼女は鈴を転がすような声でリヒャルトに言い放った。



「いきなり連れてこられ、目隠しをされる状況になったなら、誰だってその理由が知りたいと思うはずだ」

「レグニッツの英雄がなぜこんなところでやすやすと人質を引き受けているのか。誰だってその理由が知りたいと思うでしょうね」


リヒャルトは眉をしかめた。質問に質問で返してくるとは。自分の望む会話はさせて貰えそうにない。


「王のお考えだからだ」

「そちらの王が考えもなしにあなたを寄越してくるだなんて思えないわ」

「我が王はお優しい方なのでね。問題を穏便に解決するためには私がこの国の人質になったほうがいいとお考えになったのだろう」

「あなたが人質になったことで、『あなたを心配した部下があなたを思うばかりにマシェルバに押しかけ、身を潜めている』のも、優しい王は咎めないというわけね」

「……そんなことになっていたのか」


会話が止まる。視界が塞がれている分、目の前に座る女が何を意図してこんな会話を仕掛けてくるのかが表情で読み取れない。


「しらばっくれるのね」

「しらばっくれるもなにも、その件は今初めて聞いた」

「あなたがマシェルバに捕らえられているから、うちの王様はあなたの部下が隠れ潜んでいるのに処罰が与えられないのよ。そういう約束をあなたの王としているもの。こうなること、あなたなら予測できたんではなくて?」

「それを言うなら、そちらの王もこうなることを予測できなかったのか?」


会話がまた止まる。女はため息をつく。沈黙が数分ほど続いたけれど、リヒャルトは自分から会話を切り出すつもりはない。


「うちの王様はあまり賢くはないのよ。本当なら王になるまでもう少し時間があったはずなのに、先代の王が突然亡くなったせいで引き継ぎが十分ではなかった」


椅子を引く音に続き、コツコツと足音が響く。足音はリヒャルトの傍で立ち止まる。鼻先に甘い花の香りが漂ったかと思えば、耳もとで透き通った声が囁く。


「賢くないけれど、強引にあれこれを決められる権力はあるわ。知ってることがあるなら包み隠さず教えなさい」


リヒャルトは首を横に振る。自分は王の命令に従ったに過ぎない。自分を慕った部下がマシェルバに押し寄せたことは関知しない。


「……知らないならいいわ。我が王はあなたを故郷へ返すつもりはないみたい。あなたの部下もそのうちあなたを忘れて国に戻るでしょう。今あなたの国であなたの帰りを待っている婚約者も、きっと新しい大切な人を作って幸せに暮らすわ。あなたの家族だって、いずれあなたを思い出にしてしまうのよ」


その間もあなたは変わることなく、ずっとここで暮らすのよ。かつての英雄が誰からも忘れ去られるなんて、とても気分がいいわ。


爽々と語り、くすくすと笑う。女の意図はリヒャルトの感情を剥き出しにさせてボロを出させることなのだろう。


「いざとなったら逃げればいいって思ってない?……ここの立地をしっかりと確認できてない人には到底無理だとだけ伝えておくわ」




女からの尋問は不定期に、かなりの頻度で行われた。それはリヒャルトが開放されるまで続いたという。


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