村長のはかりごと2
村長は頭をフル回転させる。
ゲズライト民族はリヒャルト・ブラバントが壊滅させたはずでは?観光客の制限が無かったころにやってきたレグニッツ人が、それはそれは自慢げに村長に話してくれたのだ。「すべてはリヒャルト・ブラバントのおかげだ」と。
男が戸惑う村長に声をかけた。
「俺の入れ墨がそんなに気に入ったか?」
入れ墨を盗み見たことがバレていると思わなかった村長は内心慌てたが、冷静を装って返事をした。
「見ごとな入れ墨だね。うちの国ではなかなかお目にかかれない」
「こんなに素晴しい入れ墨、そうそう見られるもんじゃねぇ。そんなに見たいならじっくり見たらいい」
自分の上着の袖を豪快に腕までまくると、男は村長に向かって手の甲を差し出した。炎をモチーフとした入れ墨で、炎の周りを細緻な装飾模様が囲う。
「素晴しいね。ぜひ彫師を紹介してもらいたいもんだ」
仲間がいるのか。それが村長が聞き出したいことだった。
「いいぜ。これを彫ったやつはもういねぇけど別のやつを紹介してやるよ」
男は自慢げに承諾した。どうやら仲間はいるらしい。壊滅というのは誤情報だったのだろうか。村長はさらに踏み込んで尋ねた。
「仲間もこの辺にいるのかい?君はゲズライト民族だろう?」
彼は眉を上げ村長を見据えた。眼球があまりにも大きいので村長は睨みつけられたように感じた。自分の考えていることを見透かされている感じさえする。男は読む気を無くした新聞を丸め、強くテーブルに打ちつけた。鋭い音が鳴り、村長の隣りで若者が肩をビクつかせる。村長自身も膝の上に置いていた両手を強く握りしめた。
「俺はまどろっこしいのが嫌いなんだ。言いたいことがあるならはっきり言うんだな」
「君を責めてるわけじゃない。うちの村は観光産業で栄えていたのに、鎖国してしまったものだから困ってたんだ。君みたいな人は大歓迎で、仲間もいるならぜひ呼んできてほしいと思ったのさ」
「つまりマシェルバ国民ではない俺がなぜここに居ついてんのか話せって言いたいんだな?」
男はニヤリと笑った。村長も負けじと笑顔で凄んだ。ここで負けるわけにはいかない。
「理由を知る必要はあるかもしれない。私はこの村の村長だからな」
「知ったこっちゃないねぇな」
男はそう吐き捨てると、自分の爪にたまった垢を弄り始めた。汚らしいと村長は思った。けれど勝負に勝つためには理性的でなければならない。探り合いはしばらく続いたが、村長が一枚上手だった。
「君が自ら白状することを望んでいたが、まあいいだろう。なぜ君がこの村に居ついているのかは容易に想像がつく。理解ある立場でいたかったが、こうも頑なだと我々は対立するしかない」
男は爪をいじるのを止めた。村長を見下していた男の態度に変化が見られた。こちらのペースに巻き込めるチャンスだ。
「うちの村の住民たちに不審者が村をうろついているから気をつけるようにと注意喚起を出さなければ」
村長はわざとらしくため息をついて立ち上がる。村長の隣りで大人しく話を聞いていた若者もつられて椅子から腰を浮かせた。
「待てよ、俺たちを侮辱することは許さないぜ」
俺たち。男はそういった。ゲズライト民族はこの村に複数人いるということか?村長は賭けに出た。
「レグニッツでリヒャルト・ブラバントに完全敗北し、我が国に逃げ込んだやつに許されなくてもなんの問題もない。うちの村で過ごすことを許可したのが領主であろうが中央から派遣されきた役人であろうが、我らにとって君たちが不審者であることは事実だ」
村長の言葉を聞き男は立ち上がり、テーブルの向こうから村長の胸ぐらを掴んだ。あまりにも力強い。村長は引きずられるようにテーブルの上に上半身が乗る。若者が2人を引き離そうとしたけれど、男のたくましい腕の前にはなんの効果もない。
「てめぇ、好き勝手言うのも大概にしろよ?お前が誰だかは知らねぇが、お前1人殺すことなんて俺には朝飯前だぜ?それにお前を殺しても俺にお咎めはない。俺をこの地に留めているのは領主でも役人でもなく、この国の王だからだ」
男は凄んだ。村長は内心酷く驚き、体が震えそうになった。なぜ陛下がこんな男を匿うのか。陛下は何か企んでいるのだろうか?
しかし村長は気持ちを切り替えた。今は王の企みよりも目の前の男をどう誘導するかが大事だ。自分たちの企みは失敗すれば反逆罪になる。こんな男1人操作できずしてなにが反逆か。
「王が後ろについたところでなんの影響もない。私はありがたいことにこの村ではそれなりに人気があってね。君が私を殺すことは一向に構わないが、王の軍が到着する前に村民が君を殺すだろう。君はそれで満足か?」
村長の胸ぐらを掴んでいた男の手に更に力が入る。男の腕が上へと上がり、村長の体が宙に浮いた。しかしそれは一瞬のことで、男は何を思ったのかパッと手を離すと再びドカッと椅子へ腰掛けた。村長は自分の胸元を正し、綺麗に整ったかを隣の若者に確認した。不安で一杯の若者が恐る恐る返事をすると、村長は清く正しくあることを心がけているかのように着座した。若者は何が起こったのかの理解が追いつかず、座ることを忘れた。
「……何が聞きたいんだ?」
当初の目的は、レグニッツの情報を聞き出すことだった。しかし村長はこの男がゲズライトの戦闘員であると気づいた瞬間から、その必要はないと考えるようになった。妙案を思いついたからだ。そしてその案は、最も手っ取り早くレグニッツがマシェルバを滅ぼすきっかけとなるだろう。
「君はレグニッツを、そしてリヒャルト・ブラバントを憎んでいるな?」
男は怪訝な顔で村長を見た。村長は自分がこれから発する言葉を慎重に選ぶ必要があった。男は返事をしなかったが、村長は肯定と捉えて話を続けた。
「そしてマシェルバの王は今リヒャルト・ブラバントを捕らえている」
王が何を考えているかなど、知ったことではない。
「君がなぜいつまでもこんなところにいるのかが知りたい」
男は黙った。大きな目は壁の隅のほうを見つめている。村長の真意を頭の中で整理しているように思われた。村長は自分の狙いが上手く進んでいることを確信した。男の返事を待たずに言葉を重ねる。
「私の村はリヒャルト・ブラバントがマシェルバにやってきてから良いことがひとつもないんだ。役人はピリピリしているし、優秀な若者は中央へ連行されて軍で無理矢理働かされている。国の締め付けも苦しくなる一方でね。彼にはとっとといなくなってもらいたい」
大げさにため息をつき、あからさまに困った表情を浮かべた。
「つまり我々は、君がリヒャルト・ブラバントを殺すことに賛同する」
レグニッツで爆発的な人気を誇るリヒャルト・ブラバントがマシェルバ国内で殺されたとしたら。マシェルバ国王が殺人犯の後ろ盾であることが明らかになったら。レグニッツ中央部の政治的な事情など関係ない。国民の英雄とも呼べる人物が悲惨な死を遂げたら、レグニッツの人々は黙ってはいないだろう。リヒャルト・ブラバントの死は2つの国の争いのトリガーとなり得る。
国力の差は村長から見ても歴然としている。戦争にならなくても、少なくとも鎖国は解除されるに違いない。
村長の隣りで若者が息を呑んだ音が聞こえた。
目の前の男は壁の隅のほうに投げた視線をゆっくりと村長へ戻す。
しばらく無音が続いた。村長は男の声を粘り強く待った。男は本音を言うか言うまいか、村長が自分にとって使える人間かそうでないのかを計算しているようだった。
「お前がお前の腹を見せてくれたのは認めよう」
男が話し始めた。村長は頷いて続きを促す。
「俺だってあいつを殺せるものなら殺したい」
「ではなぜ動かない?」
「あいつが捕らえられてる場所に問題がある」
「陛下は教えてくれないのか。君を匿っているのに?」
「お前んとこの王はレグニッツと対話する際の札の1つとして俺を匿っているが、使い方は考えあぐねているらしい。だから俺に情報なんて寄こさないさ」
「……マシェルバの情報なら、私がなんとか集めてこよう。こう見えても私は村長だ。田舎とはいえ、顔だけは広い」
村長はこうして、自分の真意を伝えずに男を誘導することに成功した。彼らは彼らなりの計画を立て、仲間を増やしていく。
あとから考えれば計画は酷いものだったが、幸か不幸かその無謀さを指摘する者は誰一人としていなかった。