ルイスの裏切り
ルイスが塔にやってきたのは穏やかな午後の日だった。
ローズはちょうど、兄の側近、オズワルド・アルベールからリヒャルト・ブラバントの本音を引き出せていないことを責められているところで、怒られることが退屈な彼女がふと窓の向こうに目をやるとルイスがこっそり勝手口に入ろうとしていた。
あの日ーーつまり、ローズがみんなの有給を許可した日以来、ルイスは前よりもたびたび塔に訪ねてくるようになった。彼から知らされる外の世界の話はローズにとって楽しくて面白いものばかりで、退屈な日常に彩りを添えてくれる、庭に咲く花々のような美しさがあった。
早く説教が終わってくれればいいのにとローズは心の中で祈った。そもそもリヒャルト・ブラバントをローズに任せることがおかしいのだ。相手は自分より何枚も上手で、王である兄よりも優れていることは誰の目から見ても明らかだった。
先日もアルベールの指示に従って、リヒャルトの部下がマシェルバの衛兵に捕まったことを悲喜こもごもと伝えたばかりだ。なのにリヒャルトは「それは国際法違反だな。その者を処罰するのは構わないが、マシェルバが国際法を破ると近隣諸国から攻められるきっかけを与えることになる。我が国としては極めて都合がいい」と事も無げに言い、「今日の紅茶は少し渋いぞ」とローズに文句を加えたのだ。
信じられない。部下が窮地だというのに!
ローズは塔の階段を降りながら憤慨した。
そしてこうなったすべての元凶である兄王に心の中で毒づいた。渋くない紅茶を新しくリヒャルトの元へ持っていかなくてはならなくなったのも間違いなく兄王のせいである。おちょくっていたはずローズが、気がつけばリヒャルトにおちょくられているのはいつものこと。塔の中では頻繁にリヒャルトの笑い声が響き渡っていた。極めて遺憾である。
話を戻せば、結局ローズはよそ見をしていたことがバレたせいでいつもより長めの説教を受けたあとキッチンへと向かった。ルイスは今日、どんなに面白い話を聞かせてくれるのだろう。そんな気持ちでいっぱいだった。
しかし、キッチンへ続く扉のノブに手をかけようとしたそのとき、中からボルヘスの怒声が聞こえてきた。
「お前などもう息子ではない。二度と顔を見せるな!」
不穏なようすを察して慌てて中に入ると、ボルヘスはルイスの胸ぐらを掴み、今にも殴ろうとしているところだった。
ローズは慌ててキッチンへと入り、ボルヘスを宥めた。ボルヘスは怒りが収まらないようで、ルイスを睨みつけて「出ていけ!」と叫ぶ。何事かと思ったフランソワーズもやってきて、いつもの穏やかな彼からは考えられないほどの剣幕にひどく驚いていた。
キッチンは焼き立てのスコーンの香りで溢れていた。今日はルイスが訪ねてくるからと、ローズがボルヘスにお願いしておいたのだ。素敵な午後をみんなで過ごすはずだった。
ローズはエルサと協力してボルヘスとルイスを引き離し、それぞれを椅子へと座らせた。
「ボルヘス、とりあえず落ち着いてちょうだい。いったい何をそんなに怒っているの?」
ボルヘスは怒りのあまり言葉にならない。困ったローズは、ボルヘスやルイスとともにキッチンにいたはずのエルサに声をかけた。
「いったいなぜ、ボルヘスはこんなに怒っているの?説明してちょうだい」
エルサは少しの間沈黙した。何かを考え、言葉をまとめているように思えた。彼女は呼吸を整えて息子の方を見た。
「夫の考えに私も同意です。あなたはもう、私たちの息子ではないわ。出て行きなさい」
「エルサ!なんてことを言うの!」
エルサは一見冷静なように見えたが、小刻みに震えた手を握りしめて怒りを堪えていた。二人にいったい何があったのか。ローズは途方に暮れて、元凶と思われるルイスに視線をやった。ルイスは椅子に座ったまま俯いて自分の膝をじっと見つめていたけれど、沈黙を察して顔を上げるとまっすぐにローズを見つめ返した。強いまなざしだった。
「何があったか、あなたが説明してくれるわね?」
ローズは静かに尋ねた。ルイスは小さく2度ほど頷いた。自分の決意を肯定するような仕草だった。
「ローズ様、端的に言います」
ルイスは淡々と続けた。この国は間もなく終わります、と。