ローズの覚悟
「心配いただかずとも、もともと行くつもりはありません
でした」
エヴァの言葉にルドルフは少しばかり表情を緩めた。安心したようだ。彼がわざわざ忠告しにくるほど王都でも騒ぎになっているのだろう。
ルドルフは言葉を選びながら王都のようすを教えてくれた。新聞社や出版社が近衛師団に連日押しかけており、ここ数日は法務局にも人だかりができているとのことで、仕事場へ行くのが大変だそうだ。ローズとされる人物は実際に存在しており、宮内の来賓室で過ごしていてリヒャルトは毎日そこへ通っているらしい。
「傍から見れば仲睦まじいように映るはずだ」
ルドルフは苦虫を噛み潰した表情を浮かべ、無言になった。沈黙でエヴァの気持ちを話すよう促してくる。
「彼がどうしてこんな手段に出ているのか、ルドルフ様はご存知なのですか?」
「こんな、とは?」
「それは……」
わざわざ偽物を仕立てたことだ。けれど濁しながら伝えるのはなかなか難しい。
エヴァが黙り込むと、ルドルフは彼女の真意などお見通しだったらしく返答をくれた。
「思い当たる点はある」
彼は躊躇いのあと、ややあって彼女に打ち明けた。
「リヒャルト・ブラバントが君に関する捜査権限を持っているのは、あと3日だ」
エヴァの目が大きく見開く。ルドルフは彼女の反応に満足いったようだ。再び紅茶を口にすると、詳しく話してくれた。
「陛下はローズの捜索に当たりリヒャルト・ブラバントに条件を出した。期限付きというね。その期限が間もなく終わる」
エヴァはレグニッツ王の姿を思い浮かべた。
まだ自分の父が健在だったとき一度見かけたことがある。
父とレグニッツ王は、何日かの会談のあとでマシェルバ王宮の敷地内にある森の中で狩りを楽しんでいた。ローズの暮らす塔はその森の中にひっそりと建っていた。辺りが急に騒がしくなったのでローズが窓からこっそりと外を眺めると、聡明そうな青年が狩猟用の銃を持ち、父の隣りで笑っていた。あとでエルサに尋ねると、あのお方はレグニッツの国王ですよと教えてくれたのだ。お父様と違って随分と若いのねと尋ねた記憶がある。あの頃から5年以上経っている。脳裏に浮かぶ若々しい姿にいくぶんか威厳を足してみた。それでも街に溢れているレグニッツ王の似顔絵よりも随分と若く感じる。
「なぜ陛下はそのような期限を設けたのでしょうか」
「彼がローズ姫に固執し過ぎているのは、誰の目から見ても明らかだろう?」
「……」
「陛下はリヒャルトがローズ姫から解放されることを望んでいる」
解放って……まるでこちらが束縛しているかのような言い方ではないか。エヴァは反論したくなるのをぐっと堪えた。
「……ローズを責めているわけじゃない」
エヴァの口がへの字に曲がったのを見て、ルドルフが慌ててフォローを試みる。彼女は息を吸い込んで気持ちを整え、笑顔で武装した。それは威嚇に近かった。
「陛下のご心情をご存知とは、法務局でさぞかし重要なポストに着いてらっしゃるのでしょうね」
ルドルフ自身がどれだけ高い位にいるのか、エヴァには分からない。けれど王都での出来事やその時の周りの反応から、リヒャルトと同程度の位にいる人物であることは容易に想像がつく。そして、ルドルフがそれに触れてほしくないことも。
「エヴァ、俺は君と仲違いをしにここへ来たわけじゃない。君の助けになりたいと以前も伝えただろう?」
エヴァは彼をじっと見つめた。嘘をついているようには見えない。けれどなぜここまで気に掛けてくれるのかも分からない。エヴァが彼にとっての「ちょっと気になる子」で、「乗りかかった船」だからと言ってこんなに親切にしてくれる真意が掴めない。
「とにかく、ローズを探し出す期限があと3日なんだ。だから彼は賭けに出た。一か八かのね。偽物を仕立てれば、正義感の強い君が現れると思ったんだろう」
ルドルフを訝しく思う気持ちは拭えなかった。第一、リヒャルトはローズの居場所を知っているのだ。わざわざ偽物を立てておびき寄せるだなんてまわりっくどくて成功率の低そうな作戦をあのリヒャルトが実行に移すとは思えない。無理矢理捕らえることだってできるのに彼はなぜそれをしないのか。
「全然納得いってない顔だね」
「だって……」
「この説明で君が腑に落ちないのは分かる。俺にも君に伝えられることと伝えられないことがある。立場上ね。しかし今はこれで納得してほしい。俺から伝えたいことはただ一つ、君はしばらく王都へ来ないほうがいいということだ」
少しの沈黙のあと、エヴァはしぶしぶ首を縦に振った。無理矢理言いくるめられている気がするが、もとより王都へ行くつもりはない。
ルドルフは彼女が頷いたのを見て大きなため息をついた。安心したのか、彼はエヴァに新たな情報をくれた。
「リヒャルト・ブラバントの捜査権限が無くなる3日後に第1回目の公聴会が開かれることになった」
「公聴会とはどんなことをするのですか?」
「初めは基本的な質問ばかりさ。身元の確認と、どういう経緯でレグニッツへ逃げてきたのかを聞く。段階を経たあと、審査が通れば彼女がローズであると正式に認定される」
「正式にローズだと認定されれば、今名乗り出ているローズはどうなるのですか?」
「どうってことはないさ。元王族として丁重に扱われる。噂が噂だからね、もしかするとリヒャルト・ブラバントとの縁談が進むかもしれない」
冗談じゃない。知らない人が自分だと名乗っているのに、今度は勝手に結婚するだなんて。エヴァの顔から血の気が引いていく。
彼女のようすを見たルドルフは不憫に思ったのだろうか、慌てて話題を変えた。
「そういえば公聴会にはルックナー伯爵夫人も出席する」
エヴァの目が見開かれたことに、彼は満足いったようだった。
「やはり知り合いだったか」
「……彼女はなんて?」
「法務局の審査に、全面的に協力すると」
「法務局に……?」
「リヒャルト側に協力すると思ったか?」
「………」
「ウエスト塔の暴動の最中、リヒャルト・ブラバント自らが救い出した御婦人だ。彼女を救うことはリヒャルトが陛下から課された任務のうちのひとつ。つまり、ルックナー伯爵夫人にとってリヒャルトは恩人に当たる。彼は法務局を利用し何かを企んでいると考えられるから、ルックナー伯爵夫人が企みに協力することはあっても、法務局に協力するとは考え難い。そういうことかな?」
その通りだ。考えていたことを当てられて彼女はルドルフを睨みつける。しかし、そんなことをしても彼にはなんのダメージもない。片眉を上げてみせた。
「君は考えていることが顔に出やすい。実に分かりやすくて結構だ」
「ルドルフ様も、お口が達者で大いに結構ですね」
エヴァがツンとそっぽを向いた。ルドルフはそれを見てくすくすと笑う。
「ルックナー伯爵夫人には、自分の知っている真実を話せばいいと伝えている。それが例えリヒャルト・ブラバントに有利になろうと不利になろうと、法務局が求めているのは真実の解明だ」
「…例えば、ルックナー伯爵夫人が嘘の証言をしたら…彼女はどうなりますか?」
「それが嘘であると判明した時点で処される。公聴会で証言する前には、嘘をつかず真実のみ話すことを宣誓させるからな」
「その罪はどれくらい重いのですか?」
「我が国は法を重んじているからね。少なくとも伯爵夫人ではいられなくなるだろう」
「……そうですか」
「心配することはない。ルックナー伯爵夫妻はとても仲睦まじいと有名だから。彼女が夫の名誉を傷つけるようなことはしないだろう」
エヴァは力なく「そうですね」と答えた。
ルドルフはエヴァの態度になにかしら思うところがあったのだろう。公聴会が終われば、夫人をこの町にこっそり連れてきてあげようとエヴァに約束した。
ルドルフは帰る間際まで「絶対に王都に来てはいけない」と繰り返し忠告した。
彼を見送ると、使った食器を持ってキッチンに向かう。洗い物をしていても、頭に浮かぶのはルックナー伯爵夫人、フランソワーズ・ルックナーのことだ。最後に目にした彼女の姿が思い出された。冷静な彼女が泣きじゃくりながらローズの名前を叫んでいた。ローズはそれを振り切って彼女に背を向けた。
手が滑り泡のついたカップが流し台へと落ちた。幸い食器は割れなかったが、大きな音がしてミュシェさんがようすを見に来た。
「エヴァ、顔が真っ青よ」
「……すみません。考えごとをしていて」
ミュシェさんは泡だらけのエヴァの手を水で流してやり、タオルを手に取るとそれでエヴァの手を包んだ。肌触りの良いタオルを使って手を拭う。昔は皺ひとつ、カサつきひとつなかったのに指先にささくれができている。ぎゅっと握りこぶしを作った。複雑な感情が込み上げてくる。胸の奥にツンとした痛みが走り、涙腺が刺激される。涙を零さないように眉間に力を入れると、皺が寄った部分をミュシェさんが指先でツンと押した。それがきっかけとなってエヴァの目から涙がポロポロと溢れてくる。不安は限界点に達した。
フランソワーズがローズのために公聴会で嘘の証言をし、偽のローズを本物であると認定させる役割を自ら引き受けるかもしれない。酷いことをしたローズのことなどどうでもよくなって、本当のことを包み隠さず話してくれるならそれはそれで良いいのだ。最も恐れることはフランソワーズが嘘をつき、それがバレて彼女が罪に問われること。
ルドルフはフランソワーズがどれほど優しい人なのかを知らず、ローズはフランソワーズがどれほど優しい人なのかを知っている。そしてフランソワーズは、ローズがどれほど自由に憧れていたのかを知っている。ーーリヒャルト・ブラバントも。
ミュシェさんはエヴァの顔を大きな2つの手のひらで包んだ。厚みのある親指の腹で流れる涙を拭ってくれる。
たまらなくなってエヴァが彼女に抱きつくと、優しく抱きしめ返される。
「私は王都にいかなければなりません」
「行くなと、店先であの坊っちゃんに言われていたのに?」
ミュシェさんの肩に頬を寄せた。慰められると余計に涙が溢れてくるのはなぜだろう。
「ミュシェさんにずっと言いたかったことがあります」
「……なあに?」
エヴァは強く瞼を閉じた。覚悟は決まった。
「私はエヴァではありません。本当の名前は、ローズ・マシェルバと言います」
消え入りそうな声だったけれど、懺悔はミュシェさんの耳にしっかりと届いた。彼女は何も言わずに、より強くエヴァを抱き寄せ、頭を何度も撫でた。エヴァは声を上げて泣いた。
次から回想です




