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リヒャルトは思い出の共有を所望す

エヴァはリヒャルトと目を合わせた。

見れば見るほど不思議な色合いの瞳をしている。これがリヒャルトでなければ、そのままぼんやりと眺めて過ごしてもいいなと思えた。


リヒャルトもまた、エヴァをじっと観察していた。目、鼻、唇、耳の形。パーツの一つひとつを丁寧に見つめられる。先ほどの質疑応答ではまったく興味がないような素振りを見せたくせに。エヴァは覚悟を決めて口を開く。


「人違いやなかと?」

「人違いであるはずがない」

「私はエヴァって言うとるっちゃがぁ。ローズって人は知らんね」


回らない頭を必死に回転させた結果、エヴァはごまかし戦法・方言作戦を始動させることにした。方言は昔お世話になった料理人・ボルヘスの地方のものを真似てみる。ボルヘスが彼の妻のエルサと話すとき、ほんの少しだけ漏らした言葉を聞き取ったレベルだが、その方言で喋るボルヘスが可愛くて大好きだった。本人は若い頃に方言で苦労した結果寡黙になったため、コンプレックスを感じているようだけど。


「本当に知らないのか?君の故郷の姫だぞ」

「知らんとよ。私は田舎の出やけんねぇ、姫のこともレグニッツに来てから聞いたっちゃがー」

「方言でごまかしても無駄だ」


エヴァは顎をツンと上げてそっぽを向く。


「知らんもんは知らん!」


リヒャルトは真剣な表情を崩さず、握りしめた彼女の手に少しだけ力を込める。


「ここへ連れて来られる女性には、目的やローズ姫のことを前もって説明しているはずだ。知らないという言い訳は厳しいのではないか?」

「そんなん言われても、私は無理やり連れてこられたっちゃが。兵隊さんがローズ姫っていう人を探しとるってことしか知らんもん」


そろそろ方言が厳しくなってきた。どういう言い回しが正解なのかエヴァにはまったく分からない。完全にニュアンスで話しているため、間違って標準語になるのも時間の問題だ。


「無理やり連れて来た者に褒美を与えなければ。こうやって本物を連れてきたのだから」


リヒャルトはエヴァのひとつに結んだ髪のサイドから溢れる後れ毛を軽く摘んだ。節立つ指先で彼女の髪をくるくるといじりながら、随分と余裕な様子だ。


「てげしつこいが!本物と違いますって」


エヴァはリヒャルトの手を振り払った。リヒャルトは振り払われた手をわずかに見たあと、今度は彼女の腰に腕を回しエヴァと目を合わせてにっこり笑った。


「いい加減認めたらどうだ?さもなければ、もっとひどい目に遭わせる」


彼は極めて紳士的な仕草で、流れるようにエヴァを椅子までエスコートする。ずっと見つめられたままだったエヴァは、なぜか抵抗が出来ないまますとんとその椅子に座ってしまった。有無を言わせない何かを感じたのだ。


エヴァを椅子に座らせると、リヒャルトはその場で彼女のおとがいを自分の指の腹で何度も撫でた。そのまま顎を優しく摘み、下唇をゆっくりと触る。


「違うって言ってますよね、さっきから」


エヴァはようやく我に返った。抵抗しなければ、と強く思う。


「その声を俺が覚えていないとでも?随分とナメられたものだ」


リヒャルトは心底楽しそうに笑った。美形が笑うと恐怖を感じる。けれどここで折れてしまってはだめだ。自分の命がかかっているんだもの。


椅子に座ったあとも、エヴァは「自分はローズではない」という主張を繰り返した。けれどリヒャルトにはまともに取り合ってもらえない。彼は自分の記憶に残るローズの声に確固たる自信があるようで、エヴァのすぐ隣りに自分の椅子を引き寄せてそこに座ると、エヴァの話を受け流しながら、決して彼女から目を逸らすことなく、彼女を鑑賞するかのように見つめている。ときどきは長い腕を伸ばし、エヴァのポニーテールに手を伸ばして遊んでいた。


「たくさん喋って疲れただろう。紅茶でも飲まないか?冷める前に飲むといい」

「………」

「ローズは紅茶がとても好きでね、よく俺に手ずから飲ませてくれた」


リヒャルトは周りの近衛兵に聞かせるように思い出を語った。近衛兵はそれを聞き、口笛を吹いて2人の仲を囃し立てたり、驚きの表情を浮かべたり、無関心を装ったりしている。エヴァは否定したくて仕方なかった。あれはリヒャルトの手が拘束されているにも関わらず、紅茶が飲みたいと要求してくるからその願いを叶えただけだというのに。まるで彼女が進んでリヒャルトに紅茶を飲ませたような言い方をして!


反論したくなるのを必死で堪えた。これは罠に違いない。


「コーヒー派なので」


エヴァはリヒャルトの誘いを断った。彼はエヴァの返事を聞いて片眉を上げ、足を組み、軽く咳払いをした。


「喉は渇いていないらしいな。では腹は減っていないか?すぐに用意させる」

「いらないです」

「そう言わずに。レグニッツで何かを美味いものは食べたか?君はクロワッサンが好きだったろう?ブランジェリー・アッシュには行ってみたか?」


行こうとしたけれど、誰かさんのせいで行けなかったんですよね。誰かさんのせいで!


エヴァはまたもや言葉を飲み込んだ。できる限りしらっとした表情を浮かべて、早く帰りたいアピールをする。


「だから、私はローズ姫じゃないから、クロワッサンも好きじゃないです。ただの国を失った平民。姫様じゃないから食べたいものを食べたいときに食べる余裕はありません。仕事があるので早く返してほしいっちゃが」



迷惑そうな彼女に対して、リヒャルトが諦めた様子は見られない。


彼はポケットから絹の布を取り出し、エヴァの目の前に掲げて見せた。


「これがなんだか分かるか」

「……知りません」


本当はなんだかよく分かる。


「君はこれで、よく俺を縛った」


だから言い方!語弊がある。語弊がありすぎる。

そう反論したくなる気持ちをぐっと堪える。挑発しようたってそうはいかない。リヒャルトはうっとりと意味深に絹の布を見つめる。2人を囲む近衛兵のうち、赤ら顔になる比率が増えていく。


「忘れられない思い出だ」

「………」

「あんなに素晴らしいひと時を覚えているのが、俺だけとは忍びない」

「………」

「同じことをすれば、君も思い出すだろうか」



リヒャルトはエヴァに顔を近づけると、彼女の頭に腕を回した。同時に、エヴァの視界も塞がれた。



■■



王宮の長い廊下を、ルドルフは必死に走っていた。


時を遡ること20分ほど前、仕事の話を終えてエヴァが先に待っているであろう応接室に入った彼は、そこにいるのが王妃付きの侍女のみであることを知り、動揺した。


「急遽こちらに来てもらって申し訳ありません」


ドアが開いたとたん、侍女はソファから起き上がりすぐにお詫びのお辞儀をした。顔を上げ、そこに立っているのが社交界で有名な大公のご令息であることに気づいた彼女は、頭にハテナを浮かべながら彼を迎え入れる。


「ここに金髪の女性は来なかったか?歳は18から20くらいで、透き通った肌にぱっちりとした琥珀色の瞳が美しい女だ」

「来ておりませんわ。……さてはこの応接室を逢引に使おうとしましたね。いくらツヴァイク様のご令息とはいえ、王妃様の応接室をそのように使うことは!」


侍女は何か勘違いをしているようだ。詰め寄る侍女に、ルドルフは慌てて自己弁明し、持っていた大きな鞄を差し出した。


「ちがう!その女性が君にドレスの修理を依頼されたと言っていたから連れてきたのだ。途中で仕事の用事が入ったので、先にこの応接室に入っているように伝えた。しかし戻ってみると君しかいなくて」


強引に鞄を渡された侍女がそろりと鞄を開く。中には確かに、自分が依頼したドレスが入っている。裾の部分を引っ張り出してみると、ボロボロになっていた刺繍が見事に復元されてキラキラと輝いている。その完璧な仕上がりに侍女はうっとりした。


「さすがミュシェ・スミルノワの店だわ。あの複雑なマシェルバの伝統刺繍をこうも完璧に直してしまうなんて」


侍女は見てみろと言わんばかりに刺繍が施された箇所を広げ、ルドルフに見せた。ルドルフはそんなことより応接室から飛び出してエヴァを探しに行きたかったが、淑女を蔑ろにするべきではないと教育を受けている本能が彼をその場に立ちとどまらせた。


刺繍は確かに美しかった。モチーフはおそらく植物に由来すると思われる。金と銀の糸を巧みに組み合わせた微に入り細を穿つ技は、限られた人物にしか受け継がれず、マシェルバが滅んだことによって今後は再現することさえ難しくなっていくのだと侍女は熱心に教えてくれた。


「ミュシェの店とはそれなりに長く付き合っているが、それほど難しい刺繍を扱っていることは初めて聞いた」

「私もつい最近知ったのです。ミュシェの店でお針子として雇っている娘がマシェルバ出身なのだそうですわ」



その娘は、おそらくエヴァのことだろう。

ルドルフは妙な胸騒ぎがした。エヴァはマシェルバから来たことをルドルフには一言も言わなかった。金髪であることを隠し、兵士を嫌がり、英雄になど絶対に会いたくないと断言した。

限られた伝統刺繍の技を受け継いでいる、マシェルバから来た金髪の美しい娘。田舎から来たにしては所作が洗練されすぎていた。少なくとも、マナーに厳しい自分の叔母がごくわずかな時間で気にいるほどには。



何度も聴取を受けているから迷惑していると、彼女は心底嫌そうに語っていた。それは確かに本音のように思える。しかし、その本音に別の真実を隠してたとしたら。


「……近衛は今日も尋問を行っているか?」

「ここのところ毎日行っていますわ。若い娘たちにとっては最早選ばれることがステータスのような場になっています」


ルドルフは勢いよく応接室を飛び出した。



こういうときの勘は良いほうだと思う。

息を切らせながらルドルフは走った。珍しく取り乱しているのは、王宮に連れてきたことへの罪悪感だろうか。

馬車の窓から興味深そうに城下町を覗くエヴァの姿が目に浮かんだ。クロワッサンを食べてみたいと、おずおずと切り出す姿を愛らしいと思った。



彼が近衛の詰め所に到着したころ、金髪の女性は一人もおらず、女性たちの控室と思われる場所はがらんどうとしていた。たくさんの鏡の前には化粧道具やブラシが並んでいて、おそらく下っ端と思われる近衛兵がそれを片付けているところだった。


「今日の尋問は終わったのか?」


ルドルフは近くいた近衛兵に話しかけた。近衛兵は自分に話しかけたのがルドルフ・ツヴァイクであると気づき、礼儀正しく敬礼する。


「はい。今日の尋問は先ほど終わりまして、解散となりました」

「私の連れが間違えて近衛兵に連れていかれたらしい。ずっと待っているのだが、なかなか戻ってこなくてね。迎えにきたんだ」

「では入れ違いになったのかもしれませんね」


そう言うと近衛兵は自分の仕事に戻った。椅子はあらかた片付け終わり、今度はずらりと並ぶ鏡を取り外しているところだ。その作業をぼんやりと眺めていたルドルフは、再び近衛兵に尋ねた。


「金髪の娘を集めた尋問はこのところ毎日行われ、もはや名物スポットになっていると聞いた」

「名物スポット!たしかに若い娘にとってはそうかもしれませんね。団長を間近で拝むことができるまたとない機会ですので」


若い近衛兵は手を止めることなく、テキパキと作業を続けている。1枚目の鏡を剥がし終えた彼は、2枚目に取り掛かった。


「毎日行われるのに、毎回そのように鏡まで片付けてしまうのか?随分と非効率ではないか?」

「いや、尋問は今日で終わったんで……」

「馬鹿!それはまた極秘で……」


若い近衛兵は、しまった!という表情を浮かべて作業の手を止めた。途中で話を遮った同僚の近衛兵がルドルフの元へと近づいてくる。


「いっ、一定数の金髪の娘の確認が終わったため、尋問ではなく次のフェーズに入ることになったのです」

「ローズ姫が本日見つかったので、明日から大人数の娘を招集する必要がなくなり控室を解体している、そういう訳では断じてないと、そう主張するのか?」

「おっしゃるとおりです」

「法務局に勤めている私に嘘をついてもいいのか?」

「嘘ではありません。団長からの指示です」


この近衛兵はなかなか肝が据わっているようだ。ルドルフは彼から目を離し、控室一体を見渡してみる。部屋に残っている近衛兵は合計で8人。部屋の大きさを考えると、後片付けの人員としてはやや多すぎる。


「では、団長に直接確認する。リヒャルト・ブラバントはどこに?」

「団長は別件で内務局へと向かわれました」


ふうん、とルドルフはわざとらしく返事をした。対応している近衛兵の額に汗が浮かぶ。


「ところで」


ルドルフは足を進めた。そしてにっこりと笑顔を作った。


「尋問室っていうのはこの奥かい?一度見てみたかったんだ。開けてくれるかな?」


ルドルフが進んだ先には近衛兵が2人配置されており、その奥にはドアがあった。この2人は先ほどから片付け作業にも参加せずにこのドアの前で立っているだけ。まるでそれが彼らの仕事のように。



「なりません」

「なぜ?」

「ここには団長が許可した者以外は入れないのです」

「内部監査ってやつさ。法務局が陛下から認められた権利だ」

「……」

「団長と陛下、どちらが偉いのだろうね」



ルドルフは笑顔を崩さずにドアの番をする近衛兵へ話しかけた。本当は内部監査の権利などルドルフにはない。一か八かの賭けである。


彼の態度に近衛兵は怯んだ。その隙をルドルフは見逃さない。2人の男の間を割って入ると、ドアノブを回して強引に押した。途中、なにか重いものにドアがぶつかった気がしたが、気にせずそのまま押し通した。


尋問室に入ったルドルフの目に飛び込んできたのは、2脚の並んだ椅子に座る男女だった。

男が女の口元にティーカップを持っていき、彼女にそれを飲ませようとしている。男が上機嫌そうなので一見仲睦まじいように見えるが、女は目隠しをされている。そしてそのようすを多くの近衛兵が取り囲んで見ていた。


ルドルフは男のほうに話しかけた。


「リヒャルト・ブラバント、君の嗜好や性癖に口を挟むつもりはない。しかし念の為に聞いておく。この状況、女性の合意を得ているのか?」


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