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短編(過去作)

息が出来ない

作者: あさろ

高校生時代に書いたものを、一部修正したものです。

 「ヨウちゃん、その固そうなマスクどうしたの?」


 マナは丸い目をさらに丸くして言った。

 誤魔化そうとも考えたが、良い言い訳が思い浮かばない。素直に言おうか。


 「息が出来なくなった」


 ーー後天性無呼吸症候群。

 ガスマスクと酸素ボンベで呼吸を補助しなくては生きていけないの病気。食事はもちろん流動食で、普通に喋ることは出きるが、運動など過度に身体を動かす行為は控えなければいけないらしい。

 そう医者に言われた。

 それが昨日のこと。

 近年増えているこの病気は、唐突に発症し、また唐突に完治する。原因も特効薬もまだ分かってない。だから、発症してしまったが最後、後は天に奇跡を祈るだけだ。

 話を聞いた彼女は、やはり目を丸くしただけで、特に目立った反応はなかった。混乱しているのだろう。当然だ。昨日まで普通だった友人が、翌日急にガスマスクを着けて来るなど。想像だにしなかっただろう。

 僕もだ。


「ヨウちゃん」

「なに?」

「まだ息苦しいままなの?」


 * * *


 灰色の空、今日は雨だと言っていた。

 小さい頃からの友人であるマナが、傘を忘れたと嘆いているのを背中で聞きながら帰路につく。どうせ付いてくるだろうと思ったし、実際にその通りになった。大きめの僕の傘にマナが入ってくる。彼女は小柄なので苦ではなかった。

 しかし、それがマナにとって良くないことだと解っていた。こんな常日頃からマスクを着けていないと生きられないような男なんかと一緒にいれば、周りはどんな目で彼女を見るだろう。頭のおかしな子か、はたまたこんな幼馴染さえ見捨てられないお人よしか。どちらにせよ、そんなことは許せなかった。


「今日は一人で帰れ」


 少しトゲのある言い方だが、これで良いのだと思う。

 彼女まで息が出来なくなるよりは、ずっと良い。


「なんで? 一緒に帰ろう」

「嫌」


 そう言うと、マナは困ったように眉を下げた。

 いつもそうだった。こいつは僕が嘘を吐くと決まって、自分のことのように焦ったり、戸惑ったり、困ったりする。咎めることもないし、騙されることもない。それが嘘と分かった上で、困ったように振る舞うだけだ。

 反吐が出る。僕には彼女のその行為が嫌みにしか見えなかった。同情など、ただの偽善だ。

 この病気になってから、周りの人間は口を揃えて言った。「息できる?」、「大丈夫?」、「苦しくなったら言うんだよ?」、「遠慮しなくていいからね?」。みんな等しく、そう言った。肉親は心の底から心配そうに、他人は『本当は迷惑です』と書いた顔でそう言った。

 気が狂いそうになる。

 心配なら離れてくれ。迷惑なら近づかないでくれ。善意も悪意も何もかも、今の自分には凶器のように思えた。


「ヨウちゃん」


 ふいにマナが僕の顔を覗き込んだ。


「なにがそんなに苦しいの?」

「マナには分からない」

「うん。分からないよ」


 そう言うと、彼女は僕の傘から一歩出た。

 まだ止まない雨が彼女の髪を湿らせる。慌てて彼女に傘を差しだした。急いだけれど、髪には雨粒が残って、きらきらと宝石のように輝いている。


「ちっとも分からない。貴方には世界がどう見えてるの?」


 じっと見上げるその瞳に吸い込まれそうになる。まっすぐと、心を縫い付けるように向けられる視線は、純真で怖かった。


「世界は汚い。色んな悪意とか駆け引きとか、そういうのはもう疲れた」

「ヨウちゃんはさ、目立つ所しか見ないんだね。もっとよく見なよ。世界はこんなにも綺麗だよ」


 髪を伝って流れた雨が、制服の肩口にぽたりと落ちる。その雫が制服に染み込む様子を僕は静かに見ていた。

 まるで世界のようだ。

 その小さくても確かな一滴が、段々彼女に浸食していく。意図しなくても、身に降りかかったそれは、じわじわと侵食する。悪意も駆け引きも、知らぬ間に自分はその中心に立ってしまう。もしくは中心でない場所など、この世界のどこにもないのかもしれない。

 彼女にはそんな世界知ってほしくない。自分のエゴかもしれない。それでも、彼女には綺麗なままでいてほしい。勘違いでも良いから、世界を希望で満たして欲しい。


「ヨウちゃんは私を傘に入れてくれた」

「うん」

「狭くなっちゃうし、ちょっと濡れちゃうかもしれないのに」

「うん」

「それでも、入れてくれたよね。ありがとう」

「いいよ」


 笑顔を見せるマナは、子どもの頃と変わらない。ずっと綺麗なままだ。

 まるで僕とは違う世界にいるみたいだ。


「ほら、世界は優しいよ」


 そうだったら、いいな。


「貴方が私にしてくれたように、みんな貴方に優しくしてくれる」


 僕はそれが嘘だと知っていた。

 知っていた。

 同情なんて言葉で、人間は正当化されない。僕はひそひそと影で笑う声をいくつも聞いてきた。あいつは気持ち悪いとか、あいつは頭がおかしいとか。ただ病気になっただけ、ただ少し他人と違うだけ。そんな些細なことで、人は人を区別する。

 だから、もう良い。これ以上、失望したくない。


「見えてる振りなんかしないで」


 マナは少し怒ったように言った。


「ヨウちゃんが休んでる間のノート取ったの私じゃないよ」

「え?」


 丁寧にまとめられていたノートを思い出す。

 続けて言った、係も委員も全部クラスメイトみんなで手分けしてしたのだと。ろくに話したこともないのに。なぜ?

 否、その答えは分かっていた。


「知らない振りなんてしないで。本当は分かってるよね。貴方は息辛くなんてない、生きづらいことを何かのせいにしないで」


 マナはゆっくり優しく、マスクを取った。

 呼吸は出来た。出来たのだと思う。息の仕方なんて分からなかったけれど、息苦しいのは変わらないけど、それでも出来たのだと思いたい。

 マナは静かに笑った。

 雨はいつの間にか上がっていて、灰色の空には虹がかかっている。

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