お取り込み
グレイフールの裏路地というものは、単純に商店などが立ち並ぶ裏側を意味する言葉ではなく、それそのものが、町の裏側に存在するもう一つの町といってよい様相を呈している。
町の裏側と呼ぶには少しばかり広すぎる空間へ、浮浪者などが廃材などを持ち込み、独自の住居を造り上げてしまっているのだ。
何故、そのようなことになっているかといえば、これはグレイフールの歴史に起因する。
かつて、この王都は古式ゆかしい城塞都市であり……。
分厚い城壁の外側には、内側の限られた敷地内に住まうことのかなわなかった浮浪者たちが、やはり、廃材などを用いて独自の集落――バラック街を形成していた。
そこの再開発計画を立ち上げたのが、先代の国王陛下である。
彼は「開かれた王都」という標語のもと、すでに無用の長物と化しつつあった城壁を解体すると共に、王都の拡大へと乗り出した。
すでに産業時代の兆候を迎えつつあった我が国にとって、都市の面積を限定的なものとしてしまう城塞都市は、時代と合わなくなってしまっていたからだ。
そして、生まれたのが、当時はまだグレイフールという俗称のついていなかった歓楽街である。
当時、まだ王都には存在しなかった歓楽街の立ち上げ……。
先代陛下唯一の失策は、その制御に失敗したことだろう。
産声を上げたばかりである夜の町には、いかがわしい者たちが多数終結すると共に、再開発事業によって住む所を追われた浮浪者たちまで駆け込んでしまい……。
気がついた時には、もはや、官憲の力をもってしても排除しがたいほど、複雑で巨大なバラック街が形成されてしまっていたのだ。
それを飲み込む形で歓楽街を造り上げたのは、いわば、苦肉の策であり……。
先代陛下と持たざる者たちとの間で交わされた、暗黙の契約であるともいえる。
余談だが、この際、逃げ込んだ浮浪者たちは、歓楽街立ち上げの計画に関わった有力者たちと結びついており、それが現在における各ファミリーのひな形となっていた。
そういった経緯を持つ裏路地であるから、地図がないのは当然として、どこに誰が住んでいるかは住人同士のつながりでしか分からない。
そんな場所に関して、ある程度のところまでとはいえ、調べを進めているのは、マリアの命を受けた警察の執念であるといえるだろう。
いや、あるいは、王家への忠誠心というべきか……。
マリアには悪いが、アルフォートや女王陛下が彼女の事業に賛同し支援しているのは、この先への布石もあるだろう。
すなわち――歓楽街の再開発計画。
無秩序に肥大化してしまったグレイフールを、王家の名が下、今一度、整然とした秩序ある町へ生まれ変わらせたいに違いない。
そうすることで、現在はミラーのような人間たちへ流れている金の正常化を図り、正しく国益へ還元されるようにしたいのだろう。
もっとも、裏社会の人間たちがそれを素直に受け入れるとも、思えないが……。
まあ、そのようなことは、今日の私が考えることではない。
明後日よりも明日、明日よりも今日。
そんな、グレイフール特有の考え方が、この二年で私にも染み付いていた。
と、いうわけで、今日すべきことを成すために、私はエイマたちが暮らしているらしい裏路地の一角を訪れていたのである。
「お嬢さん、見ない顔だな?
随分と身綺麗な格好をしているが、こんな所に何の用かね?」
いかんせん、おおよその場所しか見当がついていないため、自然、バラックで入り組んだ内部をあてどなく歩くことになった。
そうしている私の姿が珍しいか、あるいは不審だったのだろう……声をかけてきたのは、浮浪者とおぼしき老人である。
「ちょっと、人を探していてね。
知らないかしら?
エイマっていうスリの娘で、親のない子を守って暮らしているんだけど……」
すると、温厚そうな雰囲気すら漂わせていた老人の雰囲気が、一変した。
「あんた、エイマちゃんに何の用だい?」
じろりとこちらを睨みつける目つきは、なかなかの迫力であり……。
その右手は、懐に呑んでいる短剣を意識してか、ぴくりと震える。
まあ、この町で暮らしていれば、こういった人物はさほど珍しくもない。
むしろ、自衛の手段も持たず暮らしている人間の方が少数派……というか、いるのかしら? そんな人。
だが、別に私は彼と喧嘩をしにきたわけではない。
むしろ、守ろうとしている少女が、こんな老人にまで気をかけられるような人物であることを喜びながら、告げた。
「誤解しないで。
私は、彼女のボス――ミラーから、彼女の護衛を頼まれてここへ来たの。
ほら、例の……」
「ああ、黄金ヘンタイ騎士とかいうヘンタイか」
私の言葉に納得したのか、老人が警戒を解く。
……ここで出てくる名前が黄金ヘンタイ騎士でなければ、それなりに絵となる場面なんだけどな。
「そういうことなら、わしらも気を揉んでいたところなんだ。
何しろ、スリとはいえ、エイマちゃんは見どころのある娘だ。
警察に捕まったというならまだしも、そんなヘンタイにまとわりつかれているっていうんじゃ、何とかしてやりたい」
「人気者なのね。
まあ、ミラーは自分の手下が困っていて、見逃すような男じゃないわ。
そして、私も、うら若き乙女がヘンタイに狙われていると知って、見過ごすようなタチじゃない……。
そのヘンタイは、私が何とかするから、安心して」
そこまで告げた私は、軽く肩をすくめてみせる。
「まあ、肝心の本人には護衛を拒否されて逃げられたんで、こうして探しているのだけど……」
「はっはっは……。
自立心が強い娘なのさ。
あるいは、他人に助けられるのが我慢ならないのか。
グレイフールの裏路地には、そういう人間が多い。
とはいえ、今回は事が事だ。
意地を張ったあの子が、アブない目にあってからじゃあ、遅いからな。
どれ、あの子たちが暮らしている場所を教えてあげよう」
そう言った老人は、転がっていた木の枝を拾い、地面に地図を書き始めた。
それをしっかりと脳裏に刻みつけた私は、彼に感謝の言葉を残しそちらへ向かったのである。
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辿り着いたエイマたちのねぐらは、どうやらお取り込みの真っ最中であった。
と、いうのも、十代前半に見える少年たちがエイマを取り囲み、睨み合いの様相を呈していたのだ。
「なあ、おい……。
そろそろ、答えを聞かせてくれるか?」
少年たちの装いは、この路地裏で見かけた者たちのそれよりも上等であり、どうやら、浮浪者の類ではないことがうかがえる。
しかしながら、過剰に攻撃的というか、威圧的な派手さを追求したその格好は、カタギの仕事に就いている者のそれでもなく……。
どうやら、いずこかのファミリーに属する者。
それも、下っ端のチンピラであることが想像できた。
どのような組織においてもそうであるが、下っ端ほど、不思議と自己顕示欲がお強いものなのだ。
そんなチンピラたちのリーダーと思わしき少年に問いかけられながら、エイマは一歩も引くことがない。
彼女の背後では、十歳に満たないだろう少女たちが四人ばかり、怯えた様子で抱き合っており……。
その更に背後へ建てられた廃材を使った小屋は、彼女らの住居であると推察できた。
「何度、聞かれても、答えは変わらない……!」
チンピラ少年から目を逸らさず、エイマがきっぱりと言い放つ。
すると、途端に少年たちが殺気づき始め……。
どうやら、ヘンタイ退治以外にも仕事が増えたのだと察せられた。