王立救護院
「やれやれ、困ったものね……」
つぶやきながら、エイマが消えて行ったのとは別の経路で路地裏を脱し、通りに出る。
もはや、彼女がどこにいるかは見当もつかない。
もう一度、ミラーから聞いた彼女の『狩り場』を張り込んでみてもいいが、あの様子だと、今日はもう舞い戻ることがないだろう。
ならば、同じ親なし子たちと暮らしているねぐらを訪ねるのがいいかもしれないが……あいにくと、そちらの場所は聞いていない。
「ミラーに聞いてみてもいいけど、まんまと逃げられた話をあいつにするのは、しゃくね」
――ほおう?
――グレイフールの名探偵様が、たかがスリの小娘に逃げられるなんてな?
……薄い笑みを浮かべながら、嫌味ったらしく言ってくるあいつの姿が、目に浮かぶようだ。
うん、この案はなしね。
別ルートから、探すことにしましょう。
これで、方針は定まった。
定まったが、しかし、方策については一切考えがない。
この町――グレイフールは、広く、深い。
特に、裏路地の入り組み具合たるや、ちょっとした迷宮のごとくであり、何の当てもなく探し続けるのは、現実的ではないだろう。
そして、あまり時間をかけ続けていては、エイマが黄金ヘンタイ騎士の毒牙にかかってしまうかもしれないのである。
拒絶はされたが、私は彼女を救うつもり満々だ。
もはや、ミラーからの依頼は関係ない。
私がそうすると決めたことであり、そして、私は今までこうすると決めたことは、必ずやり遂げてきたのである。
と、いうわけで、何か手がかりになるものはないかしら……。
そんなことを考えながら、グレイフールに存在する通りの一つを練り歩く。
グレイフールといえば夜の町であるが、この三番通り出口付近は比較的、昼に営業している店が多い。
大通りへの接続部分であるため、通行客を目当てにしての商店や飲食店が開かれているのだ。
「お、ザビーちゃんじゃないか?
今日はまだ、新聞買ってないだろう?
一部、どうだい?」
レンガ造りの建物が両脇に並ぶ中を、大勢の通行人にまぎれながら歩いていると、ふと、声をかけられる。
声の主は、荷車をそのまま即席の店舗とし、道行く人々に新聞を売っていた。
グレイフールの新聞売り――ダイソンさんだ。
「ハイ、ダイソンさん。
そうね、一部もらおうかしら」
気分転換と日々の情報収集を兼ねて、新聞を読むのもいいだろう。
禿頭の中年男に硬貨を投げると、彼はそれを見事にキャッチし、荷車から新聞を一部差し出してきた。
「はいよ。
……今日の記事は、ザビーちゃんにも、少しばかり興味深い内容かもな」
「へえ?
それは、ちょっと楽しみね」
言いながら、その場で一面記事に目を通す。
そうして飛び込んできた内容は、なるほど……私にとって、実に興味深い内容だったのである。
「王子の婚約者、ついに念願の救護院を開設!
入院の対象となるのは、現在、王都の問題となっている浮浪児たち、か……。
確かに、興味深い話ね」
この場合、王子というのは、第一王子の死によって、唯一の王位継承者となった人物――アルフォート・エンハンスだ。
私にとっては、かつての婚約者である。
そして、そんな彼が新たに婚約者として選んだ女性のこともまた、よく知っていた。
「元婚約者として、現在の婚約者が上手いことやって人々の尊敬を集めているのは、複雑かい?」
ダイソンさんが、町角の新聞売りには似つかわしくない鋭い眼差しを向けながら、そう尋ねてくる。
「まさか。
昔の学友が夢を叶えていて、誇らしい気分よ」
嘘偽りのない本音で答えながら、記事に書かれた救護院の位置を頭に刻み込む。
この場合……彼女が夢を叶えたのも大切だが、それ以上に重要なのは、救護院の入院対象だ。
あの時、エイマが言っていたこと……。
どうやら、思わぬところでつながってきたわね。
「サンクス、ダイソンさん。
相変わらず、王栄新聞は記事の質が良いわ」
「そう言ってもらえると、俺も嬉しいよ」
手を振りながら立ち去る私に、グレイフールの新聞売り……。
その実、王栄新聞社の社長である人物は、にこやかに手を振り返してきたのであった。
--
――王立救護院。
そう名付けられた建物は、王都の郊外に存在している。
この院を設立した人物の清廉潔白さを表してか、建物は白一色に染め上げられており……。
さすがに、王城ほどとはいかないものの、かなりの大きさを誇る施設内には、相応の児童が入院可能であると思えた。
そんな救済施設の前に群がっているのは、このような場所にはふさわしくない人物たちである。
例えば、新聞記者……。
まあ、彼らに関してはまだいい。
王子の婚約者が、血税を投じてどのような施設を開いたか、報道する義務というものもあるだろう。
しかしながら、その他の市民たち……。
どう見ても、単なる野次馬にしか思えない彼ら彼女らときたら。
この救護院は、恵まれない立場にある子供たちを集め、パンと清潔な衣服、寝る場所……。
そして、何より教育を与えるために建てられた施設である。
どう見てもそれらの足りている人間たちが、面白半分に訪れて良いような場所ではなかった。
それは、私個人の感想というわけではなく、施設の開設者にとっても同じ思いであったらしい。
「新聞などの取材に関しては、王宮へ正式な申し込みをした上で、指定の時刻と場所でお願いします。
また、それ以外の皆様におかれましては、どうか、本施設の理念をご理解頂いた上で、お引き取り願います」
そう言って、王子の婚約者という立場でありながら頭を下げる女性は――美しい。
例えるなら、街の片隅で誰にも知られず咲く花のような……。
無償の愛というものを、人間の形に押し込めたような雰囲気がある人物なのだ。
野次馬たちとは、離れた所からこれを眺めていた私であるが……。
向けられる視線に気づいたのだろう、野次馬たちを説得していた女性が、ふと、こちらを見やる。
そして、一瞬だけ浮かんだ表情は、驚愕。
次いで、ほほ笑みが生まれた。
幸いにして、記者たちや野次馬たちがこれに気づいた様子はない。
以前の――二年前の彼女であれば、もっと大げさに驚いてしまい、結果として、記者たちにそこを突かれていたかもしれなかった。
今の彼女は、当時とは比べ物にならないくらい隙がないし、所作の一つ一つも随分と洗練されたように感じる。
王子の婚約者として、不足なし。
かつて、その立場にいた私が、太鼓判を押せる成長ぶりだった。
そんな彼女の説得を受け、ようやくにも納得した野次馬や記者たちが解散し出す。
それによって、ようやく一息をつけたその女性が、今度はハッキリとこちらに視線を向ける。
亜麻色の髪を風になびかせながら、私に向けて手を振ってくる人物……。
彼女の名は――マリア。
現在、王子と婚約している人物であり……。
そして、かつては私と学友だった女性である。




