逃走
「助けがいらないって、どういうこと……?」
昼なお薄暗い、グレイフールの路地裏……。
そこで私は、スリ師の少女にそう問いかける。
いや、見ず知らずの他人から助けると言われて、そうですか、ありがとうとならない気持ちは分かる。
だが、私は他ならぬミラーの依頼で彼女に接触しているのだ。
最初に口を開いた時、彼女自身がそう言ったように、エイマはミラー組の庇護下にある。
裏社会というのは、案外、厳密なものであり、ファミリーの許可を得ずにシマ内で悪事を働けば、時に司法のそれよりも厳しい裁きを受けることとなるのだ。
故に、ミラーから通達が行ってなかったとはいえ、彼女が私の提案を一蹴することはあり得ないのである。
それは、自分の『親』であるミラーの顔に、泥を塗る行為なのだから……。
「最初に言った通り、私はミラーからの依頼で来ているの。
それを断るのが、どういう意味か、分からないわけではないでしょう?」
そう聞くと、裏社会では大先輩にあたる少女は、ぐっと口を引き結ぶ。
「……ミラーさんには、わたしから直接、説明します。
あなたに迷惑が及ぶようなことは、ありません」
しかし、すぐにそう言ったのである。
いや、別に私のことはどうだっていいんだけどな。
ともかく、護衛対象本人から、これを断られた。
通常ならば、それで話は終わりである。
ミラーの性格から考えても、エイマに咎がいくようなことはないだろう。そもそも、本人に断りなく私を寄越しているわけだし。
だが――黄金ヘンタイ騎士。
話に聞くだけでもおぞましいヘンタイから狙われている少女を見過ごすなど、ゼクトマイヤー家の令嬢としてあり得る判断ではなかった。
「そう……意固地なのね。
でも、そんなヘンタイに狙われている女の子を見捨てるなんて、私には出来ないわ。
そもそも、どうして私に守られるのが嫌なの?」
だから、そう言ってなおも食い下がったのである。
エイマは……スリ師の少女は、じっと私の顔を見上げた。
そして、しばらくそうした後、ようやくにも口を開いたのである。
「あなたのこと、知ってます……。
元々は大貴族の令嬢で、今は色々とあって、この町で探偵をやっているんですよね?」
「あら、私もなかなか名が売れてきたわね。
そう、私こそ、元貴族の令嬢で、今は探偵をやっている者よ。
名前はザビー。よろしく。
……この名前、忘れられなくしてあげる」
「ザビーさんは、有名ですから。
例えば、ホルゾンさんの店でデカ盛りフィッシュアンドチップス五キロを完食したとか」
「ごめん、それは今すぐ忘れてくれてもいいわ」
あの苦しい戦いのことは、今でも忘れない。
ホルゾンさんの、デカ盛りフィッシュアンドチップス……。
狂気しか感じられない盛りっぷりと、フライドポテトの山へ卑劣にも隠されていたチキンは、伝説として語り継がれることだろう。
でも、それを完食したのが私であることは、今すぐ全人類の記憶から消えてくれていい。
「フードファイターとしてだけでなく――」
「――そんなしょうもないファイターになった覚えはないわよ」
「……探偵としての噂も、色々と聞いてます。
ご活躍、されているんですね?」
「まあね」
エイマにそう言われ、自慢の胸を張ってみせた。
この二年間……私がグレイフールで解決してきた事件は、多岐に渡る。
当初こそ、元貴族令嬢という出自から、攻撃的になる者や無視を決め込む者も数多くいたが、今では、友好的な住人も数多い。
だが……どうも、エイマは、いまだ存在する私に対して非友好的な住人の一人であるようだった。
その証拠に、彼女は意を決した様子でこう言ってきたのである。
「……気分、いいですか?」
「え?」
「元々、恵まれた生まれで……家が取り潰されたとはいえ、今もこうしてこのグレイフールで有名になって、今度はわたしを助けると言っている……。
強い人の立場から、弱い人間に手を差し伸べるのは、そんなに気持ちいいですか?」
「気持ちいいか、って言われても……」
こちとら、食うために……そして、悪役令嬢が如く成り上がるために、毎日、必死こいで駆けずり回っているのだ。
気分がいいとか悪いとかは、正直いって、考えの埒外である。
しかし、どうやら、エイマにとってそれは、極めて重要な事項のようであった。
「あなたたちは、いっつもそうです……。
恵まれた立場にあぐらをかいて、気まぐれで弱い人間に手を差し伸べて……。
それで、良いことをした気になってる。正しいことをした気になってる。
わたしから、家族を奪うのが、親切だと思ってる……!」
そう言うや、否や……。
脱兎のごとき勢いで、彼女が私の脇を駆け出す。
「ちょ、待ちなさい――」
まだ、話は終わっていない。
何が気に入らないのかはよく分からないが、言いたい放題に言われて済ませるなど、私の矜持が許さなかった。
それに、エイマは今、恐るべき変質者――黄金ヘンタイ騎士に狙われているのだ。
今のところ、件のヘンタイはただ気色悪い行為をするだけに留まっている。
だが、それがエスカレートしていった先、取り返しのつかない事態となる可能性は、憂慮しなければならなかった。
だから、私もエイマを追って駆け出す。
駆け出したの、だが……。
「ちょ、足速……!」
さすが、ここグレイフールでスリ師としてならしてきただけのことはあると、いうべきか……。
エイマの走力は予想以上のものであり、なかなか追いつくことができない。
しかも、彼女は時に壁を乗り越え、時にゴミの入ったバケツをこちらへ引っくり返し、容易には追いつけないようにしてくるのだ。
「くぬっ!
なにくそ……!」
だが、こっちも二年間、この町で探偵を営んできているのだ。
そうやすやすと逃げおおせられるようでは、事件解決などままならない。
壁を乗り越え、バケツは飛び越え、入り組んだ路地裏の中をがむしゃらに追いかけ続けた。
「もう逃げられないわよ!」
そうして、徐々に互いの距離を詰め、建物と建物の間に存在する狭い空間でついに手が届く距離へ至ったのだが……。
「……あ、あら?」
そこで、異変に気付く。
前後を挟み込む形で存在する、建物の壁……。
それはどうやら、向こう側へ行くに連れてさらに狭まっていたらしく……。
結論として、私は胸とお尻がつっかえ、ここから先へ進むことがかなわなくなってしまったのである。
――し、しまったあ!
対して、色んな意味で私より小柄なエイマは、狭い空間の中を苦も無くすり抜け、向こう側へと行ってしまう。
そして、一度だけこちらを振り返った後……。
ふいと顔を背け、歩き去ってしまったのだ。
「に、逃げられた……」
壁と壁に挟まれながら、がく然とつぶやく。
まさか、十三歳の娘にしてやられるとは……。
ザビー、一生の不覚であった。




