スリ師エイマ
いかにグレイフールが王都一の歓楽街であるといっても、当然ながら、昼には昼なりの顔が存在する。
酒場や娼館は一部を除いて営業準備中であり、この町が最も活気づく時間――夜に向けて、力を蓄えているのだ。
従って、昼間のここは比較的に治安が良く、目抜き通りへと接続されていることもあって、通りには通行人や馬車がひっきりなしに往来していた。
言ってしまえば、人間によって構成された海であり……。
そのような海の中を潜り、糧を得る人種からしてみれば、絶好の漁場であるといえる。
そう……例えば。
目の前で、スリを働こうとしている少女のような。
まず、見事なのは気配の消し方だろう。
ボロボロのトレンチコートにハンチング帽という、目立たない格好に助けられているというのもあるが、多数の人が行き交う中で埋没しきるというのは、間違いなく磨き抜かれた技術である。
そして――その手さばきといったら。
彼女は人混みの中、両手をコートのポケットに突っ込みながら歩いているわけだが、とある紳士とすれ違った瞬間、その手が一瞬だけ引き抜かれた。
引き抜かれて――戻る。
……私の目には、そうとしか映らない。
だが、間違いなく彼女はこの一瞬で、収穫を得ているはずだった。
その証拠として、決して足早になることはなく、ゆっくりとではあるが……しかし、着実に通りを外れ、裏路地へと向かっているのだ。
おそらくは――今、スリ取ったであろう財布の中身を確認するために。
そして、何も気づかなかった哀れな紳士は、後で財布を取り出そうとした時、それがなくなっていることへ気づくのだ。
多分だけど、スられたとは思わず、どこかで落としたものと考えるんじゃないだろうか?
まさに――神技。
あらかじめ、彼女の人相と縄張りを聞いた上で見張っていなければ、決してそうだと気づくことはできない。
それが、スリ師――エイマの実力なのだった。
私自身も人混みを離れ、彼女が姿を消した裏路地へと入り込んでいく。
そして、足音を消しながら歩き、推察通りに戦果の確認をしていた背中へ声をかけた。
「見事なものね。
ずっと見ていたけど、結局、何をどうしたのか全く分からなかったわ」
瞬間、トレンチコートに包まれた彼女の背がびくりと震える。
震えた、が……すぐに落ち着きを取り戻したのか、ゆっくりとこちらを振り返った。
そうして明らかになった彼女の顔立ちは、私と傾向こそ異なるものの、なるほど、かなりの美少女だ。
食べるものが貧しいからか、聞いていた年齢以上に小柄な体躯をしており、ともすれば少年のようにも見える。
しかしながら、ハンチング帽の下に隠れた黒髪は腰の辺りまで伸ばされており、それが、彼女に女の子としての魅力を付与していた。
顔立ちは、さながら子犬。
愛くるしく、どこまでも優しげな造作で……それでいて、やや臆病そうに思える。
これが男性なら――というか、同性の私でも庇護欲を刺激される少女であり、ミラーがわざわざ依頼してきたのもうなずけた。
それが、問題の護衛対象――スリ師エイマという少女である。
そんなスリ師の少女が、ゆっくりと口を開く。
「あの、こっち側の人ですか?
わたしは、ミラー組の傘下にいますので、口を出さないでください」
大人しそうな見た目とは裏腹の、キッパリとした口調だ。
もっとも、そうでなければ彼女が言うこちら側――裏社会で、長いことスリとしてやってくることはできなかっただろう。
そんな彼女を安心させるべく、私は大仰な身振りを加えながら自分について説明する。
「安心して。
私は盗みが見過ごせないとか、警察には黙っておくから分け前を寄越せと言うとか、そういった立ち位置の人間じゃないから。
むしろ、あなたの味方よ」
「わたしの味方、ですか?」
どうやら、逆効果だったか?
ますます怪訝そうな様子になったエイマが、一歩、後ずさる。
……この様子だと、ミラーは何も伝えてないようね。
「ミラーか、その手下から聞いてないかしら?
あなた、黄金ヘンタイ騎士とかいうのにつきまとわれて困ってるんでしょう?」
――黄金ヘンタイ騎士。
その言葉を聞いたエイマが、びくりと身を震わせて自分の体を抱きしめた。
そして、怯えながらきょろきょろと周囲を見回し始めたのである。
……この子、帰還兵がたまに患うという心の病気にかかっているんじゃないかしら?
いたいけな少女を、こうまで怯えさせるとは……。
これまでは、ただキモイとか関わりたくないという思いが強かった件の変態に対し、確かな怒りが湧き起こる。
エイマだけでなく、王都に暮らす全女子のためにも、そのヘンタイは懲らしめる必要があるようね。
「落ち着いて。
ここに、そのけったいなヘンタイはいないわ」
そう言ってやると、少しだけ落ち着きを取り戻したのか、佇まいを正してくれた。
「その様子だと、話に聞いていた以上に心へ傷を負っているみたいね?
一体、どんなことをされたのか……ここは一つ、私に話してごらんなさい」
「あの……ヘンタイは……」
私が尋ねると、エイマがぽつりぽつりと口を開く。
そうして聞いたのは、想像していた以上におぞましき体験談であった。
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最初、エイマがそのヘンタイに出くわしたのは、先程と同じように通りで務め――裏社会の人間は自らの生業をこう呼ぶ――をしていた時のことだったらしい。
突然、お尻を揉みしだかれ……。
本能的嫌悪感と、もしやスリであることがバレたのかという危機感から振り向くと、そいつはいたのだ。
「お嬢さん、なかなかの揉み心地だ。
世に、尻を愛好する紳士は数多く、その趣向は多岐に渡る。
故に、絶対的な評価を下すことは、実に難しい。
だから、これは私個人の評価であることを前提として聞いてほしい。
――一〇〇点だ。
いまだ未成熟で、固さを残しているところ……。
それでいて、羽化の時に備え、確実に柔らかさを増しつつあるところ……。
我が手の内に、スポリと収まるそのサイズも素晴らしい!
全てが……最&高!
至高のお尻、ここに見つけたり!」
白昼の通りで、堂々と実に気持ち悪いお尻の評論を述べた男……。
それは、黄金の騎士としか言いようのない人物であった。
全身は、かつて馬上槍試合に用いられていたような甲冑で隙間なく覆われており……。
しかも、その甲冑は構成する部品の全てが黄金色に染められている……。
まさに――黄金の騎士。
どう考えても、生まれてくる時代を間違えているとしか思えない男が、産業時代と呼ばれて久しい我が国の通りに、突如として姿を現したのだ。
男は、頭にもフルフェイスの兜を被っているため、顔立ちは当然として、その目元をうかがうこともかなわなかったという……。
だが、注がれる眼差しの粘っこさたるや、エイマを凍りつかせるには十分なものであったらしい。
「あ……あ……」
突然にして、あまりの意味不明な事態へ動きを止めたエイマを見下ろしながら、黄金の騎士はこう名乗ったそうだ。
「おっと、失礼……麗しきレディよ。
ワガハイとしたことが、名乗りを欠いてしまうとは……。
我が名は、黄金ヘンタイ騎士!
ちょっと幼い感じがする美少女の、守護者なり!」
……それが、黄金ヘンタイ騎士との、初遭遇であったらしい。