ヘンタイ退治作戦、始動
翌日の昼……。
私が暮らしているアパートメントの前には、警察の使っている馬車が停車していた。
別に、私が捕まったというわけではない。
これは、マリアが寄越してくれた使いである。
私は、日をまたぐと同時に、乗り合い馬車を使って早速にも救護院を訪れた。
幸いだったのは、施設の立ち上げ当初という時期のため、多忙なはずのマリアが、またもいてくれたことだろう。
約束も何もなく再訪した私を、彼女は快く迎え入れてくれ……。
そして、事情を聞くなり、エイマが育ててきた少女たちの受け入れを即断してくれたのである。
友情に、感謝するしかない。
犬や猫を受け入れるわけじゃあるまいし、本来ならば、いくつもの手続きや手順を踏まねばならない事柄なのは、明らかなのだ。
そのようなわけで……。
ホルゾンさんの店で、お腹いっぱいになるまでフィッシュアンドチップスを食べた少女たちは、今、警察の馬車へと乗り込もうとしていた。
「エイマお姉ちゃん……」
「最後に、美味しいものを食べさせてくれてありがとう」
「絶対、お姉ちゃんのことは忘れないから……」
「必ず、また会いにくる!」
エイマは、そんな少女たち一人一人と静かに抱擁を交わす。
最後に、今まで貯めてきたのだろうお金を使って、自分が食べさせてあげられる精一杯のご馳走を皆で食べたのは、エイマの思い出作りであったに違いない。
一度、入院してしまえば、そう簡単に外へ出ることがないのは、きちんと説明してあるのである。
思い出作りといえば、今交わしているこの抱擁も、大切なそれだ。
そうと分かっているから、御者を務める警察官たちもあえてせかすような真似はせず、ただ、黙って家族の別れを待っていた。
だが、全ての物事がそうであるように、永遠に続く時間など存在はしない。
やがて、いや、ついにか……別れの時が訪れる。
「この子たちは、我々が責任を持って送り届けます。
――では」
敬礼した警察官が手綱を操り、いよいよ馬車は走り出す。
走り去っていく馬車を、エイマはいつまでも、いつまでも見送り続けたのであった。
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「本当に良かったの?
マリア――救護院の院長先生は、あなたも含めて受け入れても良いと言ってくれたけど」
私が問いかけると、エイマは静かに首を振る。
「いいんです。
わたしはもう、すっかりこの町へ染まってしまっていますから……。
もし、一緒についていけば、きっと、あの子たちが日の当たる世界へ行く邪魔をしてしまいます」
そう言った彼女が寂しげに見つめたのは、グレイフールの町並みだ。
今は、昼間ということもあり……。
レンガ造りの建物に囲まれた下では、多くの人や馬車が、盛んに行き交っている。
スリ師エイマにとって、ここは狩り場だ。
彼女は、ここで多くの人間からその財をかすめ取ることで、日々の糧を得てきた。
生きるため、食うためとはいえ、我が国において、それはれっきとした犯罪行為である。
もし、子供たちと一緒に入院してしまえば、何らかの理由により、それが露見してしまう可能性もあるだろう。
年齢に見合わぬ思慮深さを感じさせる彼女は、その辺りも考慮しているのかもしれなかった。
「そう……。
あなたの決断なら、尊重するわ」
だから、私はあえて深く追求することはなく、うなずく。
そして、気を取り直すようにこう言ったのである。
「じゃあ、ここからはヘンタイ退治ね。
あなたには、助手としての活躍を期待しているわ」
「助手って……。
狙われているのはわたしですし、協力はするつもりですけど、そんなものになる気はありませんよ?」
「協力するっていうなら、似たようなものよ。
それとも、助手より妹の方がいいかしら?
私、一人っ子だったから、昔から妹か弟が欲しいと思ってたし」
「そっちは、もっとごめんです」
そう言って、エイマが腰に手を当て……。
私たちは、どちらからともなく、笑い合う。
最初は随分と警戒されていたものだが、どうやら、少しばかり分かり合うことができたらしい。
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「――で、なんでこんなの着させるんですか!?」
少しばかり分かり合ってから、およそ一時間後……。
エイマは、顔を真っ赤にしながら私にそう抗議していた。
「あら、照れる必要はないわよ?
だって、すごく似合っているもの」
私が言った通り……。
ハンチング帽にボロボロのトレンチコートという装いだったスリ師の少女は、見紛うほどにかわいらしい姿となっている。
ジャンパースカートを主体としたコーデは、ふんわりとしたシルエットになっており、少女らしさを前面へ押し出すことに成功していた。
当然ながら、私が監修している以上、化粧や髪型に関しても抜かりはない。
あまりしつこくなりすぎないよう、自然な形で施した薄化粧は、エイマという素材が本来有していた魅力を、余すことなく引き出すことに成功しており……。
左右の頭頂部でくくり、垂らした黒髪は、いっそ小悪魔的とすらいってよい魅力を付与していた。
「本当、よく似合っているわ。
働かせたら警察に踏み込まれちゃうけど、これなら、どこのお店でも頂点を狙えるわよ」
私と共に、エイマを着飾らせてくれたこの店の主――セシリーさんが、そう言いながら腕を組む。
セシリーさんが経営するこの服屋は、グレイフールのそういったお店で働く女性たちの御用達である。
たかが歓楽街の服屋と、侮ってはならない。
水商売をする女にとって、この町は王国一の激戦地であり、服や装飾品、化粧品の類は生き残るのに欠かせない武具だ。
故に、彼女らの要望を叶えるため、セシリーさんの店は王都でも有数の規模を備えており……。
ここで手に入らないならば、おそらくは、国中を駆けずり回っても見つからないとすら、言われているほどなのである。
まったくの余談だが、私が着ているこのスーツも、セシリーさんが仕立ててくれたものだ。
「似合っているとか、似合っていないとかじゃなくて……。
どうして、わたしがこんな格好をしなくちゃいけないんですか!?」
「せっかくだから、写真屋を呼んで記念撮影してもらいましょうか」「私が呼べば、すぐに来てくれるわよ」等と会話を交わしていた私たちに、顔を真っ赤にしたままのエイマが、スカートの裾をつまみながらそう尋ねる。
……だったら、そもそも着飾る前に文句を言えばいい気もするが、そこをつっこむのは野暮だろう。
彼女とて、女の子。こういった格好には、憧れがあったに違いない。
で、実際に着てから文句を言うのは、人間が持つ心の不思議さといえた。
「理由は簡単。
例のヘンタイをおびき寄せるためよ」
そんな彼女に、私は人差し指を立てながらそう答える。
「おびき寄せるため……ですか?」
「その通り。
そもそもだけど、私の予想が正しければ、その黄金ヘンタイ騎士とかいう男は、普段からあなたの周囲を尾け回しているはずよ。
何しろ、私でさえ、情報収集をしなければ分からなかったあなたの住み処を、特定しているわけだし」
特定し、その上で下着を盗んだり、気色悪い贈り物をしたりしているのだ。
おそらく、この考えはほぼ間違いないだろう。
「でも、あんな甲冑を着けている人がうろついていたら、さすがに気づくと思いますが……」
「だから、普段はそれこそ、どこにでもいる紳士のような格好をしているんじゃないかしら?
大体、四六時中そんな格好でいたら、いくら何でも警察が捕まえていると思うし」
安月給で知られる王都の警察官たちであるが、職務に対する熱意は本物だ。
普段から甲冑姿の人間がいたら、とっくに居所を突き止めて大捕り物となっていることだろう。
「だから、あなたを徹底的に着飾らせ、その上で町中に放る。
放って、それを私が尾行する。
そうやって距離を置けば、普段と違うあなたの姿に妙な興奮をしている男が、見つかるかもしれないわ。
見つかったなら、そいつこそが黄金ヘンタイ騎士である可能性は非常に高い」
自慢の胸を張りながら説明する私に、エイマがジトリとした視線を向ける。
「それって、わたしを餌にするってことですよね?
守ってくれるとか何とか、言っていた記憶があるんですけど?」
「結果的に、これが最も迅速に問題のヘンタイを処理し、あなたの身を守る方法よ。
それとも、いつまでもヘンタイの影に怯えながら暮らしたい?」
私の言葉に、エイマはしばし考え込み……。
やがて、盛大な溜め息を吐くことで答えとした。
「ちゃんと守ってくれないと、恨みますからね?」
「任せておきなさい。
私の強さは、昨日、しっかりと目に焼き付けたでしょう?」
こうして、私たちによるヘンタイ退治作戦が開始されたのである。




