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二話 魔女の薬

 部屋を脱走したノアは、神速で魔女のもとまで泳ぐ。

 リュウグウノツカイを介して魔女とやり取りをしたことを知られてはいないと思うが、父王の調査が及ぶ前に事をなしたい。


「魔女さま、抜け出してきた!」

「おやおや、本当に来たんだね。薬は出来ているよ」


 深緑色の長い髪に漆黒の瞳、年齢を感じさせない美貌の魔女がノアを待っていた。

 小さな瓶には赤く透き通った液体が入っている。

 それを振りながら魔女は説明する。


「いいかい、陸に上がってからこれを飲むんだ。そうすれば尾ヒレが裂けて、人間の脚に変わる。ずっと脚には痛みが残るから、歩くこともつらいだろう。覚悟はできているね?」

「もちろん! 魔女さま、ありがとう!」


 魔女から薬の入った小瓶を受け取り、ノアは海上を目指す。

 父王の追手が来る前に、なんとしても王子さまに会うんだ。

 ぎゅんぎゅんしなる尾ヒレとも、今日でお別れか。

 夕陽が沈んでしまう前に、ノアは東の海岸まで最速で泳いだ。


 ◇◆◇


 ヴィンセント王子は、その日、修道院まで足を運んでいた。

 ここに滞在している隣国の王女リオニーとの会談があったからだ。

 先月、留学先からの帰り、大嵐にあって船が難破した。

 甲板から波間に投げ出されたあとのことは覚えていない。

 この海岸に流れ着いた俺を、リオニーが見つけて助けてくれたという。

 つまりは命の恩人だ。

 そのため、隣国からリオニーと俺との婚姻を求められても、断れないでいる。

 リオニーは、真っすぐ長い黒髪と翠目が美しい王女だ。

 王女らしい気品のある所作と、落ち着いた声をしている。

 だが気を失っていた俺の耳は、リオニーとは違う声を覚えているのだ。

 もっとハキハキしていて飾り気のない、そう今も聞こえているこんな声を――。


「王子さま! こっちこっち! 私だよ!」

「え?」


 ヴィンセントは周りを見渡す。

 ここは修道院から高台を下る道。

 リオニーとの会談で何度も通った。

 しかし声をかけられたのは初めてだ。

 海岸の方から声がした気がして、高台から下を覗き込む。

 そこには――。

 自分が倒れていた砂浜に、打ち上げられたような姿で、ピンク色の尾ヒレを持つ人魚がいた。

 ぎょっとしたヴィンセントは慌てて道を駆け下りる。

 砂浜まで下りてくると、人魚が必死に波から離れようとしていた。

 逆じゃないのか?

 海へ帰りたいのに帰れないのだと思って、人魚を手伝おうと駆けてきたヴィンセントだったが、どうやら思っていたのと違う。


「王子さま、ちょっと手を貸して! 私を引っ張り上げて欲しいの。もっと海から遠ざけて!」


 分からないがヴィンセントは言われるままに動いた。

 細い人魚の腕をとり、大きな魚の下半身が完全に波にかからない場所まで引っ張る。

 抱き上げようかと試したが、予想以上に重たかった。

 魚は全身が筋肉だと聞いたが、そのせいか?

 ちょっとヴィンセントは体を鍛え直すことを考えた。


「助かった! ありがとうね!」


 人魚の声にまたしても心が震える。

 絶対に聞いたことがある声だ。

 この声に安心感を覚える。

 どうかその声で、俺のために歌ってくれないだろうか。

 そうヴィンセントが思っていると、おもむろに人魚が胸の谷間から小瓶を取り出した。


「時間がないからもう飲むね! 私は人魚のノア! 王子さまに会うために、海から来たんだよ。これから人間になるから、どうかよろしくね!」


 ノアは大事なことをだいぶん端折って伝えると、小瓶の蓋を外し赤い液体を一息に飲み干した。

 そこまでの一連を、ヴィンセントは頭の中を疑問符でいっぱいにしながら聞いていた。

 なにか質問ができる速さではなかったのだ。

 そして薬を飲んだ人魚が苦しみだして焦った。

 尾ヒレが裂けて、そこが人間の脚になろうとしている。

 痛みがともなうのだろう、ノアは涙目だ。

 せめてと思って、ヴィンセントはノアの上半身を抱き、背中をさすってやる。

 ノアが力いっぱい縋ってくるので、ヴィンセントの腕の骨が軋んだ音がしたが、それでもヴィンセントはノアを離さなかった。

 ノアの感じている痛みは、きっとこれ以上だろう。

 やがて完全に人間の脚になったノアの尾ヒレに、ヴィンセントは自分がつけていたマントを巻いてやった。

 全裸だったからだ。

 上半身だって、人間から言わせれば下着しかつけていないようなものだったが。


『痛かったけど、これで私も人間だよね? 王子さまと一緒にいられる?』


 口をパクパクさせてノアがなにかをしゃべっているが、声になっていない。


「なんだ? どうして声が出せなくなったんだ?」

『あ、そうだった! もう声が出せないんだった! う~ん、焦って早く薬を飲みすぎたかな? 王子さまの名前も聞いてないし!』


 ノアは自分を指さし、ノ、ア、ノ、ア、と口を大きく開けてしゃべる。

 ヴィンセントはそれをじっと見て、自分を指さし言った。


「ヴィンセント」

『ヴィンセント! 瞳は紫色をしていたんだね、とっても素敵だよ!』


 ノアは嬉しくてヴィンセントに抱き着く。

 ヴィンセントはそれを危なっかしく受け止めた。

 もう人魚のときほど重たくはない。

 それが分かるとヴィンセントはノアを抱き上げた。

 ノアの尾ヒレが人間の脚に変わったあとも、ノアが脚を痛がっていたように見えたからだ。


「不思議だ、ノアの声に聞き覚えがある気がするんだ。どこかで俺とノアは会ったか?」

『なんだ、忘れているのね? 私がヴィンセントを大嵐の渦から助けたんだよ。そのあとずっと歌ってあげたから、それを覚えているのよ、きっと!』


 ノアは口をパクパクさせるが、やっぱり声は出ない。

 ヴィンセントはそれを見て、残念そうにした。


「人間になってしまったから、もう声が出せないのか? 人魚のまま会うのでは、駄目だったのか?」

『それだと一緒にはいられないでしょ? ヴィンセントは陸、私は海でしか生きられないのに!』


 ノアは必死に口をパクパクさせる。

 ヴィンセントはちょっと怒ったようなノアの顔を見て、ふっと笑う。


「そうか、駄目だったんだな。何を言っているのか分からなくても、その表情だけで、けっこう分かるものだな」


 ヴィンセントは砂浜から高台までの道を上る。


「せっかく会いに来てくれたんだ。城でおもてなしをするよ」

「その必要はありませんわ」


 上り切った道には、隣国の王女リオニーがいた。


 ◇◆◇


 リオニーは焦っていた。

 蟄居を命じられている修道院の窓から、あの海岸が見える。

 そこにはヴィンセント王子といつかの人魚がいるではないか。

 このままではリオニーが王子を助けたという嘘がバレてしまう。

 本当は人魚が海から王子を助け、自分は通りかかっただけなのだ。

 せっかく恩を着せて王子と結婚できると思ったのに!

 母国で婚約破棄騒動を起こした自分には、母国での結婚はもう望めない。

 国外の修道院での蟄居が命じられ、しぶしぶここで過ごしていたのだ。

 面白くもない毎日だったが、あの朝に全てが好転した。

 捕まえた幸運をみすみす逃してなるものですか!

 リオニーは修道院を飛び出し、道を下っていく。

 ところが、海岸の上にさしかかったとき、二人の様子がおかしいことに気づいた。

 声がもっと聞こえるように、そっと下を覗き込む。

 どうやら人魚は人間になっていて、口が利けないようだった。

 しかも王子は人魚から、助けてもらった事実を聞いていないようだ。

 これはまだ私に運が味方している。

 今からでも遅くはない。

 この二人を引き離すのだ。

 リオニーは王女らしい傲慢さで、二人の行く手を阻んだ。

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