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一話 嵐の夜に

「ねえ、シャーロテ姉さま? 今日は潮の流れがおかしくない? なんだか頭の上のほうで、グルグルしている気がするの」


 人魚姫ことノアは、六人姉妹の長女シャーロテに聞く。


「ノアはまだ経験したことがなかったわね。今夜は大嵐がやってくるのよ。海の底にいれば大丈夫だけど、浅瀬は危ないわ。明日にはいろいろな物が木っ端となって沈んでくるでしょう」


 シャーロテは自分と同じ色彩を持つノアの頭を撫でてやる。

 ピンク色のたゆたう豊かな髪、陽の降り注ぐ海を思わせる瞳。

 シャーロテはノアのことを、どこに出しても恥ずかしくない完璧に可愛い末妹だと思っている。

 家族みんなで甘やかしてしまったせいで、やや奔放なところはあるが、心根の優しいいい子だ。


「分かった! 気をつけるね!」


 初めての経験に、ノアの心は浮き立つ。

 嵐ならこれまでに何度か見に行った。

 しぶく白波を飛び越えて跳ねるのは楽しかった。

 大嵐になると人間界からいろいろな物がやってくるそうだ。

 どうせなら木っ端になる前の物が欲しい。

 ワクワクと夜を楽しみに待つノアに、シャーロテは仕方がないわねという顔をした。

 あまり心配はしていなかった。

 なぜならノアは神速を誇る人魚姫だ。

 大嵐や木っ端などに、どうにかできる存在ではない。


「変なものを拾っては駄目よ」


 シャーロテはその言葉を、もっとノアに強く言い聞かせていればと後悔することになる。


 ◇◆◇


「楽しい!」


 その夜、ノアは渦巻く潮に身をまかせ、海流の速さを楽しんでいた。

 たまに逆向きに泳いで抵抗してみたり、高く跳ねて泡立つ海原を眺めたり。

 そんな星明りしかない暗さの中でも、ノアの瞳は沈みかけている金色の物を発見した。


「何か見つけた!」


 渦に飲み込まれて粉々になる前に、引っ張り上げなくては。

 ぎゅんと尾びれを使って近寄り、細く見えて逞しい両腕で金色の物を抱え上げる。

 比較的、波の大人しい海域まで泳いでいって、腕の中の物を確かめると――。


「なんてキレイな金色……海の底に住む者が憧れる、太陽の色だわ!」


 ぐったりとした男性の濡れた髪は、ノアの手のひらの中で美しい輝きを放っていた。


「持って帰りたいけど、これは人間だよね? さすがにシャーロテ姉さまに怒られるかな?」


 ノアは矯めつ眇めつ金髪を眺めていて、今にもその人間の息の根が止まりそうなことに気がついた。


「あれ? 死にそうなんだけど? どんどん冷たくなっていってる?」


 大変、大変!

 ノアはもう一度、人間を腕の中に抱きかかえると、大急ぎで東の海岸を目指した。

 朝日が昇ったら、そこへ一番先に光が届くのだ。

 太陽の光は温かい。

 きっとこの人間の体も温かくなるはずだ。

 海岸に着いたが、辺りはまだ暗い。

 夜明けまで、この人間は生き長らえるだろうか?

 ノアはできるだけ体を寄せて、人間を抱きしめる。

 自分の体温を分け与えるために。

 そして励ますために歌を歌った。

 人間が死の世界へ旅立たないように。

 楽しいこの地へ戻りたいと思うように。

 ノアは朝日が顔を見せるその時まで、歌い続けたのだった。


 ◇◆◇


 天使の歌声と評判のノアの声に惹かれたのか、日の出とともに誰かが海岸に近づく気配がした。

 きっと人間だ!

 この美しい金髪の人間を助けてくれるかもしれない。

 本当は持って帰りたいけど、こんなに弱っていてはいつ死んでしまうか分からない。

 ここは一旦、諦めるしかない。


「ちょっとちょっと、そこの人! こっちに来て欲しいんだけど!」


 ノアの声の出所を確かめるように、高台の上から覗き込んできたのは、艶やかな黒髪に翠目をした美しい人間の女だった。


「この人を助けてくれる? 今にも死にそうなのよ」


 ノアは腕の中の人間を見せる。

 高台の上にいる女は、人魚を見て驚き、ノアの抱えた人間を見てまた驚いた。


「お、王子さま!?」


 王子さま?

 この人間は王子さまだったの?

 ノアは改めて腕の中の人間に視線を落とす。

 言われてみれば服が豪華だ。

 抱きしめている昨夜は、ごつごつ当たって痛いなとしか思わなかったが。

 ノアが王子さまを見分している間に、女が高台から下りて来ていた。


「じゃあ、王子さまを頼んだよ! 人間の病院につれていって、治療してあげてね」


 女は王子さまを見て、なにやら頭を働かせているようだったが、ノアはそれを、どうやって病院に運ぶか考えているのだと思った。


「あなた一人では抱えきれないだろうから、あそこの修道院に助けを求めるといいよ。優しい人が多いと聞いたから!」


 ノアは高台のさらに上に建つ、石造りの邸を指さす。

 渡り鳥に聞いた話だが、役に立った。

 ただしノアは知らない。

 この女がその修道院に蟄居を命じられている隣国の王女であることを。


「王子さま、またね。あなたは私が拾った私の物なんだからね、忘れないでよ?」


 ノアは王子さまの耳元に声を落とすと、返す波に体を預け、海へと戻っていった。

 一晩中、眠らずに歌を歌っていたせいで、とても眠い。

 今はとにかく、海底のベッドが恋しかった。


 ◇◆◇


 

 ノアは思い出す。

 朝焼けに映えた金色の髪を持つ王子さまのことを。

 とても神々しかった。

 瞳の色は、どんな色をしているんだろう。

 そろそろ元気になっただろうか。

 ノアが会いに行ったら、笑ってくれるかな。

 あれからシャーロテ姉さまに聞いてみたけど、やっぱり人間を持ち帰るのは駄目だと言われた。

 そもそも人間は海の中で生きられない。

 人魚が海で暮らすように、人間は陸で暮らすのだ。

 ノアが人間の王子さまに思いを馳せていると知り、父王は激怒した。

 少し頭を冷やしなさいと、部屋に軟禁されてしまった。

 ノアの反発心がむくむく芽を出す。

 ノアは窓から、リュウグウノツカイに手紙を託した。

 相手は父王よりも長生きをしているという魔女だ。


『魔女さま、私を人間にしてくれる? どうしても王子さまに会いに行きたいの』


 ノアが出したのは短い手紙だったが、魔女から返ってきた手紙は思いのほか長かった。


『人間になる薬を作ってやることはできる。ただし、人間になればお主の美点であった声は失われるだろう。代償なしには効果を発揮しない薬だから。それに、ずっと人間でいられるというわけでもない。薬を飲んで人間になった後でも、海に入れば人魚に戻ってしまう。いろいろと扱いにくい薬だよ。それでもいいのかい?』


 手紙からは魔女の心配が伺えた。

 若い人魚が興味本位で使用するには、厄介な薬だと言いたいのだろう。


「王子さまに、またねって言ったんだもん!」


 ノアの決意は揺るがなかった。

 魔女には、それでもいいから薬を作って欲しいとお願いした。

 薬は一週間後にできあがるから、抜け出せるなら部屋を抜け出しておいで、と返事がきた。

 ノアは時の流れを待った。

 本気を出せば軟禁された部屋から抜け出すのは簡単だ。

 王子さまのことを考えた。

 どうやって再会しよう?

 なんて声をかけよう?

 王子さまは私のこと覚えているかな?


 魔女との約束の日、ノアの部屋から轟音がして父王が駆け付けたときには、部屋に開いた大穴だけが残り、ノアの姿はどこにもなかった。

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